鳴子・古川・くりこま高原の「歴史」観光スポット(全39件)
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横山不動尊
国の重要文化財に指定される不動尊。不動明王像は保元の頃、百済から隣町の海岸に流れ着いたと伝わり、その胎内には秘仏である純金の本像が安置されている。秘仏は酉年の大祭にのみ拝観可能。
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瑞川寺
慶長年間に古川城主となった伊達政宗の家臣・鈴木和泉元信が、廃寺同然であった瑞川寺を再興。重厚な山門は古川城の搦手門を移築して造り変えたもの。
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興福寺
観音堂の外壁にある色鮮やかな彫り物が見ごと。中国の親孝行物語をモチーフにしており、親を大切にする心を育むために刻まれたという。敷地内には木造2階建擬洋風の、珍しい六角堂もある。
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山神社
霊験あらたかな子授・安産、縁結びの神として名高く、江戸期には伊達家奥方の御用達でもあったそうだ。また山の神としても知られ、山仕事に携わる人たちの参拝も多い。
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昌学寺
江戸期の名工として名高い菅原卯八が、最後に造りあげた風格ある鐘楼門が有名な古寺。山門の奥に樹齢約400年のシダレザクラの巨木があり、しとやかに花を咲かせる。
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柳津虚空蔵尊
会津柳津、山口の柳井と並び三大虚空蔵尊のひとつに数えられる柳津虚空蔵尊。境内には金運にご利益のある「寅」と、なでると病気が平癒するといわれる「撫で丑」がある。
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安国寺
安国寺は 足利尊氏が元弘以来の戦死者を弔うために 諸国に建てさせたもの。当時の安国寺は 幾度かの戦火に遭い 仙台藩2代藩主伊達忠宗が中興開基となる。
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日吉神社
「富谷」という地名の由来は、かつてこの土地に「十のお宮」があったことによるといわれる。10ヶ所あったお宮のうち現在残っているのは日吉神社だけである。
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宮沢遺跡
東北の古墳城柵・役所の中では最大級の規模を誇り 東西約1400m 南北約850mの範囲を 築地・土塁・溝で区画。周辺には 39基の後期古墳が残る日光山古墳群もある。
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瀬峰一里塚
江戸時代、高清水宿から佐沼宿を経由し、登米宿に至った旧佐沼街道沿いにあり、道の左右に2基揃い残っている。塚の周辺には、松の自然林があり、古道の名残りをとどめている。
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支倉常長メモリアルパーク(支倉常長の墓)
支倉常長は1613(慶長18)年、藩主伊達政宗の命を受けサン・ファン・バウティスタ号で渡欧。ローマ教皇にも謁した。墓所はメモリアルパークとして整備されている。
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華足寺
平安の頃に建立されたという古刹で境内は風雅なおもむき。山門は伊達9代藩主周宗が建てたもので、屋根以外の部分は当時のままだ。山門・客殿は県の有形文化財に指定されている。
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荒雄川神社
老杉の林に囲まれた延喜式内社。古くは荒雄岳山頂に社があり、岳宮と呼ばれていたという。境内には明治天皇の御料馬「金華山号」の等身大の彫刻が建っている。
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志波姫神社
北上川流域唯一の大明神。築館の源光から江戸時代初期の伊豆野堰開削と同時に現在の地に移された。本殿は慶安3(1650)年の建築。旧暦の6月28日には大祭が開催。
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岩出山城址(城山公園)
伊達政宗が仙台城に移るまでの12年間を過ごした居城跡で、園内には政宗公の立像があり、当時が偲ばれる。春は桜の名所。
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鎌田三之助翁尊像
明治〜昭和にかけて旧鹿島台村長だった鎌田三之助の像。粗末な衣服にわらじ履きと、質素倹約に努めて品井沼干拓完成に生涯を捧げた彼を讃え、鹿島台小学校に像は建てられた。
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中宿の景観
本陣跡から新町宿の入り口、熊野神社へと続く中宿付近の街道沿いには、土蔵造りの家など宿場町らしい情緒ある景観が今も色濃く残っている。
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弥勒寺
役の行者が建立したという伝説の残る寺で、日本三弥勒尊のひとつ。中世には奥州藤原氏の祈願所だった。弥勒仏坐像は33年に一度御開帳の秘仏。8月に行われる「みろく尊大祭」は有名。
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カトリック米川教会
伊達政宗の庇護もあって一時布教が拡大したが、キリスト教が弾圧を受けるようになり、東和町に身を潜めていた多くの隠れキリシタンが殉教した。ここでは彼らの遺物を紹介している。
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箟峯寺
大崎平野を一望する箟峯山にたたずむ箟岳観音堂や白山神社を総称して箟峯寺という。観音堂は大同2(807)年、坂上田村麻呂建立と伝えられ、奥州三観音のひとつだ。
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香林寺
奥州54郡を治めていた三位中将藤原師門は美しい妻をめぐり、八條顕長と戦になった。この戦で主人の身代わりになった、月輪兄弟の忠孝心に報いるために建てられた寺。
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旧有備館
岩出山伊達家が家臣の子弟教育のために開設した学問所。庭園は、仙台藩茶道頭、清水道竿の作庭と伝わる。建物・庭園ともに国の史跡・名勝に指定されている。
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金成ハリストス正教会
日本初のロシアハリストス正教信徒だった酒井篤礼の遺志を継ぎ、川股松太郎が昭和9年に建立、寄進した栗原市指定有形文化財第一号。内部を見学したい場合は川股薬局へ要申し込み。
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祇劫寺
かつて祇劫寺周辺は、葛西大崎一揆で伊達氏の領地となり、涌谷伊達氏が治めるようになった。特に3代当主定宗公は、隠居所として晩年を過ごしたというゆかりの寺。
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日光山古墳群
江合川北岸の丘陵にあり 6〜7世紀ごろの円墳 方墳などが39基集まっている。周囲は公園となっており 散策をしながら古墳を見ることができる。
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温泉石神社
延喜年間の「延喜式神名帳」に記帳されている由緒正しき神社。大噴火により、石の根元からホオズキ色の温泉が流れ出したという言い伝えが残る。
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糠塚遺跡
奈良時代末期から平安時代にかけての2期にわたる大農耕集落跡。多くの竪穴式住居跡とともに土器や鉄器類が発掘されている。現在は竪穴式住居が復元されている。
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大境山復元住居
大境山遺跡から検出された奈良時代の竪穴式住居を復元したもの。住居から外側に向かって繰り抜かれた排水溝と、住宅の周囲を囲む排水溝を備えた奈良時代の一般的な住居。
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黄金山神社
1200年前に日本最初の金の産出地として祀られている神社。当時は東大寺大仏に塗る金が不足し、この朗報に聖武天皇が元号を天平から天平感宝と改めてしまったほど。
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温泉神社
承和4(837)年に鳥谷ヶ森が噴火して温泉が湧出するようになった地。毎年9月の第1土・日曜に獅子舞や神輿、稚児行列が街を練り歩いたあと、奉納される祭典が開催されることでも有名。
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不老仙館
伊達家13代藩主の慶邦が北部巡視の折の宿泊所としていた。広い邸内には武家屋敷ならではの仕掛けも隠されていて面白い。著名人の書やふすま絵なども飾られている。
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薬師瑠璃殿
築館地区の中心部の薬師公園に隣接。天平宝字4(760)年に孝謙天皇の勅命により開創。本尊薬師瑠璃光如来像は東北現存の仏像では最古のもので国指定重要文化財。
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東陽寺
寛文11(1671)年の寛文事件(伊達騒動)で知られる原田甲斐の菩提寺。山本周五郎の小説「樅の木は残った」でも有名だ。本堂裏の池の畔のイチョウの木の下に原田の墓石がある。
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松本家住宅
仙台藩の重臣であった奥山家の家老が代々居住していた家。国の重要文化財に指定された貴重な建物。個人宅の敷地にあるので見学は静かに。
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茂庭家霊屋
伊達家の重臣であり、江戸初期に松山へ入部、幕末まで治めた茂庭氏。曹洞宗石雲寺には茂庭氏の霊廟、茂庭家霊屋がある。茅葺屋根に総桧造りで、木造の彩色坐像を安置している。
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双林寺
杉薬師の別名で親しまれる古寺。平安中期の作という「本造薬師如来坐像」はケヤキの一本造りで東北地方に現存する仏像では最古級のもの。国の重要文化財に指定。
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滝沢不動尊
細い林道をしばらく入った山の中にひっそりとたたずむ滝沢不動尊。岩間から流れ出る滝に打たれ厳かな雰囲気。目の神様として古くから信仰を集めている。
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城山公園
涌谷伊達氏がかつて居城としていた城山公園。春の桜が見事で、約500本のソメイヨシノが咲き乱れる。特に涌谷大橋からの眺めは圧巻だ。ライトアップされる夜桜も美しい。
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櫻田山神社
お笑い芸人・狩野英孝の実家として全国的にも有名になった神社。1500年もの歴史を持つ、由緒正しい古社だ。