白河・須賀川の「歴史」観光スポット(全18件)
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白河関跡
白河関は勿来、念珠とともに、奥州三古関と称される。能因法師や西行など多くの歌人に「歌枕の地」として詠まれ、松尾芭蕉が訪ねた「奥の細道」の始まりの地として有名である。
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山本不動尊
弘法大師の御開創と伝えられている。御本尊は弘法大師の御持仏といわれ、世にも稀な霊場である渓流を眼下に50mの巨巌の洞窟に安置されている。
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馬場都都古和氣神社
都々古別三社の一社でおごそかな雰囲気の神社。丹羽長重、源頼義、足利義満、豊臣秀吉、徳川家と多くの武将が崇拝。奉納された武具や刀剣類も多く残る。
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八槻都々古別神社
都々古別3社の1社で農耕の神を祀る古社。木造十一面観音立像など、貴重な文化財も数多い。毎年旧暦1月6日に行われる「御田植祭」は、国の無形民俗文化財となっている。
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三十三観音史跡公園
隅戸川のほとりにひっそりと並ぶ37体の苔むした摩崖仏群。江戸時代半ばに掘られたと考えられる。その風化に時の流れが感じられる。
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和田大仏
阿武隈川西岸の丘陵岩壁に掘られた高さ3.6mの磨崖仏。伝説では弘法大師が諸国行脚のときに彫ったと伝えられている。
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須賀川一里塚
奥州道中(旧陸羽街道)に残る数少ない一里塚の一つ。日本橋から59番目のものとされ、上りと下りの二つの塚が街道を挟んで現存している唯一の塚。
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桙衝神社
本殿が県の指定文化財であり、日本武尊など武神を祀る延喜式所蔵の古社で、白川藩主ら武将に厚く敬われた。杉の老木が繁り、周辺からは古墳時代の祭祀遺物が数多く発見されている。
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白河ハリストス正教会
市の中心部に荘厳な雰囲気でそびえ立つギリシャ正教会系の教会。いまも敬虔な信者が集う。貴重な約50点の聖像画を保有。ビザンチン様式の建物は県指定の重要文化財だ。
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泉崎横穴
昭和初期に東北で最初に発見された壁画古墳。横穴の内部には、壁と天井に騎馬像、馬、馬を引く人などが描かれている。内部の見学は不可。顔料を用いた装飾古墳は貴重。
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赤館跡(赤館公園)
室町時代、伊達氏の家臣が築いた。現在は散策路、野外ステージ、花壇があり、町が一望できる赤館公園として町民に親しまれている。ふもとには僧、玉室の庵跡もある。
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鬼五郎・幡五郎兄弟のブロンズ像
開墾に力を注いだ兄弟をたたえたブロンズ像。坂上田村麻呂が蝦夷討伐に来た際に兄は郷土を守るために自決。弟はその遺志を受け継ぎ平和をもたらしたという。
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蓮家寺
江戸幕府開府の年に建立。寺の名「蓮家」は蓮池主水と糟家弥兵衛、両人の名前から1字ずつとってつけられた。山門は町の指定文化財、寺宝の鐘楼も国の指定美術品。
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矢祭神社
この地の美しさに感激したという源頼義・義家父子が、安倍氏攻略のときに立ち寄って矢を奉納し、戦勝を祈願したという矢祭山。ふもとの矢祭神社には西行法師の歌碑もある。
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弘智法印・宥貞の即身仏
赤い法衣を着た姿で貫秀寺薬師堂に座り続けているのは、高僧宥貞法印の即身仏。悪病を鎮めるために、自ら石棺に入ったといわれている。
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小峰城
南北朝時代に築かれ、江戸時代に大改修。戊辰戦争で消失落城した城を、平成3(1991)年に復元、当時の建築様式を忠実に再現し、市を代表する建築物となっている。
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棚倉城跡
戊辰戦争で落城するまで16代の城主がこの城を拠点に一帯を治めた。いまは亀ヶ城公園とも呼ばれ、春には、約500本の桜、秋には土塁のもみじがお堀に映え美しい。
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金久山 貫秀寺
境内の薬師堂には、庶民のために入滅した宥貞の即身仏である「権大僧都弘智法印入定即身仏」が安置されている。立てひざの姿勢も非常に珍しい。