たびノートTOP > 鹿児島県の観光スポット > 沖永良部島・与論島の観光スポット > 沖永良部島・与論島の「歴史」観光スポット
15世紀初頭、琉球北山王の三男、王舅が島に渡り、島主となって築城を計画。王朝が滅亡したために未完成だが、天然の三層の断崖と、これを結ぶ200mあまりのサンゴの石垣が残る。
文久2(1862)年、薩摩藩主島津久光の怒りにふれて沖永良部島に流罪となった西郷隆盛の遺徳をしのんで、明治35(1902)年に創建。近くに当時の牢獄が残る。
世之主とは島の首長のこと。岩壁を掘り込んだ「トゥール墓」と呼ばれる琉球式の墓で、奥に納骨堂がある。墓全体が女性の子宮をかたどっているといわれる。
2024年11月10日更新
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