鎌倉・湘南の「歴史」観光スポット(全100件)
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鶴岡八幡宮
源頼朝公が創建して以来、昔も今も鎌倉の象徴として親しまれている。境内には国の重要文化財である本宮など、歴史を今に伝える建造物が点在している。歴史的な行事も多い。
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和田塚
鎌倉幕府設立に貢献した和田義盛は建保元(1213)年、北条氏に対して挙兵したが敗れた。明治25(1892)年、付近の道路工事の際に多数の人骨が発掘され、和田一族の遺骨として祀られた。
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江島神社
江の島に古くからある神社。参道の大きな鳥居の先にある瑞心門をくぐると辺津宮、さらに石段を上がると中津宮、そして奥には奥津宮があり、この3つの宮を総称して江島神社と呼ぶ。
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長谷寺
天平8(736)年創建と伝わる鎌倉でも有数の古刹。境内は四季の花々が咲き、明るく開放的な雰囲気。長谷観音などがあり、見晴台から海も眺められる。
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龍口寺
日蓮宗霊跡本山のひとつ。龍ノ口刑場跡に建てられた寺で、神奈川県唯一の木造五重塔のほか、大阪雷雲寺の発願で竣工した山門の彫刻など見どころが多い。厄除けの霊場として有名。
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円覚寺
JR北鎌倉駅を降りると、目の前はもう円覚寺の境内。山門や洪鐘など見所が多く、かつて夏目漱石や島崎藤村も参禅した。臨済宗円覚寺派の大本山。
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鎌倉宮
後醍醐天皇の皇子・護良親王を祀る神社。明治天皇が創建した。境内奥には、足利尊氏に捕らえられた親王が幽閉されていた土牢が残る。境内で催される秋の薪能が有名だ。
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寒川神社
古くから庶民の信仰を集めている、全国唯一の八方除の信仰で有名な神社。広大な境内は、歴史の重みが感じられる。周囲は森で囲まれているので、散歩してみるのもいい。
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宝戒寺
秋になると白萩が咲き乱れることから「萩寺」とも呼ばれる。境内にはほかにも四季の花が多く、開花時期には鮮やかな色彩を放つ。本堂には木造地蔵菩薩像が安置されている。
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高徳院
高さ11.312mの鎌倉大仏を本尊とする浄土宗寺院。大仏の鋳造が始まったのは建長4(1252)年。かつては大仏を覆う大仏殿があったが、明応7(1498)年の海潮により流失。
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東慶寺
かつて縁切り寺、駆込み寺として知られた禅刹。境内には2月の梅、初夏のハナショウブなど四季の花々が美しく咲き、かつての尼寺の雰囲気を伝えている。墓所には文人の墓と碑が多い。
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建長寺
北条時頼が建長5(1253)年に創建したわが国最初の禅道場で、臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉五山第一位の格式を誇る。境内最奥の半僧坊は瑞泉寺方面への天園ハイキングコースの入口。
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瑞泉寺
鎌倉を代表する「花の寺」。嘉暦2(1327)年に夢窓国師(夢窓疎石)を開山にして創建された。本堂奥手の夢窓国師作の庭園は国の名勝指定。境内には文学碑も多い。
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御霊神社
祭神は平安時代の武士、鎌倉権五郎景政。「弓立ての松」があり、福禄寿は鎌倉・江の島七福神のひとつ。面掛行列は県の無形民俗文化財に指定されている。
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満福寺
天平16(744)年、行基が聖武天皇の命で建てた真言宗の古刹。源義経が頼朝宛に腰越状をしたためた寺で義経手洗いの井戸、弁慶の腰掛け石が残る。本堂の襖絵は見事な漆画だ。
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極楽寺
桜並木とサルスベリの参道が美しい真言律宗の寺院。かつては多くの塔頭を備えた大寺院だったが、今は大正時代に建てられた本堂だけが残されている。静かなたたずまいの古刹だ。
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報国寺
鎌倉時代末期に足利家時によって創建されたといわれる、清楚なたたずまいの禅寺。本堂裏手には孟宗竹の竹林が広がり、「竹の寺」として訪れる人々を魅了する。
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荏柄天神社
受験シーズンは合格祈願の絵馬で社殿の壁がいっぱいになる天神。境内には154人の有名漫画家のカッパの絵をレリーフした、ユニークな絵筆塚が立つ。
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小動神社
小動岬の緑に覆われた小高い岬に立つ神社。高台は展望台になっており、江の島から三浦半島までの大パノラマが広がる。源氏武将の佐々木盛綱ゆかりの地。
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本覚寺
源頼朝が建てたと伝わる夷堂の旧跡に、永享8(1436)年に日出上人が創建した寺院。日蓮の遺骨を身延山から分骨したことから、東身延とも呼ばれる。
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六地蔵
由比ヶ浜大通りと今小路が交わる角にある、刑場跡を供養する6体の地蔵尊。かたわらには松尾芭蕉の「夏草やつはものどもが夢のあと」の碑が立っている。
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海蔵寺
建長5(1253)年創建の臨済宗寺院。水とのかかわりが深く、山門脇には鎌倉十井のひとつの「底脱の井」、仏殿奥には16の湧水をたたえた「十六の井」がある。
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大船観音寺
大船駅前の山上に建つ白衣観音像は、高さ25.3m。境内は四季折々の花が咲き、散策も楽しめる。2月の節分豆まき、9月のゆめ観音など、行事の際は大勢の参詣者で賑わう。
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白旗神社
源義経公を祀り、藤沢の義経伝説を代表する存在。境内には義経神輿と弁慶神輿の二基が納められている。近隣には義経の首洗い井戸など、関連史跡が多い。
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佐助稲荷神社
源頼朝に挙兵を勧めたという稲荷神を祀る神社。100本以上ある赤い鳥居とのぼり旗が参道に独特のアーチを造る。境内で遊ぶリスたちは子供たちの人気者だ。
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浄妙寺
文治4(1188)年創建の禅刹。かつては七堂伽藍と23の塔頭を備えた鎌倉五山第五位の大寺院だったが、現在は優美な銅葺き屋根の本堂が往時をしのばせる。
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浄智寺
杉木立の中に建つ唐風の鐘楼門が、鎌倉五山第四位の気品と山寺のような深閑とした風情を感じさせる。総門の手前には鎌倉十井のひとつ、「甘露の井」がある。
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妙隆寺
熱した鍋をかぶせられる拷問を受け、鍋かむり上人の名で知られる日親上人が第二祖。本堂脇に上人が京都布教に発つ前に水行した池と、奥の社の中には日親上人の石像がある。
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補陀洛寺
養和元(1181)年に源頼朝が文覚上人を開山に建立した。本尊は十一面観音。七堂伽藍を完備した大寺院だったが、火災や竜巻で失い、現在は本堂と庫裡を残すだけである。
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葛原岡神社
葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は後醍醐(ごだいご)天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿をお祀りする神社だ。
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鴫立庵
江戸時代に俳句道場として造られた庵。法虎堂(ほうこどう)、観音堂、円位堂が並ぶ。かの西行法師が旅の途中で歌を詠んだ場所にふさわしく落ち着いたたたずまいをみせる。
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妙法寺
建長5(1253)年、日蓮が安房より来て建てた日蓮宗最古の寺。延文2(1357)年に護良親王の遺児、日叡が再興した。本堂裏の石段は美しいコケでおおわれている。
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明月院
数千株のヒメアジサイをはじめ、ロウバイやハナショウブなど四季の花々が境内を彩る明月院。境内には北条時頼の墓所や鎌倉最大のやぐら(洞窟墳墓)がある。
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成就院
極楽寺坂切通に建つ、承久元(1219)年北条泰時建立の真言宗寺院。参道から望む由比ヶ浜の眺めがすばらしい。
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光則寺
花の寺のひとつとして訪れる人が多く、4月上旬には本堂前のカイドウが咲き乱れる。冬には、花全体が淡黄色の素心ロウバイ、ウメなどが咲く。5月中旬〜6月上旬のヤマアジサイも楽しめる。
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江島神社奥津宮
神門の天井に「八方睨みの亀」が描かれている奥津宮。江戸時代の有名な画家、酒井抱一の作であるが、どの方向から見てもこちらを睨んでいるようにみえる不思議な作品。
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遊行寺
700年の歴史と文化的資料に触れられる場所。敷地内の景観も素晴らしく、四季それぞれに楽しめる。収蔵品は、仏教美術を中心とした多数の絵画、書跡、工芸、時宗の文書で構成されている。
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元八幡
康平6(1063)年、源頼朝公の祖先、源頼義は由比若宮(元八幡)を祀った。のちに鎌倉入りした頼朝公は、この社を現在の鶴岡八幡宮の地に遷し、鎌倉幕府の象徴とした。
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宇津宮辻子幕府跡(宇津宮稲荷神社)
尼将軍北条政子の死後、4代将軍藤原頼経が嘉禄元(1225)年から嘉禎2(1236)年の間、政治を行った場所。稲荷から南北約180メートルの範囲が幕府庁舎があった場所とされる。
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銭洗弁財天宇賀福神社
祠に湧く霊水でお金を洗い、心を清めて行いを慎めば商売繁盛するといわれている神社。源頼朝が宇賀福神の導きで建てたところ、世の中の混乱が次第に治まったという。
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佛行寺
明応4(1495)年に創建されたと伝えられる日蓮宗の古刹。本堂横の坂道を登り墓地を抜けると、梶原源太景季の右腕を祀った源太塚がある。少し足を延ばせば夫婦池を望むことができる。
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明王院
嘉禎元(1235)年、鎌倉幕府四代将軍・藤原頼経により建立。鎌倉幕府の将軍の発願によって建立され、鎌倉市内に現存し、五大明王を祀っている唯一の寺院。毎月28日の護摩法要は誰でも参加可能。
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収玄寺
日蓮宗寺院で開山は妙詣尼、開基は圓守院日勇上人。日蓮に帰依した武士、四條金吾頼基公(法号は収玄院日頼上人)の屋敷跡に建立。境内には季節の花木、野草が、参詣者目を楽しませている。
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大巧寺
鎌倉駅から若宮大路に出てすぐのところにある小さな寺。安産の神様とされる産女霊神、通称おんめさまで知られる。境内には四季折々の花が咲き、目を楽しませてくれる。
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江の島大師
鹿児島・最福寺の別院。本尊は赤不動明王像。中国蘇州の緻密な刺繍仏画も20点を常時展示。四季折々の花が咲き、カルガモが飛来する湧水の池がある。近年「花のお寺」として知られている。
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霊光寺
日蓮の雨乞いの霊験をまつるために建てられた霊光寺。石段の上には御題目を唱える威厳に満ちた日蓮の像が両手をあわせている。雨を司る神、八大竜王もまつられている。
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川勾神社
相模国二之宮として格式高い古社。茅葺きの神門が厳かな雰囲気をたたえている。緑深い境内にある夫婦杉は、縁結びと安産の神木として信仰をあつめる。
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吾妻神社
日本武尊の妻・弟橘媛が、夫のために嵐の海へ入水した伝説にまつわる神社。良縁成就の御利益がある。吾妻山の山中に位置し、富士山や相模湾が見渡せる。
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大慶寺
かつては関東十刹のひとつに数えられる禅寺で、七堂伽藍と7つの塔頭があったという。現在は、茅ぶきの山門が往時の姿をしのばせるのみだ。
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来迎寺
永仁元(1293)年、一向上人により開山。本尊は阿弥陀如来像。鎌倉彫刻の特徴のひとつである土紋装飾を施した木造坐像の如意輪観音でも知られる。
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杉本寺
奈良時代に名僧行基が開いたと伝わる鎌倉最古の古刹。茅葺き屋根の観音堂と苔むした石段が長い歴史を物語る。石段脇と境内の白い幟と、無数の五輪塔が独特の雰囲気。
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八雲神社
鎌倉に疫病が蔓延した11世紀末、源義光が京都の祇園社を勧請して開いたとされる。鎌倉最古の厄除け神社として知られ、7月の例祭は多くの人で賑わう。
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東勝寺跡
元弘3(1333)年の鎌倉攻めで、北条高時らが一族郎党とともに立てこもった寺院の跡。やぐらと呼ばれる洞窟状の穴があり、滅亡した北条一族を祀っている。
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甘縄神明宮
鎌倉幕府以前からの歴史をもち、和銅3(710)年の創建といわれる。源頼朝や北条政子、源実朝もたびたびここを詣でたという。祭神は天照大神で村の鎮守五社明神社を合祀している。
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安国論寺
四季の花が美しい日蓮上人ゆかりの寺院。境内に残る岩屋“御法窟”で日蓮上人が「立正安国論」を執筆したと伝わるほか、ゆかりの場所や品が数多く残る。
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江島神社辺津宮
万寿3(1206)年に源実朝が創建。現在の社殿は昭和51(1976)年に改築したもの。奉安殿には日本三大弁天のひとつ妙音弁財天(裸弁天)と頼朝寄進の八臂弁財天を安置。
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護良親王墓
建武元(1334)年、護良親王は足利尊氏に捕らえられ、1年後に殺害された。山頂に護良親王の墓がある。陵墓のため登れない。
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上行寺
正和2(1313)年、日範上人によって開創。皮膚病や癌封じに利益がある瘡守稲荷と身代わり鬼子母神をまつる。山門の裏側には、名工左甚五郎作といわれる龍の彫刻がある。
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大本山光明寺
材木座海岸を目前にした浄土宗の大本山。寛元元(1243)年の創建で、鎌倉一の山門は弘化4(1847)年に建築されたものだ。精進料理でも知られる。
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大江広元墓
頼朝の有力な側近として貢献した大江広元の墓と伝えられている。十二所にも墓と伝えられるものがある。頼朝の墓の東側にある石段を登り石垣に囲まれた横穴のうち右側の横穴である。
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伝上杉憲方墓
室町幕府初期の武将で関東管領であった上杉憲方の墓と伝えられる。層塔が国の史跡に指定されている。極楽寺の支院であった西方寺跡の一角に造立されている。
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白旗神社
建立は明治5(1872)年。源頼朝を祭神とし源氏の白旗にちなんだ名を持つ神社。奥には、国の史跡に指定された「法華堂跡(源頼朝墓)」の石碑が建つ。
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円久寺
もとは妙本寺の末寺であった。隣にある常盤の鎮守八雲神社はかつて円久寺に属し、天王社と呼ばれていた。
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龍口明神社
欽明13(552)年創建と、鎌倉随一の歴史を誇る神社。五頭龍大神を龍口山の龍の口にあたる地に祀ったのが発祥とされ、昭和53(1978)年に現在地に遷座した。
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長勝寺
弘長3(1263)年、日蓮に帰依して出家した石井長勝が自邸を提供して、日蓮を開山として建立した。境内には辻説法姿の日蓮聖人像と四天王像が建っている。
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窟堂(岩窟不動)
源頼朝の時代以前からあったといわれる窟堂(岩窟不動)。本尊である石造りの不動明王を拝むことができる。この前の道は、大変古く、窟堂道や窟(岩屋)小路などといわれる。
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寿福寺
総門から山門へとのびる、石畳の参道の美しさで知られる鎌倉五山第3位の名刹。境内の拝観はできないが、仏殿裏手の山腹にはやぐら群があり、北条政子と源実朝の供養塔がある。
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常楽寺
鎌倉幕府3代執権北条泰時が妻の母を供養する粟船御堂を建てたのが始まり。かやぶきの山門は趣があり、北条泰時の墓や高僧として有名な大応国師の墓が残る。
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坂東七番 光明寺
本堂は平塚市内最古の建築物。本尊を安置する禅宗様の厨子も同様に古く、国指定の重要文化財となっている。本尊の聖観音は平安時代末期の作といわれている。
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六所神社
相模国総社に定められ、源頼朝も参拝した由緒ある神社。祭神の櫛稲田姫命にちなむ櫛形のお守り「湯津爪櫛」は、良縁など女性に霊験あらたか。
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旧島崎藤村邸
島崎藤村が晩年を過ごした邸宅。大正末期に建てられたもので、ここで「東方の門」を執筆したという。落ち着いた趣のある空間に心が洗われる。
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十二所神社
朝夷奈切通に近い山間にひっそりと立つ簡素な神社。かつては茅葺き屋根だったが、現在は銅葺きに改修されている。境内には社殿と神楽殿がある。
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安養院
春はツツジの花に包まれる北条政子ゆかりの寺。夫頼朝の菩提を弔うために建てた長楽寺と焼失した田代寺、浄土宗の善導寺がひとつとなり安養院となった。
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白山神社
本殿には源頼朝が京都の鞍馬寺から移した毘沙門天と菊理姫之命がまつられている。毘沙門天は高さ1.8mもある。鳥居に渡らせたしめ縄はムカデをモチーフにしている。
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旗上弁財天社
鶴岡八幡宮境内、源氏池の小島にある。源頼朝公の旗上げの際にお告げを授けたという弁財天が祀られている。旗上弁財天社の社務所では、政子石にちなんだ子授け守(有料)を授与している。
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光照寺
一遍上人法難霊場。江戸時代に隠れキリシタンに門を開いた寺。山門にはクルス紋が掲げられている。おしやぶき「せきの神様」・子育て地蔵がある。
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江島神社中津宮
仁寿3(853)年、慈覚大師が創建。現在の社殿は元禄2(1689)年に再建されたものだが、豪華な朱塗りや寄贈された石燈篭などから、当時の江の島信仰の深さを垣間見ることができる。
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虚空蔵堂
奈良時代、民衆教化や社会事業を行った行基は虚空蔵求聞持という修法を行った。井戸から黒く光る石が出てきたのでそれを虚空蔵菩薩の化身として像を彫り、お堂に安置した。
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阿仏尼の墓
冷泉家の祖を生んだ女流歌人、阿仏尼が眠るといわれている墓。英勝寺の通用門を過ぎて扇が谷へ歩くと、途中の崖下にやぐらがあり、やぐらの中に六層の石造塔が安置されている。
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群猿奉賽像庚申塔
4面に36匹の猿が浮き彫りされた石塔。市の重要文化財に指定されており、守り神といわれる。見ざる、聞かざるなどのしぐさをはじめ、さまざまな猿の姿態が描かれている。
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法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)
鎌倉幕府を開いた源頼朝と、第2代執権として政権の基礎を固めた北条義時を供養した堂の跡。現在の頼朝の墓塔は安永8(1779)年、頼朝と縁深い薩摩の島津重豪が整備し、近年復元された。
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平塚八幡宮
仁徳天皇の代に創祀されたという由緒ある神社。1600余年の歴史を感じさせる重厚な佇まいで、市街地近くでありながら緑豊かな境内は散策にぴったり。
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九品寺
新田義貞が鎌倉攻めの本陣をはった場所のひとつである。建武3(1336)年、風航順西を開山に招いて創建。本尊は阿弥陀三尊像。寺宝に薬師如来像や石像閻魔大王像がある。
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半僧坊(建長寺)
境内の最奥、山の中腹にある建長寺の鎮守で、天園ハイキングコースの入り口でもある。厄除けや火防、福寿増長などさまざまな御利益があるとされる半僧坊大権現が祀られる。
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青蓮寺
この寺の開山は弘法大師といわれている。本尊の木造弘法大師坐像は鎖大師の名で知られるが、これは、足の関節が鎖細工により動くため。ふだんは秘仏で、ご開帳は年5回。
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円応寺
十王がまつられている寺。十王とは死後、冥界で出会う10人の王で、言わば生前の行いを裁く裁判官。十王堂(閻魔堂)には木像閻魔王坐像を中心に12体の像が並んでいる。
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鎌倉山神社
笛田の鎮守である三嶋神社を勧請した社。もと、「山の神」として崇められていたが、昭和初期に社殿が改築され、現在の名前になった。付近からは富士山や江の島などの眺望が楽しめる。
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長興山 妙本寺
北条氏に滅ぼされた比企一族の供養の寺として、日蓮聖人により創建された寺院。比企一族の墓は鎌倉時代の権力闘争の凄まじさを静かに物語る。
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覚園寺
薬師堂ヶ谷の最奥にあり、愛染堂に愛染明王坐像、薬師堂に薬師如来や十二神将、地蔵堂に地蔵菩薩坐像が安置される。旧内海家住宅、棟立の井、十三仏やぐらなども見られる。
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等覚寺
美しい山門が目を引く、室町時代創建の古義真言宗の寺。堂内安置の地蔵菩薩が有名で、参拝すると、子のない人は子を授かり、子のある人はその子が出世するといわれる。
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大倉幕府跡
法華堂跡(源頼朝墓、北条義時墓)の下に大倉幕府の西門があった。治承4(1180)年に鎌倉入りした頼朝は大倉に御所を建設し武家政治を行った。嘉禄元(1225)年に宇都宮辻子に移された。
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東光寺
天照山薬王院といい、不動明王を祀る古義真言宗の寺。1431(永享3)年、高野山の霊範が隠居所として中興した。四国八十八ヶ所お砂踏み霊場もあり、誰でも功徳を受けることができる。
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浄光明寺
本堂の阿弥陀堂とともに、観音堂、収蔵庫などが立つ。収蔵庫には観音菩薩と勢至菩薩が脇侍として祀られた国の重要文化財である阿弥陀三尊像や、地蔵菩薩像が安置されている。
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薬王寺
永仁元(1293)年に日像聖人が真言宗より改宗。本尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏。本堂、釈迦堂、鐘楼などが建ち並ぶ境内は広くはないが、参道の桜並木は有名である。徳川家、蒲生家ゆかりの寺。
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常栄寺
鎌倉では珍しい冠木門が印象的な寺。刑場に引かれていく日蓮上人に尼がぼたもちを捧げたという故事から、ぼたもち寺とも呼ばれる。境内は季節の草花に彩られた、心和む空間だ。
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日本基督教団鎌倉教会会堂
大正15(1926)年に再建された、高い鐘塔と大きな尖塔アーチ窓が特徴的な教会。当時のままのステンドグラスが残される貴重な建造物は、由比ヶ浜エリア周辺のランドマーク的な存在だ。
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光触寺
四季の花と苔むした石仏群が迎える寺院。供物の塩をなめたという塩嘗地蔵や、法師に代わって頬に焼印を受けたという運慶作の頬焼阿弥陀で知られる。拝観は10名以上の予約制。
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日蓮袈裟掛松の碑
幕府に捕らえられた日蓮が龍ノ口刑場に護送された時、着ていた袈裟を松に掛けた場所と伝えられる。現在は袈裟を掛けた松の木があった場所に石碑が立っている。
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称名寺(今泉不動)
空海の開山と伝わり、境内奥の不動堂には空海作といわれる不動明王がまつられている。石段は苔むし、長い歴史を感じさせる。空海が祈ると水が湧き、流れ出したという滝がある。
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十一人塚
元弘3(1333)年、新田義貞・足利千寿王連合軍の鎌倉攻めで亡くなった人々を弔う慰霊碑がある。かつては十一面観音像が安置されていたが現在は石碑が残るのみ。