東京の「歴史」観光スポット(全206件)
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浅草寺
推古36(628)年にご本尊が示現したという縁起をもつ、都内最古の寺院。宮戸川(隅田川下流)から引き上げられた聖観世音菩薩を郷司の土師中知(はじのなかとも)が供養したことに始まる。
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神楽坂
牛込橋を渡ったあたりから続く上り坂が、かつて花街として賑わった神楽坂。今も路地に入ると、石畳、黒塀が情緒を漂わせている。
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浅草神社
浅草寺本堂隣りにある。創建は平安時代後期から鎌倉時代といわれ、浅草寺の縁起となった兄弟の浜成、竹成と土師真中知を祀ったもの。三社様と呼ばれ親しまれている。
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東京水天宮
江戸時代に、九州・久留米水天宮の分祀としてまつられた。安産と水難除けの神様として厚く信仰されており、女性の参詣客がとくに多い。
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小野照崎神社
江戸時代の富士山信仰が残る神社。御祭神は平安貴族の文人である小野篁公。国の有形文化財に指定されている富士塚は、毎年6月30日と7月1日の2日間だけ登拝ができる。
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花園神社
江戸開府以前からの由緒ある新宿の総鎮守。毎年11月の酉の市は、飾り熊手などの縁起物を商う市が並び数十万人の人出がある。芸能との縁が深く境内の芸能浅間神社には多数の芸能人が参拝する。
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西新井大師
弘法大師空海がこの地を訪れた際、悪疫に苦しむ庶民のため自ら十一面観音を作り人々を救ったという。厄除け、開運祈願の寺として古くから親しまれ、ボタンの名所としても知られる。
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東照宮
家康公の遺言により天海僧正と藤堂高虎が造営し、寛永4(1627)年に建立。三代将軍家光が大改築を行ない、現存する東照宮となる。上野公園内にあり本殿、幣殿、拝殿、透塀、唐門より構成。
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清水観音堂
京都清水寺の僧が清水寺に安置されていた千手観音を天海僧正に献じたことに起因し、寛永8(1631)年に建立。国の重要文化財に指定。境内には秋色桜、人形碑、「月の松」などの史跡がある。
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回向院
明暦3(1657)年の大火の犠牲者を葬るために創建された古刹。天保4(1833)年から旧国技館ができるまでの76年間は、この寺の境内で相撲の興行が行なわれていた。
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六郷神社
平安時代創建。境内の浄水石は源頼朝、太鼓橋は梶原景時の寄進と伝わる。毎年1月に行われるこども流鏑馬は、男児の開運・健康・出世を祈る行事として人気。
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王子神社
元准勅祭・東京十社の北方守護。御神徳は開運除災と子育大願。8月の大祭に全国でも珍しい田楽舞があり、境内には天然記念物の大銀杏、毛髪の祖神関神社がある。
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泉岳寺
慶長17(1612)年、徳川家康によって建立された曹洞宗の名高い寺。赤穂義士(四十七士と浅野内匠頭)が眠るこの寺では、毎年4月1〜7日と12月14日に義士祭が行われる。
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本妙寺
もとは本郷丸山にあった寺院。1657(明暦3)年に江戸を焼いた「明暦の大火」の火元の汚名をかぶったと言われる。巣鴨に移転したのは1910(明治43)年。遠山金四郎景元、千葉周作の墓がある。
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旧岩崎邸庭園
三菱財閥三代目・岩崎久彌の邸宅。洋館・撞球室設計はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによる。日本刺繍を施した天井など、全館の細部に豪華さと職人技を感じられる。
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染井霊園
明治7(1874)年に開園、高村光太郎、二葉亭四迷や岡倉天心など多くの著名人の墓があることで知られ、多くのファンが散策がてら墓参に訪れる。春は約百本のソメイヨシノが美しい。
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慈眼寺
都の旧跡にも指定されている江戸中期の儒者・斉藤鶴磯、江戸後期の画家、司馬江漢の墓をはじめ、芥川龍之介、谷崎潤一郎らの墓がある。
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王子稲荷神社
関東稲荷総司の古社で、平安時代中期創建。江戸時代には歴代将軍の祈願所となった。現在の社殿は11代将軍徳川家斉により造られ、古典落語「王子の狐」の舞台としても知られている。
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大森貝塚
1877年、日本で初めて発掘された貝塚跡。記念碑に併設された大森貝塚遺跡庭園には、発掘者モース博士の像や貝層の剥離標本があり、楽しく学習できる。
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根津神社
徳川5代将軍綱吉により建立された社殿等7棟が、国の重要文化財に指定されており、現存する江戸の神社建築としては最大の規模を誇る。境内西側の斜面は、古くからつつじの名所として有名。
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坂本龍馬像
余り知られていませんが、東京でも龍馬に会えます!京浜急行・立会川駅下車すぐの北浜川児童遊園に龍馬が立ちます。これは品川区が浜川砲台の礎石を高知市に送ったお礼として、高知市から贈られたもの。ホテル南水の前にあった強化プラスチック製の龍馬像です。
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全生庵
大政奉還期の政治家、山岡鉄舟開基の寺。奥には三遊亭円朝の墓もある。ここに多く収蔵されている幽霊画のコレクション収集には、円朝が深く関与したと言われている。
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富岡八幡宮
寛永4(1627)年創建。毎月1・15・28日の縁日には多くの参拝者で賑わう。8月半ばに行なわれる「深川八幡祭」は、神輿の担ぎ手に沿道の観衆が清めの水を浴びせる祭りだ。
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谷中霊園
JR日暮里駅の南側に広がる広大な墓地。明治7(1874)年の開設以来、数々の著名人の墓碑が並び、なかには横山大観や長谷川一夫、渋沢栄一などの墓もある。
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井草八幡宮
源頼朝ゆかりの神社。寛文4(1664)年に改築した本殿は、現在杉並区内で最も古い木造建築物だ。境内には社宝や郷土の文化財を展示した民俗資料館もある。
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長命寺
3代将軍徳川家光が腹痛を起こした際、境内の井戸水で薬を飲むと痛みが止まったことにより名付けられた寺。境内には芭蕉の雪見の句碑や十返舎一九の碑も立つ。
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白山神社
境内に約3000株のアジサイが植えられ、毎年6月上旬〜中旬には「文京あじさいまつり」を開催する。歯痛止めの神様としても知られており、歯ブラシ供養も行う。
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靖国神社
幕末から先の大戦までの246万6千を超える戦没者のみたまを祀る神社。境内の博物館「遊就館」では宝物や御祭神の遺品を展示。年間5000万人の参拝者が訪れ、桜の名所としても知られる。
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池上本門寺
日蓮上人入滅の地に創建された日蓮宗の大本山。加藤清正が寄進した96段の石段を上がった丘の上の境内には、日蓮上人像をまつる大堂や鐘楼などが並ぶ。
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とげぬき地蔵尊(高岩寺)
本尊は延命地蔵菩薩で、その姿をうつした御影と呼ばれる札は、病気平癒、厄除けなどに御利益があるとされ、篤い信仰を集めている。
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深川稲荷神社 深川七福神 布袋尊
深川七福神の一つとして知られる。寛永7(1630)年に創立。清廉潔白を授ける福神、布袋尊をまつる。祭神は宇賀魂命、西大稲荷とも呼ばれる。現在は町会が管理している。
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浄名院
八万四千体地蔵で知られる東叡山浄名院は、毎年旧暦8月15日に行われる「へちま供養」でも有名。明治時代には不治の病と言われたぜんそくの加持祈祷を行ったことに由来する。
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鳩森八幡神社
一説によると千百年以上も前に創建されたといわれる霊験あらたかな神社。境内には能楽殿や将棋堂、富士塚、庚申塚などさまざまな建造物や塚がある。
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香取神社
俵藤太秀郷がここで先勝を祈願し、平将門の乱を平定したことから弓矢を奉納。この弓矢にちなんだ勝矢祭が毎年5月に開催されている。勝利を願うスポーツ選手の参拝も多い。
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郵便発祥の地
日本橋郵便局の敷地の一角にある。昭和37(1962)年には、日本の郵便事業の創業90周年を記念し、制度創設に尽力した前島密の胸像と記念碑がこの地に建てられた。
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法乗院
寛永6(1629)年に深川富吉町に創建され、後に現在の場所に移転。お賽銭を入れると堂内がライトアップされ、ありがたい説法が聞ける闇魔大王座像はぜひ参拝したい。
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柴又帝釈天(題経寺)
寛永6(1629)年創建の日蓮宗の寺院。映画「男はつらいよ」の寅さんが産湯をつかった寺としても有名。帝釈堂の周囲には彫刻が施され、そのまま彫刻ギャラリーになっている。
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皇居(一般参観)
徳川家の居城であった江戸城の遺構、新年や天皇誕生日の一般参賀の会場となる宮殿東庭ほか正門鉄橋(二重橋)を含む参観コース。事前申請で職員の誘導・説明による約1時間15分の見学が可能。
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三井本館
国の重要文化財にも指定されている歴史あるビル。現在の建物は昭和4(1929)年に建てられたもの。7階には三井記念館などが入っている。
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板垣退助の墓
土佐閥の生き残りとして元勲となるものの征韓論で敗れ下野。自由民権運動を起こし、実質龍馬の跡を継いだような形となった板垣は、生前の希望通り、品川神社の裏(元の「高源院」(東海寺末寺)にひっそりと眠っています。
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道場寺
西武池袋線沿線の寺院に奉安される観音様を奉安する寺院33ヵ所を霊場として開創された。道場寺は第2番霊場となっている。
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鳥越神社
日本武尊の威徳をしのび白雉2(651)年に創建。毎年数十万人が集まる6月初めの夜祭では、約千貫の御輿が町中を練り歩く。1月8日には、しめ飾りなどを焼くトンド焼も開催。
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芥川龍之介の文学碑
芥川龍之介は、生後7ヶ月から両国で育ち、江東尋常小学校(現両国小)・府立三中(現両国高)を卒業した。短編「杜子春」の一節が刻まれた碑や、随想「大川の水」が刻まれた文学碑がある。
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源空寺
明暦3(1657)年の明暦の大火で湯島から浅草に移転した浄土宗の寺。周囲には史跡も多く、伊能忠敬、高橋至時、幡随院長兵衛、谷文晁など江戸時代に活躍した人々の墓がある。
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熊野神社
自由が丘の街を見守り続けて800年以上、鎌倉時代以前の創建と伝えられる古社。毎年9月の例大祭では色とりどりの神輿が街を練り歩き、奉納舞踊などの催しも行なわれる。
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石神井城址碑
石神井城があったのは室町時代の中期。城主・豊島氏は秩父平氏の出で平安時代から武蔵国豊島郡一帯を領土としていた。現在は三宝寺池のほとりに石碑及びその脇に城跡が残っている。
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大円寺
寛永元(1624)年創建。明和9(1772)年に大円寺が火元といわれた大火の犠牲者供養のために50年かけて石工が完成させた520体もの石仏群に圧倒される。
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越前福井藩邸跡
脱藩直後の文久2年(1862)、龍馬はここで幕府の政治総裁職だった松平春嶽と面会しました。皇居の程近くで千葉定吉の道場からは徒歩10分ほど。今はNTTてれぱーくが立つ辺りです。この時に横井小楠、勝海舟への面会状を入手したと言われています。
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深川神明宮
大阪摂津の深川八郎右衛門が鎮守の宮として慶長元(1596)年に創建した深川地区で最古の神社。境内に祀る延命長寿の寿老人は深川七福神のひととして知られる。
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明神男坂
江戸時代の火消しが、神田明神へ献納した石坂。見晴らしのよい石坂の上には神田明神が、石坂の下には銭形平次で馴染みの深い明神下がある。またイチョウの巨大木も有名。
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穴八幡宮
康平5(1062)年に鎮座。江戸時代、南側の山裾を切り開いた際に神穴が現れたことから穴八幡宮といわれる。「虫封じ」のご利益や、金銀融通の「一陽来復御守」、高田馬場流鏑馬の開催でも有名。
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松陰神社
松下村塾を模した建物もある吉田松陰ゆかりの神社。境内の傍には吉田松陰の墓だけでなく像もある。毎年4月27日と10月27日には例祭を開催。
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豊島区立雑司が谷旧宣教師館
明治40(1907)年にアメリカ人宣教師、J.M.マッケーレブが居宅として建てたもの。明治期の希少な木造洋風建築であり、東京都指定有形文化財。雑司が谷地域の歴史・文化を併せて展示している。
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成田山深川不動堂
庶民の信仰を集めて300年の不動尊。商売繁盛、交通安全など、あらゆる利益があるとされる。新本堂で行われる迫力満点の護摩修行は必見。毎月3回、縁日も開催。
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野毛大塚古墳
5世紀前半の帆立貝式前方後円墳。全長82m、高さ10mと南関東最大級の規模を誇る。玉川野毛町公園内にあり、頂上からは周辺の街並みを一望できる。東京都指定史跡。
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姫塚
三宝寺池の北畔、林の中にひっそりとたたずむ。姫塚は、戦いに敗れ三宝寺池に身を投げた豊島泰経を追って入水したといわれる愛娘、照姫のもの。
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源覚寺
寛永元(1624)年に開山され、眼病治癒祈願に多くの人が訪れる浄土宗の寺院。有名な「こんにゃくえんま」の逸話は江戸時代の宝暦年間に起こった話とされ、現在も人々に親しまれている。
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天王寺
谷中墓地の北端に位置するお寺。江戸時代には富突(現在の宝くじ)で知られ、谷中七福神のひとつだ。境内には坐高2.4mの元禄大仏がある。
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雑司ヶ谷霊園
約11万平方メートルの広さをもつ都立霊園。敷地内には夏目漱石や永井荷風、泉鏡花、竹久夢二、小泉八雲、ジョン万次郎などといった名だたる著名人の墓が並ぶ。
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佐久間象山邸跡
龍馬が佐久間象山の下で西洋砲術を学んだのは象山が吉田松陰に渡米密航を勧めた罪で逮捕されるまでの僅か4ヶ月間。龍馬、最初の江戸留学中でした。土佐藩上屋敷から程近い、銀座東5丁目付近。現在の電源開発本社ビル付近が邸跡です。
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三宝寺
昭和15(1940)年に考古学者が中心となり観世音を奉安する寺院33ヵ所を武蔵野観音霊場として設定。三宝寺は第3番霊場。他に関東第36不動霊場第11番、御府内八十八ヶ所第16番など。
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滝沢馬琴筆塚の碑
青雲寺の境内にある碑。1848年に亡くなった滝沢馬琴は長編小説「南総里見八犬伝」で有名。碑文は書家として著名であった亀田鵬斎による。ほかにも馬琴が建てた安井金比羅大権現鎮座碑もある。
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次大夫堀公園民家園
主屋や土蔵などがある屋敷や、典型的な農村民家、消防小屋、昔懐かしい小川など世田谷の農村風景を復元した民家園。「子どもの日」「元日開園」などの行事を行っている。
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赤坂氷川神社
天暦5(951)年創立。現在の社殿は徳川家8代将軍吉宗の時代に造営された都重宝社殿。境内には勝海舟が名付けた四合(しあわせ)稲荷神社もある。
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品川神社
北品川の鎮守として親しまれ、徳川家ともゆかりの深い神社。6月の例大祭では、神社入口の急階段を宮神輿が上り下りする。
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世田谷区立郷土資料館
世田谷区に関する歴史・民俗資料などを収集・保存し、日々の調査・研究の成果を展示・公開している。世田谷代官屋敷敷地内にある。
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世田谷八幡宮
源義家が後三年の役の帰途世田谷に滞在し、自らの氏神である豊前国(現在の大分県)宇佐八幡宮の御分霊として勧請したことが由来。昭和39(1964)年に現在の社殿に改築した。
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石神井城跡
小高い丘に建てた居館のまわりを土塁や空壕で防備を固めた、中世前期の方形居館城。太田道灌との戦いに敗れ落城した。現在は内郭の空堀の一部が残っている。
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五條天神社
日本三薬祖神のひとつ。古くより医薬の祖神として信仰され、無病健康を願う人々が多く訪れる。平成22(2010)年5月の大祭は、御鎮座1900年を奉祝し盛大に行われた。
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砂尾山橋場寺不動院
現在の本堂は1845年に建立され、江戸時代の建築様式を保つ、美しく簡素なたたずまい。不動明王は、開運、厄除け不動の秘仏として伝えられる。布袋尊は、お腹が袋代わりの形をした珍しい形。
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旧寛永寺五重塔
寛永16(1639)年に建立。もとは上野東照宮の一部として建てられたが、後に寛永寺の所属になったもの。現在は上野動物園内にあり構造は三観五重塔、五重銅瓦葺からなる。
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横綱手型モニュメント
回向院を出て、両国国技館へ向かう道を国技館通りと呼ぶ。その国技館通りのあちらこちらには、力士のブロンズ像が立っている。相撲の町ならではの光景だ。
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法受寺
大奥に勢力を振るった五大将軍網吉の生母、桂昌院の墓所がある。三遊亭円朝作の人情噺、「怪談牡丹灯籠」の舞台にもなった。
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乃木神社
外苑東通りに面する閑静な神社。空襲により本殿以下社殿が焼失したが、昭和37(1962)年に復興。日露戦争で活躍した乃木希典将軍とその妻静子夫人がまつられている。結婚式場としても人気。
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三囲神社
日照りが続き農民らが困り果てていた折に、参拝に訪れた俳人の宝井其角が雨乞いの句を詠み翌日から雨が降り出したことから広く知られる神社。境内には雨乞いの句碑も立っている。
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日枝神社
皇城の鎮・東都鎮護の社。江戸城の守り神・徳川将軍家の産土神として敬われてきた。毎年6月15日前後に江戸三大祭りのひとつとして知られる「山王祭」が行われる。
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旧前田家本邸 洋館
前田利為の本邸として昭和4(1929)年に建築。異なる意匠の暖炉を配すなど、個人の邸宅では当時東洋一と評される。
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永隆寺
烏山寺町にある26の寺院のうちの1つで、徳川家康ゆかりの高僧により創建される。墓地には藤堂家などの大名の墓もあり、本堂近くには鶏卵の供養のために建てた鶏塚碑がある。
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大山福地蔵尊
江戸時代にこの地で亡くなった旅人や馬の供養を行なった「お福さん」にちなんで建てられたもの。現在も大山の守り神として親しまれる。毎月3日が縁日で、3・13・23日に御開帳を行う。
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龍光院
深川七福神のひとつ。慶長16(1611)年に創立した浄土宗雲光院の塔頭寺院。関東大震災後に現在の地に移った際、鬼門除けに石造りの毘沙門天を安置したが、現在は木彫り。
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新田神社
お正月の縁起物・破魔矢を最初に作った神社。境内にそびえる樹齢700年の欅の御神木に触れると若返る、との言い伝えが残っている。
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千葉定吉道場跡(2)
もう1つが東京駅八重洲口の鍛冶橋交差点付近。こちらは上・中屋敷から共に近く、ここだったら玄武館よりもこっちを選びたくなる、と思わず頷いてしまう立地条件。真実は定かではありませんが、実際に歩くとこっちじゃないかなと思ってしまいます。
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勝海舟の銅像
龍馬の師であり、江戸を戦火から救った勝海舟。銅像は市民有志によりH15年に建立され、彼がこよなく愛した隅田川近く、墨田区役所前に立っています。勝が生まれ育った墨田区には、勝の生誕地、居住の地などのいくつかの史蹟が残されています。
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芝東照宮
寛永10(1633)年創建。本殿の右手前には三代将軍徳川家光の御手植えと伝えられるイチョウの大木があり、“東京都の木”として親しまれている。東京都「天然記念物」に指定。
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等々力不動尊
境内には23区内唯一の渓谷や桜、銀杏、楓などの多くの木々、不動の瀧があり古くから現在も修行者が絶えない。交通安全や学業成就などの利益がある。
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江島杉山神社
元禄6(1693)年、総検校杉山和一が奉じていた相模国江島神社と検校を祀った杉山神社の二つからなる。境内にある杉山検校碑には点字碑文が刻まれている。
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住吉神社
摂津国佃村の漁民が、本能寺の変で徳川家康を助けた功により江戸に呼び寄せられた際、摂津国住吉神社を分社した。例祭日は8月6、7日。3年に一度、本祭が行われる。
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とうがらし地蔵
せきどめに効果があるという地蔵様。大黒天で知られる福聚院の境内にあり、赤唐辛子の首飾りをしている。せきが治った人が唐辛子をお礼に奉納するのが慣わしだとか。
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亀有香取神社
漫画「こち亀」に登場する神社。勝負事・足腰健康の神様として、多くの参拝者が訪れる。こち亀絵馬や女性に人気の美脚守りがある。境内にはこち亀両さん像もある。
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正法寺
元和2(1616)年、京都伏見に創建された浄土真宗本願寺派(西)の寺院。現在の地に移ったのは昭和4(1929)年。平成24(2012)年、インド風本堂が新築された。
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幸龍寺
烏山寺町にある26の寺院のうちの1つ。1579年に徳川家康が浜松城下に建立した寺を起源に持つ。境内には日本国歌「君が代」の中に歌われている、さざれ石が鎮座する。
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日本銀行本店本館
日本人による初の本格的な洋風建築。辰野金吾設計のルネサンス様式を加味したネオバロック様式の西洋式建物だ。関東大震災により一部焼失したが、ほぼ原形をとどめている。
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駒場公園
もとは加賀百万石(今の石川県)の当主だった旧前田家・前田利為侯爵の駒場本邸の跡地。昭和初期の和洋の建築と緑深い自然が楽しめる。
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築地本願寺
浄土真宗本願寺派本願寺(京都西本願寺)の直轄寺院。もともと元和3(1617)年に浅草横山町に建立したが、明暦3(1657)年の振袖火事で焼失。築地に移転した。
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日本国道路元標
国道1号線など道の起点を表す標。元標は日本橋の車道中央にあるため、橋のたもとに複製が置かれている。
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ニコライ堂(日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂教会)
明治24(1891)年に建設されたビザンチン様式の聖堂。文久元(1861)年の来日後、半世紀以上にわたって布教に務めた大主教ニコライが創建した。国の重要文化財となっている。
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多聞寺
10世紀中ごろの創建で16世紀後半に現在の場所に移動したと伝わる。隅田川七福神のひとつ。本尊は毘沙門天。狸の塚や言い伝えがあり「狸寺」と呼ばれる。
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観音寺の築地塀
土と瓦を交互に積み重ねて作った土塀に、屋根瓦を葺いた珍しい築地塀。高さ2m、全長約38mあり、江戸の姿を留めた土塀。
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明治神宮
大正9(1920)年に、明治天皇と昭憲皇太后を祀るために創建された。境内には、社殿のほかに御苑や宝物殿もある。初詣をはじめ、東京を代表する参拝者の多い神社である。
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月島開運観世音
長野県善光寺の別院として建立された。開運、念願成就のほか、病気の平癒を祈願する人も多い。毎月27日は縁日、毎年7月17日には灯籠流し、2月3日には節分が行われる。
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善福寺
天長元(824)年弘法大師空海が開山。都内では浅草寺に次ぐ古刹として有名。麻布七不思議のひとつ「柳の井戸」が参道にある。
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銀恋の碑
石原裕次郎と牧村旬子のデュエットソングの記念碑で、ファンからの強い要望によってたてられた。外堀通りと晴海通りの交差点近くにある。
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佃天台地蔵尊
細い路地にぽつんと現れる地蔵尊。天然石に掘られた珍しい地蔵様は江戸時代より子供達を水難から守ってきたと言われ人々の信仰を集めてきた。
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浜川砲台跡
龍馬最初の留学時、品川警護を命じられて配置されたのがこの付近。ここからペリーの黒船を見て大変なショックを受け、父・八平宛に手紙を書きました。最近礎石と思われる石が出土し、据えられています。龍馬が寝泊りをした土佐藩下屋敷が浜川中学校周辺。
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野見宿禰神社
相撲の神様、野見宿弥をまつって建立した神社。境内には、昭和27(1952)年に日本相撲協会によって建てられた歴代横綱の名を刻んだ碑がある。
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白鬚神社
隅田川七福神(七福神を祭る神社)のひとつ。祭神の白鬚大明神を寿老神にみたてている。商売繁昌、方災厄除けの神として広く崇敬されている。3年に1度、本祭がある。
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易行院
歌舞伎では有名な助六とその愛人揚巻。ふたりの仲の良さから「助六と揚巻の比翼塚」をお参りすると、良縁に恵まれると言われている。
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ルシェルブラン表参道
理想のウエディングを実現できると評判のチャペル。煌くスワロフスキー・クリスタルの装飾がなされた室内からは表参道を見渡せる。グリルビュッフェなど個性的な演出も。見学は予約を。
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東郷神社
日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥をまつる。毎月第1・4・5日曜の午前4時から開かれる青空骨董市「東郷の杜能美の市」でも有名。
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桜神宮
古くから古式神道を受け継ぐ大神の宮として、多くの参拝客が訪れる。春は鎮火式、秋には探湯式の神事を執り行う。合格祈願や開運厄除、商売繁盛、安産祈願などにも御利益あり。
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宝生院(大黒天)
柴又七福神の1つで、米俵に乗っている大黒天は大きな袋と打ち出の小槌で多くの人々を救済する出世財福の神様。また、宝生院の不動明王は葛飾区の文化財となっている。
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花園稲荷神社
上野公園内に鎮座する神社。正式名称は「忍岡稲荷」。石窟の上にあったことから「穴稲荷」とも云われた。衣食住を司り、古くより縁談、商談、就職等の縁結びの神社としても知られている。
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昌平橋
秋葉原近くにある神田川に架かる橋。江戸時代の五代将軍徳川綱吉が湯島に聖堂を造営し、孔子の故郷である中国の魯の国昌平郷にちなみ、昌平橋と命名したと言われている。
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桃井道場(志学館)跡
龍馬2度目の剣術修行時には龍馬の盟友・武市半平太も同時に江戸に出ていました。武市が剣術を学び、塾頭となったのが江戸3大道場の1つ、桃井春蔵の士学館。中屋敷からは徒歩5分ほど。現在は京橋プラザ前の公園に小さな看板が出ています。
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勝海舟の墓
勝は西郷隆盛との江戸城明け渡し会談の際に立ち寄った洗足池の自然に感嘆し、洗足軒という別邸(現・大森六中)を設けました。今はその近く、洗足池の畔に妻と共に眠ります。その脇には西南戦争で散った西郷隆盛を惜しみ、勝が建てた留魂祠もあります。
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万福寺(福禄寿)
柴又七福神のひとつで、福(幸)禄(給)寿(長命)を授ける中国の神様の寺。月に1回の坐禅会と写経会、月2回の御詠歌会などを開催していて、だれでも参加できる。
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千葉定吉道場跡(1)
2説あり、まずは玄武館から程近い日本橋堀留町1丁目付近を紹介。嘉永6年の古地図に千葉定吉の名があり有力視されています。碑や看板も一切なく、どこが跡地付近なのかも分かりにくいですが、近くの椙森神社が当時の姿を残しています。
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駒沢配水塔
大正13(1924)年に建造。近代水道百選・日本の近代土木遺産に選ばれた貴重な建物。王冠をのせたようなデザインが印象的。レトロな外観は、眺めて楽しもう。施設の見学は不可。
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大鳥神社
大同元(806)年に創建された古江戸九社のひとつに数えられる目黒区最古の神社。商売繁盛、開運招福の神様として信仰を集めている。
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モヤイ像
JR渋谷駅南口に立つ待ち合わせスポット。昭和55(1980)年に新島の東京都移管100年を記念して新島から渋谷区に贈られた。新島特産の抗火石でつくられている。
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西郷隆盛像
脱藩した龍馬を保護した西郷隆盛は、また勝と共に江戸を戦火から救いました。その功績を称えて1898(明治31)年に建立されたのがこの銅像です。草履に着流し姿で上野恩賜公園正面の山王台広場に愛犬とともに立つ姿は、今や東京のシンボル的存在。
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豊川稲荷東京別院
ビジネス街の中心に位置する寺院。商売繁盛の神、ダ枳尼真天がまつられている。大岡越前守忠相の位牌もあり、学業の神様でもある。
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勝海舟邸跡
龍馬が千葉重太郎と共に訪れ、その場で弟子入りをしたのがこの場所。現在はGABYというバーがあり、その前に碑が立っています。当時の面影を想像するのは困難ですが、近くの氷川神社を訪れれば、赤坂の地を愛した勝の気持ちを感じることができます。
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入谷鬼子母神(真源寺)
江戸三大鬼子母神の一つ。万治2(1659)年創建の安産と子育ての神。他人の子を奪って食べた夜叉鬼子母神が、釈迦の戒めに改心し善神となった。毎月8日、18日、28日が祈祷日で賑わう。
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亀戸天神(亀戸天満宮)
菅原道真公を祀り、下町の天神様として親しまれている。広々した心字池や色鮮やかな太鼓橋は九州太宰府天満宮にならったもの。橋を渡り、清々しい気分でお参りしよう。
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青山霊園
明治7(1874)年に開設した日本初期の公共墓地の一つ。志賀直哉、尾崎紅葉、犬養毅など多くの著名人も眠っている。春には見事な桜のトンネルができ、絶好の散歩道となる。
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きみちゃん像
孤児になった女の子岩崎きみ。きみちゃんの亡くなった孤児院が麻布永坂にあった鳥居坂教会。母と子の愛の絆を託し、この像を建てた。
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玉鳳寺
御化粧延命地蔵尊で知られる寺。その地蔵の自分で顔の気になる部分と同じところに化粧をすると、美肌のご利益があるといわれている。
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待乳山聖天
隅田川そばの小高い丘にある寺院。十一面観音菩薩を本地仏とする大聖歓喜天さまは、昔から霊験あらたかな聖天様として広く知られている。
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柴又帝釈天の御神水
「寅さん」でおなじみの葛飾柴又の帝釈天の名水。寛永6(1629)年の開山以前より湧き続けているこの水こそが、題経院日栄上人がこの地に寺を開くきっかけになったという。
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石川啄木歌碑
「一握の砂」で知られる歌人石川啄木が、浅草の夜の寂寥感をうたった歌碑。等光寺の境内にあり、啄木の親友土岐善麿の生家だったこの寺で葬儀を行ったことに縁する。
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観音寺
谷中にあって、特に築地塀をもつ寺としてその名を知られている。土塀の上に屋根を葺いた築地塀は、江戸の寺町の風情をいまに残す。
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十番稲荷神社
江戸時代に起きた大火の際、旗本の屋敷の池に住んでいた大カエルが火を消したという伝説が伝わる神社。旅行や入院から元気に帰る「かえる御守」が人気。
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浅間神社
江古田駅北口からすぐのところにある神社。境内には高さ約8m、直径約30mの富士塚、通称江古田富士があり、国の重要有形民俗文化財に指定されている。
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毘沙門天(善国寺)
「善国寺」といってわからなくても「神楽坂の毘沙門天さん」といえば神楽坂の顔。創建は文禄4(1595)年だが、寛政4(1792)年にこの地へ移転した。
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矢先稲荷神社
創建は寛永19(1642)年3代将軍家光。京都の三十三間堂に倣って建てられ「通し矢」が行われていた堂の、守り神として祀られた稲荷。的の先にあったため、矢先稲荷と名付けられた。
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花の碑
作詞・武島羽衣、作曲・滝廉太郎の時代を超えて歌い続けられている名曲の歌碑。浅草側の隅田公園内にあり、桜の季節には歌詞にあるとおりの情景がまわりに広がる。
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増上寺
明徳4(1393)年の創建の江戸の大寺。浄土宗の大本山であり、徳川将軍家の菩提寺として知られる。戦災で多くの建造物が焼失したが、境内入口の三解脱門は当時のまま残っている。
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豊岩稲荷神社
ギンザ108ビル右横の通路を奥に入った神社。ビルの壁に張りついた平面神社は、世界一ともいわれる地価の高い銀座ならではだ。縁結びの神様としても知られていて女性の参拝者が多く訪れる。
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銀行発祥の地
明治6(1873)年渋沢栄一翁が中心となり、日本最初の近代的な銀行である第一国立銀行が開業した場所。現在はみずほ銀行が建っており、記念のレリーフと5枚の歴史パネルが展示されている。
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井政−IMASA−
江戸時代より神田鎌倉町で材木商を営んできた遠藤家の店舗兼住宅。昭和2(1927)年築の家屋には江戸の建築様式や巧みな職人技、歴史文化が詰まっている。千代田区指定有形文化財。
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玄武館跡
上屋敷・中屋敷から徒歩20分強で神田お玉ヶ池・千葉道場に着きます。北辰一刀流創始者・千葉周作は龍馬修行時には高齢だったため、龍馬は弟・千葉定吉道場に学んだとも。旧千桜小学校跡地に碑が立っています。龍馬も試合や稽古などで出向きました。
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山内容堂の墓
幕末の四賢候と呼ばれるも、龍馬にとっては土佐勤王党を弾圧され、直接会う機会もなかった土佐藩主・山内容堂。彼が龍馬を知ったのは維新後と言われています。今は遺言により龍馬も訪れた土佐藩下屋敷があった大井公園内に眠ります。
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松月院
室町時代にこの一帯で権勢を振るった武蔵千葉氏の菩提寺。幕末に徳丸ヶ原で洋式大砲の実弾射撃が行われた際、この寺に本陣が置かれた話は有名だ。
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新井薬師 梅照院
正式名称は新井山梅照院。天正14(1586)年建立。境内には名水として知られる白龍権現水があるほか、毎月行なわれる縁日が賑わう。敷地の一部は新井薬師公園。
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銀座の柳の碑
8丁目のはずれ、中央通り沿いに立つ記念碑。銀座の風景の一つである柳並木を歌った、西条八十作詞・中山晋平作曲の「銀座の柳」の楽譜が刻まれている。隣には柳が植えられている。
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弘福寺
隅田川七福神のうち布袋尊を祀っており、祥雲作といわれる釈迦如来像が本尊。特徴ある中国風の外観が目を引く。咳止めのご利益があるとされ、風邪除けの神様としても有名。
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江戸城
江戸開府以降大々的に改修され、将軍の居所として政治の中心をなした。維新後は、皇居となり、東御苑が一般に公開されている。皇居外苑は、都民憩の場としていつでも利用できる。
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東京大神宮
明治13(1880)年に東京における伊勢神宮の遥拝殿として創建され、「東京のお伊勢さま」として親しまれている。日本で最初の神前結婚式を行った神社で、縁結びに御利益があることでも有名。
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波除稲荷神社
「災難を除き、波を乗り切る」波除けの稲荷として、災難除、厄除け、商売繁盛、工事安全などにご利益があるといわれる。日本一大きい獅子頭が祀られており、つきじ獅子祭も開催される。
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佃島渡船の碑
正保2(1645)年から昭和39(1964)年まで続いた渡船(佃の渡し)の石碑。昭和2(1927)年3月に無賃の曳船渡船となった記念に建てられた。石碑は佃公園内と佃大橋橋詰に建てられている。
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目黒不動尊 瀧泉寺
古くから浅草の浅草寺とならんで東京の庶民の信仰を集める、通称「目黒のお不動さま」。毎月28日のお不動さまの縁日には広い境内に露天商が立ち並び、多くの人でにぎわう。
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旧朝倉家住宅
東京府議会議長を務めた朝倉虎治郎により大正8(1919)年に建てられた国の重要文化財。広大な敷地に石灯籠やツツジを配した回遊式庭園も見学できる。
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勝海舟生誕地碑
明治維新の英傑、勝海舟は父小吉の実家である男谷精一郎家で生まれた。現在跡地は両国公園となっており、公園内に碑が立っている。
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たこ薬師 成就院
天安2(858)年に開山され、本尊の薬師如来は諸病を治す法薬を与える医薬の仏さまとして、多くの人から信仰を集める寺院。
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巣鴨庚申堂(猿田彦大神)
明暦3(1657)年に建立。江戸時代の民間信仰である「庚申様」をあがめるため、土を小高く盛って造った石塚。現在は猿田彦大神が祀られ、60日ごとの庚申の日に祭礼、毎年春には大祭が行われる。
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真勝院(弁財天)
柴又、高砂にある柴又七福神のうちの1つ。ヒンズー教の水神サラスバティに由来する弁財天を祀る。水の流れは言語や音楽を司り、学問、知恵、財宝を授けるとして尊崇されている。
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護国寺
創建は天和元(1681)年、徳川五代将軍綱吉公の生母桂昌院の発願による。江戸三十三観音霊場第十三番、本尊は如意輪観世音菩薩。四季折々の花が美しい、都心のオアシスでもある。
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専光寺
烏山寺町にある26の寺院のうちの1つ。江戸時代後期に美人画の作者として活躍した喜多川歌麿の墓があり、毎年9月20日の命日前後に供養が行われる。
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香取神社
経津主大神を御祭神として、民業指導、海上守護などの神様として広く仰がれている。千葉県香取郡から移住した6軒の村民が平安末期に鎮守した。香梅園があり、春には多くの人でにぎわう。
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牛嶋神社
本所地域の総鎮守の神社。自分の体の悪い部分と同じ場所をなでると病気が治るといわれている「撫牛」が有名。狛犬と並んで、神社では珍しい左右一対の牛の石像が奉納されている。
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大宮八幡宮
康平6(1063)年源頼義公の創建。東京23区内で3番目に広い古社。毎年5月、9月に大祭。初宮詣・厄除祈願が多く、東京のへそ・子育厄除八幡さまとして信仰があつい。
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サレジオ教会(カトリック碑文谷教会)
中世ヨーロッパ風の外観は、白い壁に緑の屋根が映えて美しい。イタリア産大理石で装飾された祭壇などは荘厳そのもの。
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神田明神
創建は天平2(730)年。かつては現在の大手町あたりにあり、慶長8(1603)年に駿河台、その後元和2(1616)年に当地へ。江戸の総鎮守として町を見守る。資料館も併設している。
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品川寺
品川観音として信仰を集める古刹。山門前の地蔵菩薩像は江戸六地蔵の一つに数えられた。そのほか、東海七福神の毘沙門天などがある。
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駒形堂
駒形橋のたもと、駒形公園内にあるお堂。浅草寺の本尊が現れたとされる由緒ある地。安藤広重の錦絵などにも描かれた江戸の名所だ。現在の堂は平成15(2003)年に再建されたもの。
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湯島天神
学問の神様・菅原道真公を祀る天満宮。境内の300本余の梅が満開になる2〜3月には梅まつりが行われる。新派悲劇の「婦系図(おんなけいず)」(原作泉鏡花)の舞台としても有名。
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牛天神北野神社
北野神社の境内にある牛の形の石。縁起によると、源頼朝がこの地で見た夢に菅原道真が現れ、夢から覚めると置かれていたという。なでながら願うと想いが叶うとされる。
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幡ヶ谷不動尊
弘法大師が開いた真言宗の寺。振ると鳴き声のような鈍い音がするひょうきんな表情をした金色のカエルのお守りが人気だ。
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大観音寺
街なかにひっそりと佇むお寺。願いの地蔵尊は祈願成就のご利益が、韋駄天尊はアスリートの聖地として、いつでも参拝できるよう一晩中灯かりが灯されている。
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勝・西郷会見の地碑
勝は坂本龍馬を見出した人物ですが、その最大の偉業は江戸を戊辰戦争の戦火から救ったことかもしれません。慶応4年3月14日、勝と西郷隆盛はこの地(旧薩摩藩蔵屋敷)で会談を行いました。このすぐ裏手が海だったなんて、今ではちょっと信じられませんね。
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神楽坂若宮八幡神社
鎌倉時代に源頼朝が奥州の藤原泰衡を征伐に行く途中ここで下馬宿願し、奥州平定後に鎌倉・鶴岡の若宮八幡宮を分社した。神楽坂の名はこの神社の神楽の音が聞こえたからという説も。
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柳森神社
室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして多くの柳を植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社神田川沿いにある神社。境内にある福寿神は「おたぬきさん」として親しまれている。
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吉原神社
浅草名所七福神の1つ弁財天を祀る。商売繁昌、技芸上達などのご利益があるとされ、新吉原遊郭の鎮守の神として古くから崇拝されている。震災、戦災慰霊碑なども奉納されている。
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下谷神社
奈良時代に創建され、現在の社殿は昭和9(1934)年に落成したもの。明治5年に下谷稲荷社から現在の名称に変更している。本殿にある横山大観筆の天井絵「龍」が有名。
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西郷隆盛の銅像
彫刻家・高村光雲(詩人・高村光太郎の父)の作で「犬を連れて兎狩り」の隆盛像は、上野公園の象徴として親しまれている。愛犬ツンは後藤貞行作。明治30(1897)年竣工。
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東京ジャーミイ・トルコ文化センター
トルコ共和国の援助で創建された日本最大のモスクで、「東京モスク」とも呼ばれる。誰でも見学できるが、過度に露出をした服装は控え、女性はスカーフ持参で頭髪をカバーするのがマナー。
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炎天寺
小林一茶が詠んだ「蝉鳴くや六月村の炎天寺」の舞台がここ。「やせ蛙負けるな一茶是にあり」の句にちなみ、境内には蛙のオブジェが多数ある。
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円珠院
江戸時代から「深川の大黒天」として知られる寺院で、深川七福神の一つ。堂内に、享保5(1720)年に描かれた大黒天の掛け軸、木像の大黒天、境内に石造りの破顔大黒天を安置する。
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御田八幡神社
和銅2(709)年、東国鎮護の神として鎮祀。嵯峨源氏渡辺一党の氏神として敬われ、「綱八幡」とも呼ばれる。緑豊かな社殿は区民の憩いの地だ。
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霊巌寺
寛政の改革をすすめた松平定信の墓(国指定史跡)がある浄土宗の寺。火事に遭ったため1658年に中央区から移転(後の霊岸島)。近くには清澄庭園や深川江戸資料館がある。
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東本願寺
天正19(1591)年、東本願寺第十二世教如上人によって建立された寺院。関東教化の拠点として、宗祖親鸞聖人の説いた念仏の教えを宣布。現在、浄土真宗東本願寺派の本山。
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自由学園 明日館
建築界の巨匠、アメリカのフランク・ロイド・ライトが設計した学校の旧校舎。窓枠や桟を組み合わせてステンドグラス風に仕上げた窓が有名。現在は重要文化財として一般公開されている。
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土佐藩中屋敷跡
有楽町の東京国際フォーラムからは銀座を通って歩いて10分ほど。2度目の剣術修行時に武市半平太と共に滞在したのが現在の中央区役所の辺りです。ここも当時を想像するには非常に難易度が高い場所ですが、辺りは確実に龍馬が歩いていた場所です。
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赤城神社
正安2(1300)年、上野国勢多郡宮城村三夜沢の赤城神社の分霊を祀ったのが始まり。「鬼太郎」のちゃんちゃんこ守り・「目玉のおやじ」の目玉守り・厄除けのお守りなどが人気。
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永昌寺
永禄元(1558)年に下谷長者町に創建された浄土宗の寺。明治15(1882)年に加納治五郎がここで柔道をはじめた、講道館柔道の発祥地として有名。
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殿塚
殿塚は三宝寺池の北畔、林の中にひっそりとたたずんでいる。この塚は太田道灌に攻められ落城した、石神井城主である豊島泰経のものと言われている。
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小網神社
太田道灌が現社号を名付けたと伝わる強運厄除の神社。日本橋七福神の福禄寿と弁財天も祀る。「東京銭洗い弁天」としても広く崇敬されている。
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映画弁士塚
明治・大正期において無声映画が盛んだった時期の、活動写真の弁士100余名の名が刻まれた石碑。昭和33(1958)年、当時の新東宝社長大蔵貢により建立。題字は鳩山一郎元首相。
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無縁坂
坂の北側に無縁寺があったためこの名が付いた。森鴎外の「雁」のヒロインお玉が想いを寄せる岡田青年の散歩道ということで、作品を通して多くの人々に親しまれている坂だ。
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石浜神社
神亀元年に聖武天皇の勅願によって鎮座されて以来、約1290年の歴史を持つ神社。浅草名所七福神、寿老神を祀る。境内には安政4年に建立された日本大工祖神の碑などがある。
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東叡山 寛永寺
寛永2(1625)年に建立。徳川将軍家の祈願寺と菩提寺を兼ねる。彰義隊の戦争で根本中堂など多くの建物は焼失。川越喜多院本地堂を明治12(1879)年に移築し根本中堂とした。
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鷲神社
毎年11月に酉の市が行なわれることで有名な神社。当日は境内に所狭しと並ぶ屋台と、縁起物の熊手を求める人々で賑わう。熊手は開運、商売繁昌のお守りとされるものだ。
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葛飾区 山本亭
大正15〜昭和2(1926〜7)年頃の邸宅を改修して公開。木造平屋建ての日本家屋に、石造りマントルピースやステンドグラスを配した洋風の応接間もある。東京都選定歴史的建造物。
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土佐藩上屋敷跡
龍馬が最初の剣術修行で江戸に出てきた嘉永6年(1853)に滞在したのが現在の東京国際フォーラムの辺りです。かつては上屋敷跡碑がありましたが現在はありません。当時を想像するのは難しい場所ですが、東京の龍馬史蹟巡りはここを拠点に始まります!
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幕府軍艦操練所跡
勝海舟が頭取を勤めた操練所に龍馬が通ったのは脱藩以降。中屋敷から徒歩10分ほど。現在は築地市場の建物が建ち、看板があります。元治元年(1864)将軍家茂上洛の際に、護衛目的で勝と共にここから幕府船の観光丸で出航、大阪に入りました。
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浄土宗 心行寺
元和2(1616)年に観智国師の高僧・屋道上人の開山により京橋八丁堀に創立。寛永10(1633)年に現在の地に移った名刹。深川七福神の福禄寿として知られる。
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史蹟 関口芭蕉庵
延宝5(1677)年からの4年間、深川入庵以前の松尾芭蕉が、神田上水の工事に携わった際に居住していたという。庵内には句碑などが建てられている。
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今戸神社
浅草七福神のひとつ。幸福、高禄、長寿の神様である「福禄寿」を祀る。ほか、東京下町八社の縁結びの神様、招き猫発祥の地、沖田総司終焉の地としても知られる。
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摩利支天 徳大寺
およそ400年前に創建。摩利支天(開運守護神)安置。特別祈祷を毎日受け付けている。正月、5月、9月、11月に特別大祭(月初の亥の日)が行われる。
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満願寺
儒学をはじめ、和歌、兵学武芸、天文測量などを修めた江戸時代の学者細井広沢が眠る墓がある。日本三体地蔵の一つ「一言地蔵」があることでも知られ、吉良氏のゆかりの寺としても有名。
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芝大神宮
「関東のお伊勢様」として信仰を集める。9月の例大祭は期間が長く盛大で、「だらだら祭り」として親しまれている。富貴と良縁のお守り「千木筥」が人気。
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魚市場発祥の地(記念碑)
かつて日本橋に魚河岸があったことを示す碑。関東大震災で焼失したことをきっかけとして、現在の築地へ移転した。
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伝通院
徳川家康の生母の於大の方の菩提寺となって以来、その法名が通り名となった。将軍家の帰依も厚く、千姫(豊臣秀頼妻、2代徳川秀忠の長女)など徳川家ゆかりの女性の墓が数多くある。
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東岳寺
「東海道五十三次」で有名な絵師、初代安藤広重が眠る寺。広重の記念碑のほかに、川柳界に貢献した花屋久次郎の記念碑も境内に。
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皆中稲荷神社
天文2(1533)年創建。江戸時代、腕前に悩む鉄砲百人隊のひとりがこの社をお参りしたところ、百発百中で当たるようになり、以降「みなあたる(皆中)の稲荷」と称えられるようになった。