八尾・藤井寺・河内長野の「歴史」観光スポット(全19件)
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観心寺
役行者が開創、弘法大師が本尊の如意輪観音像(国宝)を刻んで再興したと伝わる。中院は楠木正成の少年時代の学問所で楠木氏の菩提寺。後村上天皇の行在所にもなった。
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道明寺天満宮
道明寺の東に隣接する丘の上、菅原道真公を祀る。宝物館には国宝の道真公の遺品など、重文2点を含む社宝を数多く所蔵している。境内には約80種、800本の梅が咲く。
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延命寺
弘法大師が地蔵菩薩を刻んで創建したと伝える。寺域は紅葉の名所として有名で、なかでも「夕照の楓」と呼ばれる楓の古木は樹齢千年といわれ、天然記念物に指定されている。
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誉田八幡宮
応神陵の後円部を背に応神天皇を祀る。日本最古の八幡宮で、もとは墳墓の頂きに社殿があったとされ、毎年9月15日の例祭には神輿が応神天皇陵へ渡御する。
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火の用心の刻字がある道標
「町中くわへきせるひなわ火無用」と刻まれた道標。街道からの旅人に火の用心を呼びかけるためのもので、寺内町の防火に役立った。旧東高野街道沿いに立つ、情緒ある道標。
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河合寺
南河内三大名刹のひとつであり、蘇我入鹿が創建したと伝えられる。しかし正平3(1348)年戦火で大伽藍は焼失したと伝えられる。梅雨の頃に咲く約2000株のアジサイは見事。
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興正寺別院
京都興正寺の別院として永禄5(1562)年に証秀上人が開基。寺の表門は伏見城の城門といわれ、京都興正寺から移築している。前の道は「城之門筋」と呼ばれ、日本の道100選に選ばれている。
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常光寺
天平17(745)年に行基が創建したと伝えられている。弘仁(810〜824)年間に伝小野篁が造った地蔵菩薩が安置され「八尾地蔵」と呼ばれ親しまれている。日本三大地蔵、河内音頭頭発祥の寺。
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千早城跡
楠木正成が元弘2(1332)年に築城。立地を生かし鎌倉幕府軍を釘付けにした。元中9(1392)年、畠山氏によって落城。本丸跡とされる千早神社には正成・正行親子を祀る。
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天野山金剛寺
天平(729〜66)年間に聖武天皇の勅願で行基が創建。後白河法皇の妹八条女院が弘法大師像を安置している。女性の信仰が深く「女人高野」と呼ばれる。
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瀧谷不動明王寺
弘仁12(821)年、弘法大師が不動明王を刻んで建立したと伝わる真言宗の寺。本尊の不動明王と二童子立像は国の重文。毎月28日には参道に露店が出て大勢の参詣者で賑わう。
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薬師堂
堂内には衣の曲線が優美な乾漆座像が安置されている。これは信者の恋文を貼り合わせて漆で固めた秘仏。本来は無病息災の守護仏だが、恋愛成就の願掛けに訪れる人もいる。
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八尾別院大信寺(八尾御坊)
真宗大谷派(本山:東本願寺)の別院で、「八尾御坊」の名で親しまれている。慶長12(1607)年の創建、現在の本堂は昭和42(1967)年に落成。毎月5日と27日は「お逮夜市」で賑わう。
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西方寺
京都にある浄土宗知恩院派の末寺。堂内に安置されている本尊は、鎌倉時代初期の作品にあたる。杉山家の墓所でもあり、石上露子も祀られている。
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叡福寺
聖徳太子が生前に自ら墓所を造営、その没後、推古天皇が香華所として坊舎を建てたことに始まる。豊臣秀頼が寄進した本堂をはじめ、多宝塔などがある。ともに国の重文。
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葛井寺
藤井寺という地名の起源。7世紀ごろに渡来した百済王族のゆかりの寺として創建。本尊の千手観音坐像は国宝。慶長6(1601)年建立の朱塗りの四脚門は国の重文。
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山中田坂(寺内町の口)
戦国時代に誕生した寺内町は外周に土塁が巡らされ、出入り口を4か所に制限し、町を防御していた。向田坂や山中田坂の場所に立つと段丘の上に位置することがわかる。
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環山楼
江戸中期に豪商・石田利清がつくった私塾。数回の移築を経て、現在は八尾小学校の敷地内に復元している。週2回市民に開放され、文化財の公開など幅広く活用されている。
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野中寺
聖徳太子が建立した河内三太子のひとつとされ、「中の太子」と呼ばれている。木造地蔵菩薩立像と金銅弥勒菩薩半跏像は国の重文。現在の建物は江戸初期の再建。