宇和島・八幡浜の「歴史」観光スポット(全22件)
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宇和島城
藤堂高虎が慶長元(1596)年から6年かけて近世城郭を築き、元和元(1615)年、伊達政宗の庶長子、秀宗の入城以来、9代にわたって伊達家の居城となった。天守は重要文化財。
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開明学校
明治15(1882)年に建築された、現存する西日本最古級の小学校校舎。アーチ型の窓や白壁など擬洋風建築のハイカラな様式は文明開化の影響を受けている。重要文化財。
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大洲城
大洲城は藤堂高虎、脇坂安治によって城郭が整備され、廃藩まで大洲藩加藤家13代の居城だった。写真などの史料をもとに復元された天守閣は、木造4層4階建てで19.15mの高さがある。
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三島神社
宝亀5(774)年、瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山祇神社から分霊を勧請した神社。県の文化財である懸仏や神像5体などが見学できる。秋に神幸祭が行われる。
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おおず赤煉瓦館
明治34(1901)年、大洲商業銀行本館として建てられた。イギリス積みの赤レンガや寄せ棟造りの瓦屋根がレトロな雰囲気。1階は特産品販売所、2階はギャラリー兼無料休憩所。
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龍潭寺
第6世田翁和尚が豊後の火事を庭石に水をかけて消したという言い伝えがあり、境内に水かけ石が残る。明治時代初期建造の庫裏は精巧な造り。
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仏木寺
大同2(807)年に弘法大師空海が牛に乗って寺を訪れたため、牛馬が守護仏と伝わる。7月の丑の日に人や牛馬の病気を身代わりのウリに封じ込む「瓜封じ」の供養を行う。四国霊場第42番札所。
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龍光寺
「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれている四国霊場第41番札所。創建は大同2(807)年。神仏習合により、本堂に本尊の十一面観音と稲荷大明神を祀る。
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高昌寺
八日市・護国の町並みのなかにある、約560年の歴史をもつ古刹。曹洞宗の総本山、永平寺の配置に似ている。日中交流促進のため、中国敦煌莫高窟涅槃像をもとに石像涅槃を建立。
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等覚寺
宇和島伊達家の菩提寺。地元の人には竜華山と呼ばれている。「西の墓所」「東の墓所」が隣接し、歴代藩侯や夫人、殉死した藩士が眠る。深閑とした厳かな雰囲気。
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梅之堂三尊仏
平安時代末期のすぐれた彫刻として知られる阿弥陀三尊仏を安置。現在の堂は昭和40(1965)年頃の再建。三尊仏は檜材寄木造り漆箔仕上げで、もともと五尊形式。重要文化財。
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観自在寺
四国霊場第40番札所。弘法大師空海が大同2(807)年、平城天皇の勅願所として建立。大師堂は平成4(1992)年に再建した。境内に天皇の遺髪を埋めた五輪石塔が立つ。
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鳥居門
先哲記念館下手にある鳥居門は、庄屋の鳥居半兵衛が江戸時代に建てたもの。立派な造りが庄屋には分不相応として、藩よりとがめられ、左遷されたといわれている。市指定文化財。
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屋根つき橋(浪漫八橋)
大洲市河辺町にある全国でも珍しい屋根付き橋。龍王橋、秋滝橋、ふれあい橋、豊年橋、三嶋橋、帯江橋、御幸の橋、龍神橋の8橋があり、御幸の橋は県の有形民俗文化財に指定されている。
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須崎観音
西予市三瓶地区は海辺の町。宇和海の須崎鼻の先端に位置する須崎観音は、海難者を慰霊し、行き交う船の航行安全と漁業の繁栄を祈願している。天気のよい日は九州が望める。
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鯨塚
天保年間(1830〜1844年)の食糧危機の際、村人たちの前に突然クジラが現れ、窮地を救った。そこで宇和島藩主がクジラに戒名を与え、海辺に3基の鯨塚を立てた。
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和霊神社
伊達家初代藩主秀宗の家老で、総奉行として政務を担当していた山家清兵衛は、反対派によって殺害された。非業の死を遂げた清兵衛の魂を祀る。漁業を中心に産業の神、庶民の神として崇められる。
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多賀神社 性文化財凸凹神堂
多賀神社の隣にある、性にまつわる展示物や浮世絵などを紹介した3階建ての資料館。世界各国を訪れ、親子3代で集めた約5万点を収蔵、展示。お守りなどの授与品を販売する。
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明石寺
欽明天皇の勅願により正澄上人が開基。弘法大師による堂宇再興など、古い歴史をもつ四国霊場第43番札所。緑のなかに古色蒼然とした本堂が建つ。本尊は千手観音菩薩。
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木蝋資料館・上芳我邸
木蝋生産で財をなした豪商屋敷は、明治27(1894)年の上棟。木蝋生産施設と住居の10棟が重要文化財。邸内に木蝋資料の展示棟、土蔵に喫茶室がある。
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河後森城跡
伊予と土佐の国境の城跡。県下最大級の中世城郭で史跡に指定されている。発掘調査で建物や柵の柱穴をはじめ堀切、土塁、登城道など多くの遺構を確認している。
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金山出石寺
標高820mの出石山の山頂にある金山出石寺は養老2(718)年に開創。藤堂高虎が奉納したと伝えられる銅鐘は重要文化財。寺一帯は瀬戸内海国立公園に属し、絶景が望める。