沖縄本島の「歴史」観光スポット(全41件)
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首里城公園
2019年10月31日に発生した火災で、首里城「正殿」「北殿」「南殿」など主要な建造物が焼失しました。最新の被害・営業状況については公式Webページよりご確認ください。 那覇市内を見渡す丘の上に、首里城正殿をはじめ多くの史跡が点在する広大な公園。首里城は政治・外交・文化の中心であり、神事が行われるなど琉球王国の繁栄に大きな役割を果たした。
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勝連城跡
太平洋に突き出た勝連半島の高台に立つ。現在は優雅に曲線を描く梯郭式の城壁が残るのみ。城壁の上からは中城湾と金武湾を見下ろすことができる。世界文化遺産。
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斎場御嶽
琉球開闢の始祖、アマミキヨが国始めに造った七御嶽の一つといわれる世界文化遺産。久高島や南城市の歴史と沖縄の精神文化がわかる資料コーナーがある。予約すれば有料でガイドをしてくれる。
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今帰仁城跡
三山時代の北山王の居城であった城。城壁が美しい曲線を描いて続き、御内原からは東シナ海を一望することができる。1月下旬には、日本一早咲きのカンヒザクラが咲く。世界文化遺産。
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円覚寺跡
琉球を代表する寺院で臨済宗の総本山だったが、沖縄戦で大半を失った。現在は総門と両側の石垣、右脇門、放生池を復元。放生橋は国の重要文化財で、勾欄は沖縄石彫美術の最高傑作といわれている。
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波上宮
隆起サンゴ礁の断崖に立つ、鮮やかな朱色の社が美しい神社。沖縄県の一の宮で、海上交通などの安全や豊漁、豊穣を司る。正月には初詣客で沖縄一の賑わいを見せる。
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宇江城城跡
標高310mと久米島で最も高い宇江城岳の頂上に築かれたグスク。尚真王の時代に王府軍の攻撃で落城したと伝えられている。ここからは360度の眺望を楽しめる。国指定史跡。
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平和の礎
平和祈念公園の東側に半円状に広がる記念碑。沖縄戦で犠牲になった人々の名を国籍・官民問わず刻んでいる。6月23日の慰霊の日には多くの遺族が参拝に訪れる。
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弁財天堂
円鑑池の中之島に建てられた堂で、朝鮮王から贈られた方冊蔵経を納めるために建造された。堂に渡る天女橋は国の重要文化財に指定されている。
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仲泊遺跡
先史時代からの6つの遺跡が発見された複合遺跡。住居跡、貝塚、近世の石畳道などがそのまま保存されている。恩納村の歴史が学べる恩納村博物館がある。
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中城城跡
琉球の有力按司、護佐丸が築いて居城としたとされる城の跡。美しく弧を描く琉球石灰岩でできた城壁と精巧なアーチ門が残る。東に太平洋、西に東シナ海を望み、眺望もすばらしい。世界文化遺産。
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普天満宮
結び(諸願成就、生成)の神様として信仰される琉球八社の一つ。地元では、普天間神宮と呼ばれ親しまれている。奥宮の鎮座する洞窟は名勝に指定されている。
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座喜味城跡
琉球の有力按司、護佐丸が築いた名城。琉球石灰岩の切石積みの城壁や沖縄最古のアーチ形石造門が残る。東シナ海を見渡す標高123mの丘上からの眺望もすばらしい。世界文化遺産。
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中村家住宅
18世紀中頃の建築といわれる農家の屋敷。屋敷を囲むフクギと石垣をはじめ、赤瓦屋根、母屋、家畜小屋などの遺構は、沖縄住居建築の特色をすべて備える。国指定重要文化財。
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玉陵
琉球王朝第二尚氏王統の陵墓として3代目の王、尚真(しょうしん)が文亀元(1501)年に築墓したと伝えられている。破風墓が特徴で今日の沖縄の墓形態にも影響している。世界文化遺産。
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アマミチューの墓
浜比嘉島は琉球国造りの始祖、女神アマミキヨ(アマミチュー)と男神シネリキヨ(シルミチュー)の伝説が残る島。島の東側にある岩屋の小島アマンジにはアマミチューの墓といわれる洞窟がある。
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祟元寺石門(旧祟元寺第一門及び石牆)
国の重要文化財。門の内部には、かつては国宝に指定された正廟などがあったが、戦争で全壊し建物は残っていない。現在は祟元寺公園として整備されている。
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浦添城跡
13世紀に築城。首里城以前の中山の王城だったとされる。現在は城壁を復元し、浦添市街や宜野湾市街を一望する静かな公園として整備されている。近くに展示施設、浦添グスク・ようどれ館がある。
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アーニーパイル記念碑
沖縄戦に従軍、戦死した記者、アーニー・パイルを祀る。パイルは昭和20(1945)年4月18日、伊江島に上陸した米第305連隊に同行取材中、日本軍の機関銃弾に倒れた。
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護国寺
貞治7(1368)年、琉球国王察度の頃に建設された。高野山真言宗の寺院で、本堂は観音菩薩。現存する寺院としては沖縄でいちばん古いといわれる。波上宮に隣接して建つ。
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首里観音堂(臨済宗 慈眼院)
坂薩摩藩の人質として渡った佐敷王子が、長年の拘束から解放されて無事帰国したことを祝い、父の尚久が修造したという観音堂。「合掌犬」として話題のコナン君に会いに来る人も多い。
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玉城城跡
琉球の始祖、アマミキヨが築いたといわれる伝説の城で、一の郭と二・三の郭の一部が残る。調査で輸入陶磁器や鉄製品、土器などが出土した。
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白玉の塔
赤間山へ登る道の途中にある慰霊塔。沖縄戦で渡嘉敷島に上陸した米軍を迎え撃ち、亡くなった日本兵や集団自決をした島の住民など600名近い犠牲者を祀る。
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守礼門
大永7(1527)年頃の創建といわれ、首里城へ登る綾門大道にある坊門の一つ。「守禮之邦」という扁額は尚質王代後期頃から常時掲げるようになったといわれている。
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富盛の石彫大獅子
勢理グスクにある石彫大獅子。300年以上前、火災の多かった富盛集落に火除けのため建てられた。風水の見地から八重瀬岳に向けられ、それ以来火事がおさまったという。
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伊是名城跡
尚円王の父母、親族が眠る墓、伊是名玉御殿がある。首里王府とこの島がいかに密接であったかを物語る。4月初旬の公事清明祭では、尚家の縁者が集い舞踊などが行われる。
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沖縄師範健児之塔
摩文仁の丘の近くに立つ、沖縄戦に参加した沖縄師範学校の男子学生(学徒隊)を祀った慰霊碑。周辺には将兵が自決した壕などがあり、切り立った断崖が当時の状況を思い起こさせる。
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高良家
琉球王朝時代に船頭職を務めた仲村渠雲上が建設したといわれる。赤瓦の建物は最近復元されたものだが、サンゴ石灰岩を使った古い石垣が保存されている。国の重要文化財。
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白銀堂
航海安全と豊漁を祈願する拝所として、糸満ハーレーや糸満大綱引などの旧暦行事が行われる。堂の中には「白銀の御イベ(霊石)」と言われる石筍が祀られている。
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マリリンの像
「海を渡る犬」として全国的に知られた阿嘉島の「シロ」。その恋人「マリリン」は対岸の座間味島に住んでいた。2匹の恋物語を記念して建てられた記念碑。
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知花城跡
琉球石灰岩の独立丘にあるグスク。勝連グスクの阿麻和利を破った鬼大城(大城賢雄)がこの地で自害したという伝承があり、南側の崖中腹には鬼大城の墓がある。現在、展望台は立入禁止。
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上江洲家
琉球王朝時代に代々地頭職を務めた家の屋敷で、宝暦4(1754)年に建築。屋敷はフクギと石垣に囲まれ、ヒンプン、座敷、土間、竃(かまど)、豚小屋も保存されている。国の重要文化財。
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久高御殿庭
集落の中ほどにある祭祀場。かつて女性聖職者が儀礼を行った拝殿や国王に献上したイラブーの燻製小屋がある。建物の後ろ側は聖域として立ち入り禁止。
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魂魄の塔
沖縄戦後、米軍がこの地に収容所を設置した際、真和志村(現在の那覇市)と近隣の住民らが一帯に散乱していた遺骨を収拾し建立。一般市民の手による戦後最初の慰霊塔であり意義深い。
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金城大樋川
かつて首里の人々の生活用水として使われていた大型の共同井戸で、坂道を往来する人馬のオアシスでもあった。石積みによる貯水池に、岩盤の奥にある水脈から2つの樋で水を引き入れる仕組み。
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グスクロード
南城市玉城には糸数、玉城、ミントン、垣花の4つのグスク跡がわずか4kmの範囲で道沿いに分布しており、これらを結ぶ道は「グスクロード」と呼ばれている。
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名護城跡
14世紀の初頭、北山系の名護按司の居城だったところで、現在は城跡を中心に中央公園が整備されている。緋寒桜の名所でもある。さくら祭り期間中は車の入場不可。
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渡名喜里遺跡
東集落の北、標高80mの小高い丘にあるグスク時代(10〜14世紀)の遺跡。東方海上の遥かかなたに沖縄本島、西方海上に久米島を望むことができる景勝地。
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知念城跡
知念集落の丘上にある、代々の知念按司の居城。自然石を野面積みした古城と、石造文化の粋を集めたアーチ式の新城に分かれる。城内には拝所や火の神の社殿などが残る。
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泊外人墓地
日米和親条約締結に先立ち、日本開国のための足場固めを行ったペリー提督の上陸記念碑が立つ。18世紀に来流した中国商人や、フランス人宣教師らの眠る墓地が並ぶ。
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幸地腹・赤比儀腹両門中墓
門中とは、墓を共有する父系一族のことで、この墓は幸地腹門中と赤比儀腹門中の共同墓。300年以上の歴史をもち、5400平方メートルという広大な敷地は沖縄最大規模だ。