函館の「歴史」観光スポット(全56件)
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旧函館区公会堂(函館市重要文化財)
明治の面影を残す木造洋館。大理石の暖炉を備えた応接室、シャンデリアなど、内部にも当時の華やかさが漂う。ハイカラ衣装館で、クラシックなドレスを着て記念撮影も可能。
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八幡坂
坂の上から函館湾を一望できるロケーションと、並木との組み合わせが素晴らしく、映画やテレビの撮影に数多く登場した坂道。メモリアルシップ摩周丸も見える。
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金森赤レンガ倉庫
明治末期、函館初の営業用倉庫として建造され、北洋漁業全盛期に活躍した。現在はショッピングモールやレストラン、ホールなどが集まる商業施設として利用されている。
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松前城
松前城の愛称で親しまれているが、正式名は福山城。安政元(1854)年に築城された、日本最後にして最北の日本式城建築。現在の天守閣は昭和35(1960)年に再建されたものだ。
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二十間坂
その名の通り、道幅が二十間(約36m)もある坂道。防火線のために整備されたものだが、北海道らしいおおらかさが感じられる。坂を下ると函館ヒストリープラザがある。
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函館聖ヨハネ教会
明治7(1874)年にイギリスの宣教師デニングが伝道を始めた英国プロテスタントの教会。どの角度から見ても十字架が見えるデザインが印象的。
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遺愛学院旧宣教師館
明治16(1883)年に東京以北で初めて建てられた女学校。構内には、女性宣教師の住宅として使われていた洋館が当時のままに保存されている。国の重要文化財に指定されている。
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「千の風になって」誕生モニュメント
名曲「千の風になって」の訳詩・作曲をした新井満氏が大沼の別荘でこの曲を完成させたことを記念し、設置されたモニュメント。大沼湖畔遊歩道の大島の路の途中に立地。
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太刀川家住宅店舗
明治34(1901)年、米穀店、漁業、回漕業を営む初代太刀川善吉が建てた住宅と店舗。レンガを積み、漆喰を塗った土蔵造りの建物は重要文化財に指定されている。
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亀井勝一郎文学碑
明治から大正にかけての函館を、詩情豊かに綴った随筆集「函館八景」の作者。緑地にひっそりとたたずむ碑には『人生邂逅し、開眼し、瞑目す』と刻まれている。
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新島襄海外渡航の地碑
新島襄は知識を求め国禁だった海外渡航を決意。元治元(1864)年に福士成豊の協力によりアメリカ商船ベルリン号に乗船、渡航に成功。碑には元治2(1865)年に上海で詠んだ漢詩が刻まれている。
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ペリー提督来航記念碑
安政元(1854)年に函館港に入港したペリー提督の碑。静岡県下田で物資の代金の代わりに渡したという金ボタンは像の服にもひとつもなく、歴史的事実を忠実に再現している。
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姥神大神宮
社殿内には文化14(1817)年に賜った正一位勅宣額をはじめ、元禄7(1694)年に造られた神輿など数々の重要文化財級の宝物が陳列。予約をすれば神職が説明してくれる。
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函館護国神社
箱館戦争終結後、新政府側の戦没者を慰霊するために造った招魂場が始まり。現在の社殿は昭和17(1942)年に建設したもの。境内には、新政府側の墓や慰霊碑がある。
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称名寺
正保元(1644)年に開山した浄土宗の寺院。本堂は昭和4(1929)年に再建されたコンクリート製。円空仏や珍しい宝物、土方歳三の供養碑もあり訪問者が絶えない。
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燈台の聖母 トラピスト大修道院
明治29(1896)年に創立されたわが国最初の男子トラピスト修道院。修道院内では修道士たちが自給自足の生活を送っている。売店では4〜10月頃にかけて修道院特製のソフトクリームを販売。
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土方歳三最期の地碑
新選組副長だった土方歳三は箱館に渡り、箱館戦争の中でも激戦だった二股峠の戦いで活躍。明治2(1869)年壮絶な死を遂げた。その最期の地となったのがここだ。全国から多くのファンが訪れる。
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基坂
坂の下に明治時代に造られた里程標の木柱が立つ。坂の上は、江戸時代中期以降の亀田番所や函館奉行所、旧北海道庁函館支庁などが置かれ、函館の中心だったところ。
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幸坂
元町の西端にある坂。明治初期まで神明坂と呼ばれていたが、同時期に港湾の埋め立てにより、坂の下に幸町が作られたことから、坂名も幸坂に改称された。
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法華寺
16世紀前半に上ノ国で創立し江戸時代に江差へ移転した。本堂天井には日本文人画の第一人者池大雅の作と伝わる見事な龍が描かれ、多くの古美術が保存されている。
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函館市旧イギリス領事館
度重なる火災の後、大正2(1913)年に現在地に再建。「旧イギリス領事館」と「開港記念館」の2つのテーマを明確にした演出がされている。喫茶室や売店も併設している。
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外国人墓地
ペリー提督の来航で、水兵2名を埋葬したのが始まり。異国情緒あふれる場所だ。プロテスタント墓地、ロシア人墓地、中国人墓地などがあり、さまざまな宗教、国の人々が眠る。
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旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)
明治20(1887)年に建てられた洋風建築物で、内部は華麗な布クロスで装飾されている。江差町郷土資料館として活用され、江差の自然・考古・歴史・民俗について展示。
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大三坂
石畳が続くおしゃれな坂道。車道と歩道の境目にガス灯を思わせる街灯が立っている。カトリック元町教会を訪れる観光客で賑わう。旧建設省の「日本の道百選」にも選定された。
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天下の号外屋翁の墓
日清戦争の頃、北海道新聞の号外をまいて“天下の号外屋”と呼ばれた信濃助治の墓。赤色を愛用した助治にちなみ墓石も真っ赤に塗るようになった。外国人墓地の奥にある。
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魚見坂
山背泊方面に来る魚の群れを見るのに便利だったことから名づけられた坂。かつて平たん地であった場所には台町があり、通称台町の坂とも呼ばれていた。
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北海道第一歩の地碑
明治維新後、名実共に北海道の入口となった函館に内地の人々が上陸し、第一歩をしるした場所。現在は整備され、ウォーターフロントと海を見渡すポイントとなっている。
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旧丸井今井百貨店
大正12(1923)年築で、現在は函館市地域交流まちづくりセンターとして、市民や観光客に幅広く利用されている。当時の手動式エレベーターは今も現役。見学もできる。
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与謝野寛・晶子の歌碑
津軽海峡に突き出た景勝地、立待岬に立つこの碑は、与謝野寛、晶子夫妻が昭和6(1931)年に函館に訪れた際に、詠んだ歌が刻まれている。ほかにも宮崎郁雨の歌碑も隣接。
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函館八幡宮
大正7(1918)年に完成した社殿は、聖帝造りをアレンジした八幡造りとなっている。お盆には、勇壮な函館八幡宮例大祭が行われ、神輿を担いで133段の石段をかけ上る。
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函館中華会館
明治43(1910)年、貿易のために移住してきた華僑が建てた集会所。本国から招いた技師や職人が、釘を1本も使わず、清朝時代の伝統工法にのっとって建築した。
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遺愛幼稚園
大正2(1913)年建築。木造で外壁がペンキで塗られている。アメリカ・メソジスト派であるため、アメリカンな雰囲気が漂う。当初は遺愛女学校があり、その後幼稚園を併設した。
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チャチャ登り
大三坂の先にある坂。チャチャ登りの「チャチャ」とはアイヌ語でおじいさんという意味。おじいさんのように腰を曲げて登るほど、急な坂ということからついた。
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碧血碑
箱館戦争で死亡した新選組の土方歳三をはじめ、約800人の旧幕府軍の脱走兵の霊がまつられている。碑の題字は陸軍奉行を務めた大鳥圭介の書とも言われているが詳細は不明。
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函館ハリストス正教会
ロシア領事館付属聖堂として安政7(1860)年に建てられた日本最古のギリシャ正教会の聖堂。大正5(1916)年に再建された。聖堂内は約70枚のイコンで飾られており厳かな雰囲気が漂う。
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湯倉神社
湯の川温泉発祥の地とされる神社。碑が立っており、温泉の歴史が書かれている。大きな道路に囲まれているが、境内は意外と静かだ。マナーを守って見学しよう。
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宮津弁天宮
海に突き出た岬の高台にある社。もともとは島の拠点となる「番所」が建てられていたが、江戸時代末期に大漁祈願のために社を建て、弁天様を祀ったのが始まりだ。
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日和坂
二十間坂上から基坂上へと行く横道に出るとある。この通りは観光スポットの一つで伝統的建造物を改装した喫茶店や、古い民家を改装したみやげ店などが並んでいる。
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亀井勝一郎生誕の地碑
勝一郎は思想家・評論家で、「大和古寺風物誌」が有名だ。カトリック元町教会の真向かいにこの地碑が立っており、元町の環境は彼の思想に大きく影響を与えたという。
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カトリック元町教会
重厚なゴシック様式の教会。最初の建物は明治40(1907)年に焼失。現在の聖堂は大正13(1924)年に再建された。祭壇はローマ法王から贈られた日本唯一のもの。
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東本願寺(函館別院)
真宗大谷派で阿弥陀如来が本尊。寛文8(1668)年、松前専念寺六世浄玄が木古内に阿弥陀堂を創設したことに始まる。平成19(2009)年に国の重要文化財に指定される。
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志苔館跡
室町時代初期、本州から渡来した和人豪族が築いた館の跡。志苔館近くで工事中のブルドーザーが古銭入りの大ガメを発見したのは昭和43(1968)年。出てきた古銭は38万あまり。
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曹洞宗 高龍寺
寛永10(1633)年に建立された寺院。現在の場所に移ってきたのは明治末期。境内ほぼ全ての建物が有形文化財に登録されている。
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宮崎郁雨の歌碑
函館の歌人である宮崎郁雨は、石川啄木を支えた文学仲間のひとり。のちに節子婦人の妹と結婚して義弟となった。石川啄木一族の墓から10mほど、離れた場所にある。
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四稜郭
五稜郭の北3kmにある西洋式の土塁跡。明治2(1868)年に五稜郭の後方攻撃に備えて急造した砦。蝶が羽を広げたような四稜の形状となっており、昭和9(1934)年に国の史跡に指定。
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天使の聖母トラピスチヌ修道院
西欧の古城を思わせるような赤レンガ造りの女子観想修道院。現在も修道女が修道生活を送っている。内部の見学はできないが、付設の資料館で院内の生活の写真などを展示。
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東坂
基坂の1本西側にある坂。昔、別々の名前の2本の坂があったが、明治12(1879)年の大火後区画整理により1本の坂にまとめられ、上部まで伸ばされた。その時に東坂と命名された。
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松前藩屋敷
北前船が行き来し、栄華を誇った幕末の松前を再現。近江商人の家、ニシン漁の番屋など、約14棟の建物が並ぶ。
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史跡上之国館跡
松前家の始祖・武田信広が文明5(1473)年頃に築いたとされる勝山館。昭和54(1979)年から本格的な発掘調査が行われ、約7万点にも及ぶ遺物が発見。北海道の中世史を解明する貴重な史跡だ。
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日本基督教団函館教会
昭和6(1931)年に完成したゴシック様式の建物。亀井勝一郎氏も通ったことのある教会で、明治7(1874)年にアメリカから宣教師ハリスが来日し布教を続けた。
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旧小林写真館
道内に現存する写真館としては最も古い建築物。明治40(1907)年築で、平成21(2009)年に全面改装し、写真館として営業。北側屋根が採光用のスラントになっており、建築時の姿が見られる。
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相馬株式会社
大正2(1913)年に建造され、現在も社屋として使用されている。屋根窓を設けたルネッサンス風の商家建築で、夜はやさしい緑の光でライトアップされる。
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旧ロシア領事館
安政5(1858)年に初代ロシア領事が着任し、ハリストス正教会敷地に領事館を建立した。現在の建物は明治41(1908)年に建てられたもの。
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市電操車塔
交差点から電車に信号を送ったり、ポイントの切り替えを手動で遠隔操作するために建てられたもので、国内最古といわれている。現在は使用されておらず形態保存されている。
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高田屋嘉兵衛像
昭和33(1958)年の函館開港100年を記念して造られた。高田屋嘉兵衛は北海道、千島の漁港を開拓して得た利益を函館の開発に投入。函館の歴史を語るに欠かせない人物だ。
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石川啄木一族の墓
函館をこよなく愛した石川啄木夫妻と両親、3人の子どもらが眠る墓。啄木が友人への手紙で「死ぬときは函館で」と書いたことによる。大森海岸を見下ろす高台にある。