鹿児島・桜島の「歴史」観光スポット(全17件)
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照國神社
名君の誉れ高い第十一代薩摩藩主島津斉彬を祀る。境内の照国文庫資料室では、積極的な西洋文明の導入を行い、日本の近代化に貢献した斉彬の功績と人物像を紹介している。
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南洲神社
明治維新で活躍した西郷隆盛を祭神とする神社。西南の役の薩軍戦没者2023人を葬る750の墓碑が並ぶ南洲墓地や西郷の一生をたどる西郷南洲顕彰館が隣接している。
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ザビエル滞鹿記念碑
鹿児島はフランシスコ・ザビエルが日本で最初に布教をはじめた地。ザビエル公園の一角に立つ記念碑は、戦災で旧ザビエル教会が焼失した跡の石壁を利用している。
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西郷隆盛銅像
東京上野の西郷像は着流し姿だが、こちらは明治6(1873)年に行われた陸軍特別大演習のときの軍服姿をイメージしたもの。台座を含め高さは8m。記念撮影に好適なスポットだ。
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林芙美子文学碑
「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」という一節で有名な林芙美子の文学碑と銅像。周辺は文学碑公園として整備されている。
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西郷隆盛生誕地
1827(文政10)年、西郷が生まれたのがここ。下級藩士が住んだ加治屋町からは、他にも東郷平八郎、山本権兵衛、大山巌、大久保利通など錚々たる人物が輩出します。それを支えたのが薩摩独自の郷中(ごちゅう)教育。近くには学び舎も再現されています。
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西郷南州顕彰館・南州墓地
1877年(明治10)9月24日、城山で西郷が切腹し、西南戦争は幕を閉じました。この地に幕末に活躍した薩摩の士2023人が眠ります。西郷の左には桐野利秋、右には篠原国幹らが並びます。隣接して西郷南州顕彰館、南州神社があります。
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寺山炭窯跡
安政5(1858)年、日本初の洋式工場群「集成館」で用いる燃料となる白炭製造のために建設された炭窯の跡。集成館があった磯地区に近く、白炭に適したシイやカシの木が多い寺山に造られたと言われている。
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月讀神社
桜島港から歩いて数分の場所にあるパワースポット。月讀命を主祭神に、天孫降臨神話に登場する神々を祀り、家内安全、健康、学業成就、縁結びなどさまざまなご利益がある。
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西郷南州翁宅地跡
1865年、1866年に龍馬が薩摩を訪れた際、泊まった西郷の家がここ。雨漏りがひどく、西郷の妻が文句を言っていたというエピソードは有名な話。生誕地の甲突川対岸に位置し、こちらも現在は共研公園となっており、石碑が立てられています。
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鶴丸城跡(鹿児島城跡)
慶長7(1602)年、初代薩摩藩主島津家久が築城。およそ260年間にわたって島津氏の統治所となったが、明治6(1873)年の火災により焼失。現在は、石垣と擬宝珠付きの石橋が残る。
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旧鹿児島紡績所技師館(異人館)
第二十九代島津家当主島津忠義が日本で最初の洋式紡績所を設立したときに招いた英国人技師たちの宿舎で、日本の初期西洋建築物の代表作の一つにあげられる。
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小松帯刀像
西郷も大久保も、小松なくては活躍できなかったと言われるほどの小松の像は西郷隆盛像と道を挟んで反対側に。龍馬にとって小松は亀山社中の大切なパトロンでした。明治3年僅か36歳で病死。小松がいれば西南戦争もなかったとも言われるほどの人物です。
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小松帯刀邸跡
1865年の薩摩訪問時、1866年の寺田屋襲撃後と、龍馬が薩摩で最も多く滞在したのがこちら。現在は個人宅であり外観を眺めるのみとなっています。小松は年下ながら家老として西郷や大久保を保護、龍馬の支持者でしたが維新後36歳で病死しています。
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関吉の疎水溝
嘉永5(1852)年、日本初の洋式工場群「集成館」における動力水車等に水を供給するために築かれた疎水溝で、地形を利用して約7kmに渡って導水した。その一部は、現在でも灌漑用水として利用されている。
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花尾神社
島津家初代当主の島津忠久が御堂を建立。華麗な天井絵が描かれた朱色の社殿が鮮やかなことから、「さつま日光」とも呼ばれている。
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坂本竜馬新婚の旅碑
寺田屋で襲撃され負傷した龍馬は、傷の療養を兼ねて薩摩に招待されました。小松帯刀、西郷、大久保利通、吉井友実らに引き連れられて、お龍と上陸したのがここ天保山。今では埋め立てられましたが、運河沿いの松林が当時の海岸線を思い起こさせます。