会津若松・喜多方の「歴史」観光スポット(全38件)
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鶴ヶ城
戊辰戦争の際には籠城戦の激しい攻防にも耐え抜いた名城。昭和40(1965)年に昔の姿そのままに復元され、城内は資料館になっている。春は桜、冬は雪景色など四季折々に美しい。
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鳥追観音如法寺
徳一大師開山1200年。会津ころり3観音の1つで会津33観音の番外結願所。縁結び・子授け・安産・厄除・長寿のご利益があるとされ、彫刻「隠れ三猿」を探せば福マサルといわれる。
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旧滝沢本陣
古くは参勤交代の休息所などで利用されていたが、戊辰戦争時は会津藩本営となった。当時のままの建物には刀傷や弾痕が残っている。
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中田観音
文永11(1274)年に江川常俊が亡き娘の菩提を弔うために建立した。期限付きで願い事をかなえるところから日切り観音ともいわれている。抱きつくと願いがかなう「だきつき柱」もある。
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若喜レンガ蔵
明治37(1904)年に建築。国登録有形文化財のレンガ蔵で、3階建ての収納蔵と2階建ての蔵座敷で構成。蔵座敷の1階は、すべて縞柿という貴重な柿の木で造られた必見ポイントだ。
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立木観音
観音堂内には、大同3(808)年に立木のままに彫られた高さ8.5mの千手観音立像を安置。観音堂は鎌倉時代初期の作で観音像とともに国の重要文化財に指定されている。
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中野竹子殉節之地碑
柳橋で新政府軍と交戦し、戦死した中野竹子。辞世の句「武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば数にも入らぬ我が身ながらも」が刻まれている。
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大龍寺
山本家の菩提寺で、戊辰戦争時には新政府軍の野戦病院にもなった。境内には戊辰戦争殉難殉節供養の碑も建つ。
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願成寺
木造阿弥陀仏如来で知られる浄土宗の古刹。嘉禄3(1227)年創建。阿弥陀仏の座像は、舟形の千体仏を背に、右に観音菩薩、左に勢至菩薩を脇侍として従え、金色に輝く。
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荒城の月碑
会津の名城・鶴ヶ城の天守閣から南東へ行くと、月見櫓の下に、滝廉太郎の名曲「荒城の月」の詩碑がある。城下を眺めながら、その詩を心行くまで味わおう。
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會津藩校日新館
人材育成を目的に享和3(1803)年に建設された会津藩の学校。幕末には白虎隊の少年たちも学んだ。当時の学習の様子の観覧や、弓道・会津の縁起物「赤べこ」絵付けなどの各種体験もできる。
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近藤勇の墓(天寧寺)
土方歳三が会津藩主松平容保公に願い出、会津藩の手によって建立された。戒名の貫天院殿純忠誠義大居士は、天寧寺39世吟月雲歩和尚によって授けられたものである。
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勝常寺
東北地方でも屈指の名刹。堂内に安置されるケヤキの大木から彫り出した薬師如来、日光・月光菩薩は国宝に指定されている。歴史価値の高い仏像が12体伝えられている。
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中善寺薬師堂
大仏山の麓に建つ真言宗の寺。本尊の木造薬師如来座像は藤原時代の様式を継承した重要文化財。見学を希望する際には案内人に事前連絡を。
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清水屋旅館跡
幕末には吉田松陰や土方歳三が滞在したことで知られる宿の跡地。明治15(1882)年7月、京都に住んでいた八重が新島襄と会津を訪れた際にこの宿に滞在していた。
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新宮熊野神社長床
かつて修験者の道場に使われていたという大建造物。寝殿造りを踏襲し、鎌倉時代に建てられた。太い円柱が並ぶさまは荘厳な雰囲気に満ちている。
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安勝寺
室町時代中期に創建。蔵造りの本堂は明治13(1880)年の大火以降に建てられたものだ。白壁の窓と黒漆喰のコントラストが美しい「蔵の寺」として知られている。
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伊佐須美神社
会津の総鎮守として昔から親しまれてきた社。この地に遷座された当時からある御神木の薄墨桜は、見事な枝ぶり。6月にあやめ祭り、7月に田植え祭が開かれる。
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会津藩主 松平家墓所
東山温泉近くの院内地区に、2代正経から9代容保までの会津藩主松平家代々の墓がある。墓地には、歴代藩主たちの業績を刻んだ大きな石碑が立ち並ぶ。
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与謝野晶子の碑
竹久夢二の碑と湯川を挟んだところに、歌人・与謝野晶子の歌碑がある。碑には夫であった与謝野鉄幹との旅の思い出を詠んだ歌が刻まれている。晶子没後40年に建てられた。
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妙国寺
白虎隊士最初の埋葬の地。会津藩の降伏後、会津藩士の遺体は占領軍が埋葬を禁じた。そのため自刃した白虎隊士の屍も放置されたが村の肝煎りが密かに妙国寺に運んだという。
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神指城跡
直江兼続が主君・上杉景勝から命を受け、築城の指揮をとった神指城の城跡。工事は途中で中断され幻の城と呼ばれたが、完成すれば鶴ヶ城の2倍もの規模だったといわれている。
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光明寺
南若松駅からほど近く。戊辰戦争に参戦し、激戦といわれる一ノ堰の戦いで討死した八重の父・権八の墓がある。
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山鹿素行誕生の地
山鹿素行は会津の人で、朱子学・神道などを学び、その後、朱子学を排し、独特の日本主義思想である古代の道復帰を説いた。配流され、その思想で赤穂浪士にも影響を与えた。生誕地の石碑が立つ。
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示現寺
平安初期、空海が真言宗の寺として建立。奥州37カ寺の総本山で、1200年もの歴史を誇る名刹。早朝から座禅を組み住職の法話を聴く。
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圓蔵寺
空海が唐から流した霊木がこの地に流れ着き、後に空海自身に彫られたというのがこの寺の本尊の福満虚空蔵菩薩。主に丑寅生まれの守り本尊として昔から信仰されている。
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瓜生岩子の像
示現寺境内にある座像は福祉の母、瓜生岩子。明治のナイチンゲールと呼ばれた彼女は、貧児救済や戊辰戦争時の負傷兵看護などに生涯を捧げた。
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蒲生氏郷の墓
蒲生氏郷は、織田信長、豊臣秀吉に従って活躍した戦国武将。鶴ヶ城の基礎を固めたほか文化面の功績も大きいとされる。墓は興徳寺にある五輪塔で遺髪が埋葬されている。
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西軍墓地
戊辰戦争の際、若松付近で戦死した西軍の墓が東明寺にある。会津藩にとっては敵方の藩士150名を埋葬した墓地であり、会津藩士の心意気を見ることができる。
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葦名家廟所
南北朝時代(14世紀半ば)に始まる葦名氏の隆盛を伝える貴重な史跡。鶴ヶ城の前身・東黒川館を築き、最も栄えた16代・盛氏は現在、花見ヶ丘廟に子孫と共に眠る。
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心清水八幡神社
創建950年以上の会津現存の最も古い歴史ある神社。国の重要文化財の銅製鰐口(非公開)や、700年前の神社の日記を所蔵(非公開)しており、当時の貴重な史料となっている。
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会津戊辰戦争終結の地
明治元(1868)年9月22日正午、甲賀町通りの路上に緋毛氈が敷かれ、鶴ヶ城の開城式が行われた。会津藩士たちは緋毛氈を小さく切り刻んで持ち帰り、無念の思いを胸に秘めたという。
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太鼓門
至徳元(1384)年に築城された鶴ヶ城。その場内にある太鼓門は重厚な造りで、見所の一つとなっている。江戸時代、藩士が登城時に太鼓を打ち鳴らした事でこの名がある。
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若松栄町教会
明治44(1911)年に建造された栄町教会は、野口英世が洗礼を受けた教会として知られている。玄関の横を45度振って、外観や内部空間に変化をもたせたのが特徴。
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如来堂
会津に残留し徹底抗戦を主張する斎藤一をはじめとする20余人が本陣を構え、東軍の奇襲をうけた「如来堂の戦い」の舞台。
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勝福寺
室町期、京都から松島へ行く途中、この地で亡くなった勝御前を偲んで建立された真言宗の寺。「勝の観音堂」ともいわれる和唐折衷様式で、国の重要文化財に指定されている。
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宇賀神堂
飯盛山で自刃した白虎隊士19人の霊像を安置している。木像は明治23(1890)年、隊士の墓を改修したのにあわせて造られたもので、今でも参拝する人が絶えない。
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竹久夢二の碑
東山温泉を愛した文人墨客の代表が、美人画で人気の高かった竹久夢二。「待てど暮らせど来ぬ人を・・・」ではじまる「宵待草」の詩を刻んだ碑が新滝橋のたもとに立っている。