米子・皆生温泉・大山の「歴史」観光スポット(全27件)
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大山寺
大山のふもとにたたずむ寺。奈良時代に創建され、平安末期・室町時代には天台宗山岳仏教の修験場として寺勢を誇っていた。本堂や霊宝閣、阿弥陀堂などが残っている。
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鳥取県立むきばんだ史跡公園
鳥取県の西部、大山町と米子市にまたがる遺跡。弥生時代の住居跡や墳丘墓が発見された。規模・質ともに国内最大級の弥生時代の集落跡として全国から注目を集めている。
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妖怪神社
境港出身の水木しげるにちなんで作られた神社。鳥居の横木には天然木で作った一反木綿が置かれている。併設している「むじゃら」では鬼太郎絵馬、目玉おやじお守りなど販売。
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大神山神社
大己貴神を祀る古代の官立の神社。大山町にある大神山神社は、ここの奥宮である。アジサイが6月から7月に見ごとに咲き誇る。スイレンの池もあり、静かな境内の散策が楽しめる。
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正福寺
曹洞宗の禅寺。堂内には、水木しげるを魅了した地獄極楽絵図があり、多くの水木ファンが訪れる。境内には松尾芭蕉の句碑や、水木氏のブロンズ像もある。
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住雲寺
美しい藤が咲くことで知られるこの寺は、別名「藤寺」と呼ばれる。境内に樹齢40数年の藤の木があり、5月上旬から中旬にかけて開花し、見事な薄紫色の藤棚を作る。
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大神山神社奥宮
社殿は江戸末期の建造物。入母屋の権現造りで国の重要文化財に指定されている。幣殿内部は天井画や壁面天女図など極彩色に彩られた華麗な装飾が施されている。
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退休寺
山陰地方最古の歴史をもつ曹洞宗の名刹。2度の大火に見舞われたが、現存する勅使門と土塀などが往時を偲ばせる。境内には数畳敷の灯明杉の切古株も残る。
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延暦寺
境内には、日野町出身で明治・大正時代の評論家であり、優れた翻訳家・小説家・劇作家でもあった、生田長江の顔のレリーフと自筆文が彫られた碑が立っている。
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金持神社
隠岐から脱出した後醍醐天皇に従った忠臣金持景藤が、戦勝を祈願した神社。縁起が良い名だけに、全国からたくさんの人々が、開運・金運を求めて参拝に訪れる。
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逢坂八幡神社
貞観7(865)年、大分県宇佐八幡宮より勧請、大阪八幡宮と号したのがはじまり。大正時代に松河原神社、岡神社、殿河内神社と合祀し、社号を逢坂八幡神社と改称した。
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名和神社
14世紀はじめ、後醍醐天皇を助けて建武新政権創出に功績のあった、名和長年公とその一族42柱を祀る。約700mの参道沿いの桜並木は「桜のトンネル」として有名。周辺は「太平記」など史跡も多い。
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殿山古墳
三崎山頂にある山陰地方最大級の前方後円墳。全長約100m。東側の小高い後円部と、西側の低く細長い前方部からなる。大和地方の強い影響を受けた前期古墳と見られている。
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福樹寺
塔や仏堂、回廊跡などが発見され、白鳳期に大規模な寺があったと考えられる大寺廃寺跡から発見された石製鴟尾が境内にある寺。石製鴟尾は魚の尾の形をしており、国の重要文化財。
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生田長江文学碑
生田長江は日野町出身で、明治・大正時代の評論家であり、優れた翻訳家・小説家・劇作家でもあった。延暦寺の境内には、長江の顔のレリーフと自筆文が彫られた碑が立っている。
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皆生温泉神社
皆生温泉の発展に尽力した有本松太郎が「皆生温泉に日本人らしい心のよりどころを」という願いをこめて建てた。皆生の名のとおり「皆生きる」長寿の神といわれている。
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米子城跡
慶長6(1601)年に伯耆国城主として米子に移った中村一忠が五重の天守を建設。現在は石垣しか残っていないが、一帯は市民憩いの公園として整備されている。
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安養寺
後醍醐天皇の皇女瓊子内親王が開いた寺。隠岐に流される父との同行がかなわなかった16歳の内親王が、尼となり24歳までの生涯を送った。境内には内親王の墓所などがある。
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名和一族郎党の墓
名和公の館を命にかけて守り、炎上とともに自害した妻女らの墳墓と伝えられている。名和長年公が建立したと伝えられる長綱寺の裏山にひっそりと立っている。
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上淀廃寺跡
飛鳥時代に建立された寺院で、平成3(1991)年に日本最古級である白鳳期の彩色仏教壁画が発見され、話題を集めた。中国や朝鮮半島にも例がない伽藍配置だったことが判明している。
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大山寺阿弥陀堂
五間四方、単層宝形造りの堂は室町時代に再建され、現存する大山の堂宇で唯一の古建築。重要文化財に指定され堂内に京仏師の良円の作と伝わる阿弥陀三尊像を安置している。
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楽楽福神社
鬼住山の伝説によると、孝霊天皇が伯耆に滞在した折に鬼住山に住む悪い鬼の噂を聞き、鬼退治をした。喜んだ人々が、笹の葉で屋根を葺いて天皇を奉ったといわれる神社。
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松本清張文学碑
社会派文学の巨匠、松本清張氏の父が終生なつかしみ慕ってやまなかった故郷、矢戸の地に建つ文学碑。作品「父系の指」に紹介されたこの地に、静かに厳かにたたずんでいる。
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江美城跡
江美城は蜂塚安房守が築城したとされ、4代にわたって居城したが、永禄8(1565)年毛利軍によって落城。
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後醍醐天皇御着船所
元弘3(1333)年、隠岐から脱出した後醍醐天皇が一番最初に着いたところといわれ、ぽつんと御上陸地碑が建立されている。はるか遠くに隠岐が浮かび、当時がしのばれる。
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小野小町の墓
平安前期の女流歌人で、絶世の美女といわれた小野小町の墓と伝えられる五輪塔。一番上と二番目の石をこすり合わせてできた白い石粉を顔に塗れば美人になるといわれている。
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赤猪岩神社
大国主命にまつわる神話が伝わる、手間山のふもとの神社。境内には『古事記』に記された、赤い猪といわれ、大国主命が抱きとめた焼き岩が祭られている。