八丈島の「歴史」観光スポット(全9件)
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宇喜多秀家の墓
豊臣家5大老のひとり、宇喜多秀家が埋葬されている。彼は慶長11(1606)年、33歳の若さで主従13人とともに流罪になった流人第一号。在島50年、83歳でその人生を終える。
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服部屋敷跡
旧幕時代のお船預かり、服部家の屋敷跡。流人・近藤富蔵の築いた玉石垣に囲まれ、庭には樹齢数百年といわれるソテツも現存する。館内には服部家ゆかりの器や道具類を展示。
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佐々木次郎太夫の家
1785年の青ヶ島大噴火後、島への帰還、復興に尽力した名主の住居跡。1860年代の建物のため傷みも目立つが玉石の表口は格式をしのばせる。柳田国男は彼を青ヶ島のモーゼと称えた。
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大里神社
青ヶ島の総鎮守。二重式火山の外輪山の頂上にあり、玉石の急な石段を300段のぼる。「でいらほん祭」「えんだん祭」の男面と女面が有名。境内には50もの祠がある。
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湯浜遺跡・倉輪遺跡
縄文時代の土器、石器のほか住居跡や埋葬人骨が出土した遺跡。内地の同時代の出土品とは様相・特徴がまったく違い、同時代の文化圏の違いなどを考察する上でも重要なものとされる。
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優婆夷宝明神社
伊豆七島を創った事代主命の妃、八十八重姫とその子古宝丸を祀る八丈島の総鎮守。社殿には珍しい形式で、キリシタン灯籠とも織部灯籠ともいわれる一対の背の低い石灯籠がある。
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陣屋跡(玉石垣)
室町末期の享禄元(1528)年に造られた。その後は島役所と改称され、明治41(1908)年に向里に支庁が移転するまで380年、つねに島の政治の中心を担ってきた。玉石垣が見事だ。
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島酒の碑
八丈島に芋焼酎の製法を伝えた丹宗庄右衛門翁の徳を誉めたたえるとともに、芳醇な島酒を讃えるために昭和42(1967)年に建造された。島酒醸造用の大甕を碑に使用している。
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ふるさと村
玉石垣が多く残る大里地区で、八丈島の伝統的な建築様式の屋敷を修復し公開している。母屋を取り囲む高倉の貯蔵庫、大きな葉を茂らすビロウやソテツなど、異国情緒満点。