長崎の「歴史」観光スポット(全50件)
-
グラバー園
居留地時代から現存する旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅のほか、市内に点在していた6棟の洋館を集め公開している。長崎観光に欠かせない名所の一つ。イベントも多数開催。
-
大浦天主堂
フランス人フューレ、プチジャン両神父によって元治元(1864)年に創建。現存するものでは日本最古の木造ゴシック様式の教会で世界史上有名な「信徒発見」の舞台でもある。
-
オランダ坂
昔、長崎の人は東洋人以外の外国人をオランダさんと呼び、居留地の坂をすべてオランダ坂と呼んだ。そのなかでもっとも有名なのが、活水女子大へと続く風情あるこの石畳の坂だ。
-
興福寺
元和6(1620)年建立の日本最古の唐寺。大雄宝殿は国の重要文化財に指定されている。インゲン豆、モヤシ、スイカ、レンコン、ダイングテーブル、印鑑の発祥地でもある。
-
旧ウォーカー住宅
初期の日本海運業界に多大な功績を残した英国人ロバート・N・ウォーカーの次男、ロバート・ウォーカー・ジュニアの旧邸。グラバー園内にある。
-
旧グラバー住宅
日本最古の木造洋館で、グラバー園のシンボル的存在。キリンビール創始者の一人とされるトーマス・ブレーク・グラバーの旧宅で、国の重要文化財に指定されている。
-
沈黙の碑
小説「沈黙」の舞台に描かれたことを記念して建立。主人公のロドリコ司祭が上陸したといわれる海を見晴らす高台に立つ。対面にある歴史民俗資料館の駐車場が利用できる。
-
諏訪神社
「おすわさま」と親しまれている長崎の総氏神で、寛永12(1625)年に再興され、長崎くんちの舞台としても有名。厄除けや縁結び祈願に多くの人が訪れる。
-
浦上天主堂
昭和34(1959)年に原爆の廃墟のなかからよみがえり、昭和55(1980)年に教皇ヨハネ・パウロ二世の訪日を前にして原爆前の聖堂を模して改装された天主堂。
-
山王神社
被爆した大クスが茂る神社。クス葉のざわめきは「日本の音風景100選」の一つ。参道の二の鳥居は、原爆の爆風で爆心側の半分が倒壊。残った片方が一本柱のまま立ち続けている。
-
旧三菱第2ドックハウス
明治29(1896)年に三菱重工長崎造船所が船の修繕所建設に際して建てた洋館。入港した外国船乗組員の休憩・宿泊施設として利用されていた。2階からは長崎港が一望できる。
-
東山手地区町並み保存センター
長崎市の有形文化財に指定されている7つの洋風住宅「東山手洋風住宅群」の一つ(B棟)。外国人居留地だった時代の東山手地区の様子を古写真などで紹介している。
-
旧リンガー住宅
元治元(1864)年に来日したフレデリック・リンガーは貿易商社を設立し、長崎の産業発展に貢献した人物。そのリンガー氏の旧宅で、国の重要文化財に指定されている。
-
聖福寺
延宝5(1677)年に鉄心禅師が創建した黄檗宗の唐寺。興福寺、崇福寺、福済寺と並ぶ長崎四福寺の一つ。境内には長崎屈指の大きさの大梵鐘、ジャガタラお春の碑がある。
-
長崎街道の石碑
新大工町と桜馬場の境に立つ。碑面には「長崎街道ここに始まる」と記されている。長崎街道は長崎と福岡の小倉を結び、この街道を経て西欧の学術や文化は全国に広まった。
-
馬込教会
昭和6(1931)年に建てられた沖之島の高台に建つ白亜のゴシック様式教会で、国の登録有形文化財。外部見学は自由で、土・日曜は教会内に入れる。午後6時から10時はライトアップされる。
-
運上所跡
海援隊士が疑われたイカルス号事件の裁判が行われたのが長崎奉行・立山役所(慶応三年8月18日)とここ(翌19日)。龍馬は才谷梅太郎の名で裁判に立ち会いました。その時の糺門が掲示板に記されています。現在は市民病院が建っています。
-
坂本国際墓地
山王通りから山手に入った場所。永井隆博士、旧グラバー住宅のもち主として知られるスコットランド人貿易商のトーマス・グラバー夫妻、その息子倉場富三郎夫妻などが眠る。
-
玉川亭跡
龍馬通りを下り、寺町通りを越え、中島川に突き当たると、龍馬が土佐藩士佐々木高行とともに、長州の桂小五郎や伊藤俊輔(伊藤博文)と会談した玉川亭跡があります。現在は幼稚園となっていますが、当時は川魚が食べられる料亭として川に面していました。
-
長崎海軍伝習所跡
安政2年(1855年)オランダの協力を得て幕府が長崎奉行所・西役所内に創設した海軍養成学校跡です。1859年に閉鎖されるまで勝や榎本武明らを輩出しました。ちなみに観光丸が練習船として使われたのはここ。現在は長崎県庁となっており、碑のみが残ります。
-
清風亭跡
龍馬が盟友・武市半平太を殺した仇敵・土佐藩参政の後藤象二郎と初会談を行った料亭跡。利害関係と共に意気投合した2人から大政奉還へと繋がっていきます。長年場所が不明とされていましたが2009年に特定されました。こちらも当時を偲ぶのはやや困難なスポットです。
-
大野教会堂
平屋、瓦葺きの建物は、ド・ロ神父の設計によるもの。随所に十字架をあしらっていて、外壁は「ド・ロ壁」と呼ばれる独特な造り。
-
カステラ神社
グラバー園に向かう手前にある神社。カステラの姿をしたカステラ様を神体にすえている。カステラ様の表情は何とも愛らしく、女性を中心に話題を集めている。
-
薩摩藩蔵屋敷跡
薩摩藩はここを拠点に亀山社中への援助を行いました。龍馬も幾度と通ったことでしょう。薩長同盟締結時には秘かに長崎に入った長州藩の伊藤博文や井上馨などもこちらにかくまわれていました。今はほぼ同じ敷地に三菱UFJ信託銀行が建っています。
-
旧長崎地方裁判所長官舎
明治16(1883)年に長崎上等裁判所長、長崎地方裁判所長の官舎として、唯一、居留地以外の長崎市内に建てられた明治初期の洋風建築。
-
原爆落下中心地
昭和20(1945)年8月9日、午前11時2分、B29が落とした原子爆弾は浦上の上空およそ500mで炸裂。中心地に立つ標柱は、この上空で原爆が炸裂したことを示す。
-
坂本龍馬之像(丸山公園)
平成21年11月に丸山公園に建てられた龍馬像で、ちょっとスマした龍馬像です。懐にピストル、右手には懐中時計、更には台座の龍の尻尾が背面でハートになるなど小ネタ満載です。台座が低いので並んで写真を撮れるのも特徴的!
-
円福寺
弘法大師が修行した場で知られる円福寺は、香焼行政センター横の400段の階段を登ったところにある。弘法大師が修行したといわれる岩壁のくぼみを見ることができる。
-
崇福寺
寛永6(1629)年に長崎に在留していた福州人たちが故郷の僧超然を迎えてつくった寺。本堂と第一峰門の2つの国宝と、山門など5つの国の重要文化財がある。
-
小曽根家宅跡(海援隊本部跡)
豪商・小曽根家の邸宅跡。長男・乾堂や海援隊士でもあった四男・英四郎は金銭的に龍馬や社中をバックカップ。後の海援隊本部はここ!龍馬の幼馴染・饅頭屋こと近藤長次郎が密航未遂の罪で切腹したのもここです。現在は長崎地方法務局が立ちます。
-
本蓮寺
西坂公園から東南へ小さな石段を下ったところにある日蓮宗の寺。境内にはキリシタン弾圧の際に南蛮人が掘ったという伝説が残る南蛮幽霊井戸がある。
-
大浦慶居宅跡
幕末から明治にかけて日本茶の輸出で一代を築いた女傑「大浦慶」の住居跡。龍馬や陸奥宗光を始めとする志士たちの経済的な援助も行っていました。当時は426坪の広大な敷地で長崎を代表する庭園を擁しました。晩年は不遇でしたが、死の直前に明治政府より功労褒賞が贈られました。
-
出津教会堂
長崎市街の北西部の位置する西彼杵半島にある。布教活動だけでなく、医療、教育などの産業や文化を伝え、地域の社会福祉にも貢献したド・ロ神父が設計したもの。
-
龍馬のぶーつ像
龍馬通りの長い階段を上りきった見晴らしのよい高台に設けられたモニュメント。龍馬が愛用したブーツよりも大きめの銅製で、両足を入れることができる。記念撮影スポットとして人気だ。
-
土佐商会跡
土佐藩が1866年に設置した長崎出張所。後藤より岩崎弥太郎が運営を任され、武器輸入などを行いました。弥太郎は同時に海援隊の資金管理も担当しました。ちなみに実際の土佐商会はこちらの交差点付近。鐵橋の手前に碑が建っています。
-
日本二十六聖人殉教地
長崎市街を見下ろす西坂公園にある。豊臣秀吉の禁教時代に信仰を貫き通したペトロ・バプチスタ神父以下6人の宣教師と日本人信者20人が処刑された場所。
-
旧オルト住宅
英国の貿易商人として来日したウィリアム・オルトの旧宅。慶応元(1865)年の施工で、長崎に残る石造りの洋風住宅では最大。国の重要文化財に指定されている。
-
若宮稲荷神社
緑の木々の中、朱色の鳥居が鮮やかな神社。坂本龍馬ら幕末の志士が参拝したことで知られる。10月14・15日の例大祭には白キツネに扮した氏子が竹ざおの上で「竹ン芸」を奉納。
-
大浦国際墓地
文久元(1861)年、安政の開国後に設けられたもので、川上町の丘に墓碑が整然と並ぶ。大半は船員など長崎に定住したのではなく、往来しただけの外国人が眠っているのが特徴だ。
-
カトリック黒崎教会
小説『沈黙』の舞台、黒崎地区の高台に建つロマネスク様式の教会。教会がある場所からは、角力灘の青い海を望むことができる。礼拝の際は静かに行動するのがマナー。
-
ドンドン坂
グラバー園、大浦天主堂など、観光客でにぎわうグラバー通りとは逆に、石畳の坂道を上り下りしてたどりつくのがドンドン坂。雨が降ると水がどんどん速く流れることが名の由来。
-
福済寺
坂本龍馬とともに逗留したと勝海舟の日記に記された寺。原爆と戦争の犠牲者のためにつくられた地上35mほどの巨大な観音像が立つ。
-
後藤象二郎宅跡
藩命にて武器や軍艦の買い付けに長崎へとやってきた土佐藩参政・後藤象二郎の居宅跡です。後に岩崎弥太郎が譲り受けました。現在のテレビ長崎の正面玄関左横に碑が立っています。
-
梅園身代り天満宮
名妓愛八をはじめ、多くの遊女が訪れたという料亭花月の裏門近くにある天満宮。丸山町の氏神で、心身の悩みを身代わりになって助けてくれるといわれる。
-
長崎県防空本部跡(立山防空壕)
太平洋戦争中に空襲警報が発令されると県知事ら要員が集まり、警備、救護などの指揮をした場所。当時、ここにいた人の証言パネル、電話のバッテリーなどの現物資料を展示。
-
史蹟料亭 花月
1642年創業の老舗料亭で現存する唯一の丸山遊郭の建物。イカルス号事件当時、花月で遊んでいた海援隊士・菅野覚兵衛、佐々木栄に嫌疑がかけられた。事件後に龍馬は奉行所に苦情書を提出。その下書きが残されています。
-
晧台寺
江戸初期に建立された曹洞宗の寺で、修行僧がいる専門道場でもある。毎週土曜の夜は定例坐禅会を行っている。シーボルトの日本人妻、滝ら有名人の墓がある。
-
善長谷教会
赤紫と白の外観が目を引く教会。映画『精霊流し』『長崎ぶらぶら節』のロケ地としても知られる。教会前の木に吊るされた鐘は祈りの時間を住民に知らせるためのもの。高島や軍艦島を望む。
-
住吉神社
寛永11(1634)年に航海安全をつかさどる海の神様を祀って創建された神社。商売繁盛、安産守護の神様でもあり、祈願に訪れる人が絶えない。
-
俊寛僧都の墓
平安末期に平家討伐をくわだてた罪で京都から島に流刑され、恩赦を与えられぬまま果てた俊寛を召使の有王丸が丘の上に葬ったとされる。長崎市の有形文化財。