松山・道後の「歴史」観光スポット(全31件)
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松山城
武将、加藤嘉明が慶長7(1602)年より築城を開始し、四半世紀をかけて完成。各櫓、城門、天守など21棟の建造物が重要文化財。山頂から松山市街や瀬戸内海が一望できる。
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振鷺閣
道後温泉本館の最上層にある望楼で、屋根に伝説の白鷺像を据える。赤いギヤマンをはめた障子窓は夜にはランプ光が反射して美しい。中に吊られた刻太鼓の音は残したい日本の音風景100選の一つ。
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又新殿
明治32(1899)年に建築された日本で唯一の皇室専用の湯殿で、道後温泉本館内にある。桃山時代風の建築様式は優雅で絢爛豪華。玉座の間や庵治石の浴槽などが見学できる。
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湯神社
温泉の守護神である大国主命と少彦名命の二神を祀る。道後では古くから温泉の湧出が止まると、その度に湯神社で湯祈祷が行われてきたという。
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石手寺
神亀5(728)年に伊予の大守、越智玉純が勅宣により伽藍を創設。広い境内には国宝の仁王門をはじめ、重要文化財の本堂や三重塔などの建物が立ち並ぶ。四国霊場第51番札所。
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ロシア兵墓地
日露戦争時に捕虜となり、松山で亡くなったロシア人兵士が眠る墓所。松山の人々のもてなしの心により、ロシア兵捕虜に対する待遇はとりわけ手厚く、市民と盛んに交流があった。
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伊豫稲荷神社
京都の伏見稲荷神社から分霊した神社。伊予七福神の恵比寿社や楼門がある。2つ並んで祀られた大きな石は、子どもが泣くような音がすることから「夜泣き石」といわれる。
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大宝寺
大宝元(701)年、文武天皇の勅願により伽藍を建立。樹齢数百年の巨杉に囲まれた参道を抜けたところにあり、山門には巨大なわらじが奉納されている。四国霊場第44番札所。
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萬翠荘
旧松山藩主の子孫久松伯爵の別邸として建築。ロココ様式の館内は、名士が集まる社交場だった当時の雰囲気が漂う。豪華な大広間や美しいステンドグラスが見学できる。重要文化財。
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円満寺
9世紀初めに建立されたと伝わる浄土宗の寺。境内に一丈二尺の大きな地蔵菩薩像が鎮座し「湯の地蔵」「延命地蔵」「火よけ地蔵」とも呼ばれ、地元で親しまれている。
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愛媛県庁(本館)
映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケが行われた本館2階や、貴賓室、ドーム会議室、議事堂4階傍聴席など、普段見ることのない庁舎内がじっくり見学できる。
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上黒岩岩陰遺跡
縄文時代以降からの複合遺跡。日本最古といわれる1万4500年前の細隆起線文土器、線刻女性像や腰骨に槍の刺さった人骨などが発掘された。出土品は考古館に展示。
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西林寺
聖武天皇の勅願により、天平13(741)年に行基が開基した四国霊場第48番札所。太鼓橋を渡ってくぐる仁王門は土手よりも低く、罪人がくぐると無間地獄へ堕ちるといわれる。
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道後公園(湯築城跡)
湯築城跡に整備された公園。北側には温泉の湯口で、一遍上人直筆の文字が刻まれた日本最古の湯釜があり、湯釜薬師として崇められている。ほかにも湯築城資料館などが点在。春は桜が美しい。
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湯釜薬師
道後公園の北側に祀られている湯釜。県の有形文化財に指定されている。奈良時代に造られ、宝珠には一遍上人が書いたという「南無阿弥陀仏」の文字がある。
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浄瑠璃寺
開基は和銅元(708)年、行基が大仏開眼に先立ち仏教布教のためこの地を訪れたことによる。境内に天然記念物のイブキビャクシンの古木がある。四国霊場第46番札所。
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坊っちゃんの間
道後温泉の常連だった夏目漱石ゆかりの部屋。小説『坊っちゃん』の登場人物であるマドンナや漱石の松山中学時代の写真などを公開。見学は道後温泉本館入館者のみ可能。
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太山寺
真野長者が開基したといわれる四国霊場第52番札所。国宝の本堂に、歴代の天皇が勅納した7体の十一面観世音像が安置され、重要文化財に指定されている。仁王門も重要文化財。
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圓光寺
慶安2(1649)年建立の寺。境内に正岡子規の句碑が立つ。7代住職、明月上人は書家としても知られる。毎年12月、伝統の精進料理である風呂吹き大根のお接待を行う。松山銀天街商店街内。
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玉の石
道後温泉本館の北側に祀られた石。病に倒れた少彦名命が道後で湯浴みをしたところ病気が回復し、この石の上で踊ったという伝説が残されている。
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文殊院
お遍路さんの元祖といわれる、河野衛門三郎の屋敷があったと伝わる寺院。境内の外に衛門三郎の8人の子どもの墓といわれる八塚群集古墳がある。
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浄土寺
四国霊場第49番札所。天平勝宝年間(749〜757年)に恵明上人が開基。10世紀半ばに踊念仏を広めた空也上人が寺を訪れ、刻んだ立像がある。本堂とともに重要文化財。
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義農作兵衛ゆかりの地
享保17(1732)年、翌年の種麦すら食べなければ生き延びられない大飢饉中、人々のためにと種一粒食することなく、あえなく餓死した義農作兵衛を奉っている。
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大宝寺
本尊の薬師如来像は行基の作と伝えられる。県内最古の木造建造物で、国宝の指定を受ける本堂は平安時代末期から鎌倉時代初期に建てられたもの。3月28日に一般公開される。
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繁多寺
行基が光明寺として開基し、のちに弘法大師空海が繁多寺と改めた。伊予出身の一遍上人が浄土三部経を納めた寺としても知られる。四国霊場第50番札所。
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八坂寺
大宝元(701)年の創建。8か所の坂を開き道をつけたことから、八坂寺の寺号となった。四国遍路の元祖といわれる衛門三郎は、空海を捜してこの寺から出発した。四国霊場第47番札所。
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常信寺
初代藩主松平定行が松山城の東北、艮にあたるこの地に、東叡山を模して鬼門の鎮護のために建てた天台宗の寺。本堂の裏にある定行公の霊廟は県の指定文化財。
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盛景寺
弘長2(1262)年に創建された由緒ある寺。境内に立つ菩提樹は樹齢700年とも800年ともいわれ、県の天然記念物に指定されている。
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岩屋寺
四国霊場第45番札所。山門をくぐり、長い石段を15分ほど上がると本堂が見えてくる。大師が掘った独鈷の泉が湧く、穴禅定という洞窟がある。大師堂は重要文化財。
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伊豫豆比古命神社
伊豫豆比古命神社は古くから縁起開運、商売繁盛の神様として人々の尊崇を受けている。旧暦の1月7日から9日にかけて行われる椿まつりが有名で、別名「椿神社」と呼ばれる。
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円明寺
天平勝宝元(749)年、聖武天皇の勅願により行基が阿弥陀如来を刻み、本尊として安置したのが始まり。のちに弘法大師空海が巡錫し、四国霊場第53番札所とした。