盛岡の「歴史」観光スポット(全14件)
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盛岡八幡宮
康平5(1062)年、前九年の役で源頼義・義家父子が必勝武運を祈願して創祀したと伝えられる。後に南部藩主が領内守護の総氏神として大社殿を造営。勇壮な南部流鏑馬の奉納で知られる。
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三ツ石神社
昔、悪行を重ねた鬼が「もう悪いことはしない。もうここへ来ない」と約束の手形を押した石が境内に残る。鬼の退散を喜び、さんさ、さんさと踊ったのが「さんさ踊り」の始まりとも言われている。
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十六羅漢
盛岡八幡宮の南に位置し、宗龍寺跡にある。16体の羅漢と5体の如来像が並ぶ公園。江戸時代に起きた元禄、宝暦、天明、天保の4大飢饉による餓死者を供養するために造られたもの。
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啄木新婚の家
啄木の作品『我が四畳半』にも書かれた家。明治38(1905)年に中学時代からの友人節子と結婚した石川啄木が、両親と妹、新妻と共に3週間暮らした。
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宝徳寺
父が住職を務め、石川啄木が幼年期を過ごした寺。17歳のとき、父は住職を罷免され、3年後には啄木自身も失職。一家離散の憂き目にあった寺。
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桜山神社
盛岡城跡公園内にあり、地元で「桜山さん」と親しまれる神社。風情のある境内周辺には商店や飲食店が立ち並ぶ。裸参りは盛岡の冬の風物詩として有名。
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石座(賢治像)
いーはとーぶアベニュー材木町の通りに彩を添えている「座」の名称がつく、6つある賢治ゆかりのモニュメントのひとつ。旭橋側から行くと、この像が右手歩道に見える。人気の記念撮影スポット。
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旧渋民尋常小学校
石川啄木が主席で卒業し、代用教員として勤務もした母校。外観は木造の素朴な校舎だ。啄木記念館の隣に移築・保存され、当時の面影を伝えている。
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上の橋擬宝珠
擬宝珠とは、手すりや橋の欄干に付けるネギの花の形をした飾り。上の橋の欄干には、国認定の重要美術品である18個の擬宝珠が付いており、全国でも珍しい。
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盛岡城跡公園(岩手公園)
慶長年間(1596〜1614)に南部信直が築城し、寛永10(1633)年に完成した平山城。明治維新の際に取り壊されたが、花崗岩を積み重ねた見事な石垣は今も残る。日本百名城のひとつ。
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盛岡天満宮
盛岡市玉山区で生まれた歌人であり詩人の石川啄木が、よく読書や散策をしたといわれる盛岡天満宮。社前参道の両側に鎮座する啄木がお気に入りだった一対の狛犬が見られる。
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岩手県公会堂
昭和2(1927)年に、昭和天皇の御成婚記念事業として竣工。日比谷公会堂と同じく佐藤功一による設計で、外壁をレンガで飾ったモダンな造りは当時から注目を浴びている。国の登録有形文化財。
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十劫山 正覚寺
浅田次郎の小説『壬生義士伝』主人公の吉村貫一郎が、のちに妻となるしづと初めて出会った場所として有名。足軽たちの檀家寺として親しまれていた寺。
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紺屋町番屋
昔ながらの望楼が目を引く番屋。盛岡市の消防第五分団の番屋として使用されていた。大正年間(1913〜1926)の木造洋風事務所建築の典型といわれている。