七尾・和倉・羽咋の「歴史」観光スポット(全21件)
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妙成寺
日蓮宗の北陸本山。寺域は能登一の規模を誇り、加賀前田家の初代から約70年にわたって造営された。主要建造物10棟が国の重要文化財に指定され、五重塔もその一つだ。
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気多大社
創建2100年を迎える縁結びの神である大国様をまつっている。利家とまつが信仰した神社である。縁結び守り(御守・絵馬・おみくじ)が有名。
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七尾城跡
室町時代、守護大名の畠山氏が築いた山城。難攻不落の名城として知られていたが、上杉謙信の前にあえなく落城。城跡山麓の七尾城史料館に当時の資料が残されている。
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須曽蝦夷穴古墳
七尾湾を見渡す小高い丘で発掘された、7世紀中頃に築かれた有力者の墳墓を修復整備。一般公開している。隣接の蝦夷穴歴史センターでは、古墳の出土品を展示している。
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雨の宮古墳群
眉丈山山頂に点在する古墳時代前期から中期(4〜5世紀)の古墳群。県内最大級規模の全長約64mの前方後方墳と約65mの前方後円墳がある。国の史跡に指定されている。
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森繁久弥詩碑
七尾マリンパークにあり、平成元(1989)年7月に「能登の夢」「七尾の海」2首に詩碑が建立された。
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岸壁の母碑
増穂浦海岸の砂丘地に建つ碑。有名な「岸壁の母」のエピソードのモデルとなった女性を記念する碑だ。異国の地にとらわれて帰らぬ息子を、岸壁に立って待ち続けた母の愛を讃えている。
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東嶺寺
古くは「花渓寺」と称されていたが慶安5(1652)年に「東嶺寺」と改称。藩政期は長家の菩薩寺として保護され、当時の勢いを垣間見ることができる。現在、本堂と山門が市指定文化財に登録。
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加賀藩十村役 岡部家
岡部家の先祖は吉川英治の『新・平家物語』にも登場する武士。屋敷は享保21(1736)年建築の茅葺入母屋造り。奥座敷の附書院からは、老樹が生い茂る回泉式庭園が望める。
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大島諸願堂
大島海岸の出崎に建つ石積みの六角地蔵塔。室町時代に肥前大村の船持の息子が、大島沖で難破し犠牲となった。その供養のため肥前から石を運び、塔を建立したという。
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永光寺
瑩山禅師が正和元(1312)年に開創され、鎌倉末時代の仏像を10体所蔵しているということで大変有名である。
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末森城跡
加賀・能登・越中の国境に接する要所にあり、戦国時代の北陸において重要な役割を果たした城。車は通行できないが、山道は整備され、本丸跡まで登ることができる。
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倶利迦羅不動寺
約1300年前インドの善無畏三蔵法師によって開かれた具利迦羅不動明王を本尊とする古刹寺院で、日本三不動の一つ。初詣を始め、1年を通じて多数の参拝者が訪れる。八重桜の名所でもある。
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「七福神」福々めぐり
和倉温泉の七つの名所にそれぞれの場所にちなんだ、七福神の石像と顔の輪郭彫りを設置。各旅館にある用紙に七福神の輪郭を押し付けてこすり、七人揃ったら、プレゼントがある。
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禁酒の碑
大正時代、老朽化した小学校の改築費用捻出のため、村内での飲酒を禁止した。その当時、禁酒村であることを知らせるために、村の入口に禁酒の碑を立てた。
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大海西山弥生の里
約1800年前、弥生時代の遺跡を整備保存した公園。復元された竪穴式住居のほか、建物の跡などをわかりやすく表示し、説明板も設置している。
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加賀藩十村役喜多家
藩政時代、能登、加賀あわせて200もの村を治めていた旧家。木々に囲まれた約1万3000坪の敷地のなかには、当時のままの建物があり、重要文化財に指定されている。
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腰巻地蔵
海を見下ろす松林にひっそりとたたずむ。藩政時代、船乗り相手の遊女が恋しい人を一日でも長く引き留めたいと、腰巻で地蔵の目を隠し、海が荒れるのを祈ったという。
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上山田貝塚
昭和6(1931)年に発見された、約5000年前の縄文時代の貝塚。昭和57(1982)年には国の文化財指定を受けた。石川県で最初に発見された貝塚として著名である。
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山田寺
泰澄大師が開いたというこぢんまりとした寺は、「ご祈祷寺」で有名。寺には十一面観音像をはじめ、仏具や仏画などの文化遺産も多く保存されている。
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豊財院
14世紀初頭開山の曹洞宗の寺院。木造の馬頭観音像、聖観音像など、3体が重要文化財に指定されている。また、600巻におよぶ血書大般若経が保存されている。