福井の「歴史」観光スポット(全27件)
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足羽神社
継体天皇により創祀され、1500年以上の歴史を持つ神社。この神社の神紋は日と月と星を組み合わせた「三光の紋」という珍しい紋章。境内にあるしだれ桜は市天然記念物で樹齢約360年の銘木だ。
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一乗谷朝倉氏遺跡
文明3(1471)年に朝倉孝景が越前支配の根拠地をこの地に置き、百数年間栄華な文化を誇った。発掘調査で城下町の遺構が発見され、国の特別史跡に指定。
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福井城跡
徳川家康の次男初代藩主結城秀康が慶長11(1606)年に築城。越前松平家の繁栄の舞台。石垣と濠が往時を偲ばせる。花見の名所。福井の名の由来「福の井」と呼ばれる井戸も。
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九十九橋
幕末迄、足羽川に架っていた福井城下唯一の橋。柴田勝家により半分石、半分木で架けかえられ江戸期を通じて奇矯として知られました。現在は新しく架け替えられていますが、龍馬もこの橋を渡り、城下に入ったと伝えられています。
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新田義貞公之大宮 藤島神社
南北朝時代の武将・新田義貞をまつる神社。もともとは新田塚にあったが、明治34(1901)年に水難を避けるため現在の地に奉遷された。社宝の義貞の兜は国の重文指定。
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福井神社(松平春嶽像)
松平春嶽の銅像ここにあります!福井神社は昭和18年に最後の別格館幣社(国に業績を挙げた人物を祀る神社)として創建、戦災で焼けるも福井大学工学部の設計で再建されました。神社としては強烈な違和感を感じるほどのコンクリート造りにも注目です。
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北ノ庄城址・柴田公園
天正3(1575)年、織田家一の武将、柴田勝家が福井を治めていた際に築城された名城跡。安土城の7層をしのぐ9層の天守閣を持つ最大級の城だったという記録が残る。
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毛谷黒龍神社
北陸の大河「九頭龍川」の守護神として創建され、地元の人は「くろたつさん」と呼ぶ古社。境内にある西宮恵比須神社は、商売繁盛の神として信仰が厚く、十日えびす祭が有名だ。
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西光寺
柴田勝家とその妻・お市の方が祀られている。資料館には勝家の遺品や北ノ庄城の鬼瓦などを展示。
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上城戸跡、下城戸跡
一乗谷を防御するため、谷の南北に築かれた城門。南側の入口にあたる上城戸は、一乗谷川と山に挟まれて狭くなったところに土塁が築かれている。高さ5m、長さ50mある。
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義景館跡
5代当主義景が住んでいた館跡。三方は土墨と壕で囲まれている。主殿や茶室などが整然と配置されていた。茶室近くにある花壇跡は日本最古のものである。
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莨屋(たばこや)旅館跡
龍馬は大政奉還後、福井藩主松平春嶽に上洛を要請。翌日、謹慎中の三岡と新政府の財政を語り合ったのがここです。この折、龍馬は自らの写真を三岡に渡します。1週間後、龍馬暗殺の際、三岡が所持していた龍馬の写真を無くしたというのは有名な話です。
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三岡八郎(由利公正)邸跡
若くして藩財政の建て直しを行い、熊本藩から招かれた横井小楠と共に藩政改革を進めました。一時謹慎しますが、龍馬によって再び世に出され、龍馬の船中八策を基に五箇条の御誓文の草案を作成すると共に、明治政府の財政を担当していきます。後の初代東京府知事です。
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一乗谷の石仏
朝倉時代には40を超す寺院が造られ、西山光照寺跡や盛源寺の参道や境内にはその名残の石仏や石塔が約3000基散在している。
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福井市おさごえ民家園
江戸時代の県内各地の豪農や庄屋の古民家を移築、復原。民家は豪雪に耐えられるといわれる越前型で建立し、茶会や句会などに利用できる。家屋は全て福井市の文化財に指定。
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西山光照寺跡
天台宗真盛派で、朝倉時代の最大の寺院跡。大小38体の石仏が一同に並ぶ様は迫力があり、参拝客は絶えることがない。一乗谷は“石仏の里”とも呼ばれ、約3000体の石仏や石塔が散在している。
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諏訪館跡庭園
朝倉氏の5代当主義景が、側室「小少将」のために造ったとされる館の庭園。庭園は上下二段構成で、下段のカエデの古木の下にある滝石組みは壮大である。一乗谷の庭園の中でも最も規模が大きい。
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小羽山30号墓
通称“小羽山”で発掘された、弥生後期造営の墳丘墓。墓の四隅に突出物がある珍しい構造になっている。これに似た構造の墓は山陰地方に多いとされる。
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継体天皇像
小柄な三頭身ふうの像は、足羽山のシンボル的な存在。三段広場に建つ。継体天皇は記紀で第26代天皇とされ、福井の治水や産業に大きな足跡を残した。
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由利公正(三岡八郎)像
福井神社の隣・中央公園内に堂々と立つ三岡八郎像。三岡は横井小楠の指導を受け、藩内改革を推し進めて財政再建をしました。龍馬暗殺の際、に依頼されて新政府の財政案を作成。五箇条の御誓文の原案を起こしたことでも知られています。
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大安禅寺
福井藩歴代藩主松平家の菩提寺として、万治元(1658)年に創建された臨済宗妙心寺派の名寺。1360枚もの笏谷石が敷き詰められた千畳敷がある。
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丹厳洞
福井最重要龍馬史蹟です!1846年に建てられた土蔵造り2階建ての草庵で、藩主・松平春嶽、中根雪江、橋本左内、三岡八郎たちの密会所として使われました。龍馬がここを訪れたかどうかは定かではありませんが、当時の雰囲気を肌で感じることができます。※午前中のみ見学可。料亭2名以上要予約
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盛源寺
一乗谷朝倉氏遺跡から約1km離れた山あいに建つ天台宗寺院。参道沿いに地蔵菩薩立像や十一面観音菩薩立像の石仏がずらりと並んでいる。正確な数は不明だが、数百の石仏があるという。
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横井小楠邸跡
龍馬が最も尊敬した人物の一人、熊本藩士・横井小楠。保守的な熊本では彼の開国論は受け入れられずも、松平春嶽の招きで福井越前藩にて藩政改革を実施しました。文久3年(1863)5月16日、神戸海軍操練所の資金援助を懇請しに越前福井を訪れた際に、訪れたのがここです。
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自性院
慶長10(1605)年に現在の場所に移された、お市の院号「自性院」を冠したお市の菩提寺。薬師堂では毎月8日に護摩法要が行なわれる。
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横井・三岡旅立ちの像
熊本藩士・横井小楠は福井藩の財政再建を行いました。龍馬も福井と熊本で横井の意見を聞いています。銅像は安政5年(1858)熊本に一時帰国する小楠と三岡八郎(由利公正)を再現。三岡はこの旅で長崎での物資販売ルートを開拓、藩財政を改善しました。
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唐門
唐門は朝倉館跡の正面に建つ門で、朝倉氏を弔うために建てられた松雲院の門である。建築年代は江戸時代中期と考えられる。