南紀・白浜の「歴史」観光スポット(全40件)
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熊野那智大社
熊野速玉大社、熊野本宮大社とともに熊野三山と呼ばれる熊野信仰の中心地。境内にはひときわ鮮やかな朱塗りの拝殿と6棟の本殿が並び、拝殿の横には平重盛手植えと伝わる大楠がそびえる。
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熊野本宮大社
熊野詣の人々があこがれ旅した熊野の神の社。熊野三山の一つで全国の熊野神社の総本宮。鬱蒼とした杉木立が周辺を囲み、信仰の地にふさわしい厳粛な雰囲気に満ちている。
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神倉神社
新宮市の千穂ヶ峰の南端に鎮座している。60mの絶壁の上のごとびき岩と呼ばれる巨岩が御神体で、その横に社殿がある。勇壮な祭として名高いお燈祭はこの神社の祭典。熊野速玉大社の元宮。
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熊野速玉大社
本宮・那智とともに熊野三山の一つ。社殿はいずれも丹塗りの鮮やかなものだ。神宝が多く、国宝の室町時代の神宝類をはじめ約1200点にのぼる文化財は神宝館に収蔵されている。
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熊野古道 大門坂
大勢の人々が熊野三山をめざして歩いた熊野古道。苔むした石畳道を樹齢を経た杉の大木が包む大門坂は古道の面影が色濃く残る道で、往時の雰囲気を味わいながら散策できる。
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滝尻王子
熊野九十九王子の五体王子の一つ。熊野古道の途中に藤原秀衡が熊野参詣を行うため子を預けた乳岩があり、子は岩からしたたる乳を飲んで狼に育てられたと伝えられている。
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高山寺
聖徳太子の開創と伝わる真言宗の古刹。境内には縄文時代初期の貝塚が3か所あり、高山寺貝塚として国の史跡に指定されている。南方熊楠の墓はこの寺の墓地にある。
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高原熊野神社
中辺路の集落を見渡す高原にある神社。境内には大クスが茂り、丹塗りに極彩色の絵を施した社殿が立つ。平安時代の創建で、熊野古道沿いに残る最も古い社殿と伝わる。
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興禅寺
創建は平安時代と伝えられる上富田町一の古刹。通称「だるま寺」と呼ばれるこの寺には、日本一という白いだるまの座像が鎮座し、訪れる拝観者を見据えている。
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闘鶏神社
弁慶の父といわれる熊野別当の湛増が、ここで紅白の鶏を闘わせて、熊野水軍が源平いずれに味方するかを決めたと伝わる。社宝として弁慶産湯の釜、義経の笛などの品を所蔵している。
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東光寺
湯の花が自然に薬師如来の形に積もったものを本尊として安置したのに始まると伝わる。本尊の胸から湯が湧きだした為、湯の胸温泉、転じて湯の峰温泉の名になったという。
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天誅倉
小又川の高台にある茅葺き2階建ての土蔵は、幕末に尊皇攘夷を掲げた過激な一派、天誅組の残党が幽閉されたところ。柱に血書した辞世の歌が、当時のまま保存されている。
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本覚寺(貝寺)
白浜では最古の寺で紀州徳川家の崇敬があつかった。付近で獲れた珍しい貝を藩主に献上する白浜の慣例に従い、多くの貝を集めたことから、別名「貝寺」と呼ばれている。
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稲葉根王子
旧国道311号沿いに立つ熊野古道の王子跡。この付近の富田川は一の瀬の垢離場で、一度この流れを渡れば、あらゆる悪業煩悩が消えると信じられていた。
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無量寺
江戸中期に円山応挙に依頼した障壁画を持って弟子の長沢芦雪がこの地を訪れ、1年近く留まり襖絵に腕をふるった。境内にある応挙芦雪館は2人の作品を中心に展示している。
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伏拝王子
長く厳しい参詣道を歩いてきた参詣者が熊野本宮大社をはじめて望み、遠く望んで伏して拝んだことからこの名がついたといわれている。石祠と和泉式部供養塔が建てられている。
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成就寺
江戸時代、師の円山応挙にかわり、この地方の寺院を歴訪した際、芦雪が最初に立ち寄ったのがこの寺院で本堂45面を飾る襖絵を残している。現在、芦雪の襖絵は和歌山県立博物館に収蔵されている。
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トルコ軍艦遭難慰霊碑
明治23(1890)年、紀伊大島沖でトルコ皇帝の特使を乗せた軍艦が遭難した。乗員580余名の犠牲者の慰霊碑。当時の資料を展示するトルコ記念館がある。
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水呑王子
熊野古道九十九王子の一つ。発心門王子と伏拝王子の間に位置し、三里小学校三越分校の校地跡にある。社はなく、水呑王子と記された江戸時代の緑泥方岩が立っている。
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那智山青岸渡寺
西国三十三所の第1番札所。本堂は豊臣秀吉が再建したもので国の重要文化財。鮮やかな朱塗りの三重塔は昭和47(1972)年に再建されたもの。原生林と那智の滝とのコンビネーションが印象的だ。
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箸折峠・牛馬童子像
国道311号から山道を登ったところに箸折峠がある。峠の名は、花山法皇がカヤを折って箸にしたという逸話に由来する。峠には愛らしい牛馬童子像と苔むした宝篋印塔が立つ。
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継桜王子
熊野古道九十九王子の一つ。社に至る石段の両脇には樹齢千年ともいわれる杉の木が立つ。那智山の方向に枝をのばし、野中の一方杉と呼ばれる。
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比曽原王子
熊野古道九十九王子の一つ。近露王子と継桜王子間の旧国道端にあり、緑泥片岩の碑のみが残されている。
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野長瀬一族の墓
熊野に逃れる護良親王を助けたのが近露の荘主であった野長瀬一族。熊野古道近露王子からすぐの場所に数十基の宝篋印塔や五輪の塔が集められた一族の墓がある。
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畑中武夫成育の家跡
天体物理学の分野では世界的に知られる畑中武夫(1914 〜1963) は新宮市生まれ。熊野速玉大社近くにあった生家の跡には記念碑が立てられている。
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新宮(丹鶴)城跡
江戸時代に築城された、浅野氏1代、水野氏10代の居城跡。丹鶴の名は築城以前に源為義の娘丹鶴姫の開いた寺があったことに由来する。現在は天守台と石垣が残る。
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清姫の墓所
娘道成寺の主人公、清姫は現在の中辺路町真砂の出身といわれる。安珍に見放され富田川に身を投げたと伝えられ、川のほとりに小さな碑が立っている。
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観音寺
永享年代(1429〜41)創建と伝わる寺で、通称「さつき寺」と呼ばれている。5月下旬には樹齢150年ともいわれるサツキが境内や石段の両脇を彩る。
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近露王子
熊野街道の要衝にあたり、参詣の人々が身を清めた場所といわれる。現在はその跡地に王子の名を記す石碑が立ち、そばには斎藤茂吉の歌碑も立っている。
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王子神社(浜王子)
王子ヶ浜の近くの古道脇にひっそりと立つ熊野九十九王子の一つ。もとは海の神を祭る宮だったが、熊野信仰の興隆の中で、王子社として知られるようになった。
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旧社地(大斎原)
明治22(1889)年の大洪水まで熊野本宮大社があった場所で、かつては熊野詣の人々が長い旅の果てにたどりついた場所だ。日本一の大鳥居が立っていて、桜と紅葉の名所でもある。
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補陀洛山寺
那智の浜は観音菩薩が住むという補陀落山に通じていると信じられ、平安〜江戸時代まで続いた補陀洛渡海はこの寺の僧が小さな舟で極楽浄土を目指し船出したとして伝わる。世界遺産。
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祓殿王子
熊野古道九十九王子、熊野本宮大社手前に位置。本宮裏の鳥居から50mほどの小さな森にあり、本宮までは歩いて15分ほど。
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妙法山 阿弥陀寺
海抜750mの妙法山にある真言宗の寺。平安時代の初めに空海が開山したと伝えられ、女人禁制の高野山のかわりに女性たちが参詣したので、女人高野ともいわれる。
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佐藤春夫記念の句碑
小説『田園の憂鬱』や詩集『殉情詩集』で知られる佐藤春夫(1892 〜1964) は新宮市生まれ。熊野速玉大社境内には記念館が立つが、参道正面の鳥居そばには句碑も立っている。
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温泉寺
龍神温泉街を見下ろす高台にある小さな寺。弘法大師が龍神温泉を開いた時、ここに草庵を結び、薬師如来を刻んで祀ったのが始まりと伝えられている。
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八上神社
「待ち来つるやがみのさくらさきにけりあらくおろすな三栖の山かぜ」。境内には、西行が熊野参詣の際、この八上王子の桜の美しさを詠んだ歌碑が立っている。
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救馬渓観音
大きな一枚岩によって覆われる山の中腹に、本尊の馬頭観世音菩薩像を祀る霊山。役行者により1300年前に開かれ、小栗判官が中興の祖といわれる。
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阿須賀神社
古来から阿須賀社といい、由来書に「紀伊熊野新宮阿須賀社大明神は熊野第一の古社なり」とある。神社の背後にある蓬莱山は徐福伝説の地で徐福宮が祀られている。弥生時代の竪穴式住居もある。
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長井坂
道の駅イノブータンランドすさみの横の梅林をぬけると熊野古道大辺路の長井坂への入り口がある。見老津にいたるまで木々の間から枯木灘を望む街道随一の眺望を誇るコース。