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全国の「長崎市」に関する観光スポット145件を紹介!
新大工町と桜馬場の境に立つ。碑面には「長崎街道ここに始まる」と記されている。長崎街道は長崎と福岡の小倉を結び、この街道を経て西欧の学術や文化は全国に広まった。
日本初のプロカメラマン上野彦馬が、文久2(1862)年に創設した上野撮影局があった場所。彦馬はここで坂本龍馬を撮影したとされる。近くには幕末モニュメント「タイムスリップ撮影」がある。
龍馬通りの長い階段を上りきった見晴らしのよい高台に設けられたモニュメント。龍馬が愛用したブーツよりも大きめの銅製で、両足を入れることができる。記念撮影スポットとして人気だ。
アミュプラザ長崎1階の「長崎おみやげ街道」内にある。五島列島近海で揚がった旬の獲れたての魚を使った干物を中心に、対馬のヒジキ、ワカメなど長崎の海産物を扱う。
五島灘をぐるりと見渡す場所に、ミネラル分豊富な炭酸水素塩泉が地下1500mから湧出している。宿は全室オーシャンビューの「野母崎 海の健康村」が1軒。
日本三大夜景の一つとして有名な稲佐山に湧く長崎市内では貴重な温泉。ホテルと日帰り入浴専用施設があり、いずれも長崎市街を一望する露天風呂をもつ。
長崎の街を人力車で観光できる。所要時間は5分から3時間20分までで、さまざまなコースがある。長崎全日空グラバーヒルホテル前付近でスタンバイしている。
寛永11(1634)年に興福寺の二代目住職、黙子如定によって架けられたといわれる橋。川面に映る姿とあわせると眼鏡のように見えることから名が付いた。国の重要文化財。
長崎市内で出土した旧石器時代から江戸期の考古資料を展示。明治4(1871)年に日本で最初に使われた海底通信機械や農機具、陶磁器、中国やポルトガル関係の資料も紹介。
西坂公園の「日本二十六聖人殉教地」にある記念館。長谷川路可のフレスコ画『長崎への道』をはじめ、キリシタン資料を多数展示している。ザビエル書簡もある。
「長崎から地球、そして宇宙へ」がテーマ。リニューアルしたスペースシアターでは、迫力あるデジタル映像でプラネタリウムや全天周映画を上映。長崎の自然や地球、宇宙を知る展示ゾーンもある。
慶応元(1865)年に坂本龍馬が結成した日本初といわれる商社「亀山社中」跡で、龍馬が長崎での活動の拠点とした場所に建つ。往時に近い形に改修を行い、館内には龍馬関連資料などを展示。
唐人屋敷とは長崎の市内に居住していたすべての中国人を収容するために、元禄2(1689)年に江戸幕府によりつくられたもの。土神堂など4つの堂が往時の雰囲気をしのばせる。
フランス人フューレ、プチジャン両神父によって元治元(1864)年に創建。現存するものでは日本最古の木造ゴシック様式の教会で世界史上有名な「信徒発見」の舞台でもある。
原爆の後遺症に苦しみつつも被爆者の救護に尽力し、多くの名著を残した永井博士の家。記念館は、博士が自宅横につくった子どものための図書室が前身だ。館内には博士の遺品を展示する。
トーマス・B・グラバーの洋式の屋敷跡。明治元(1868)年に高島炭坑開発のために建てられ、グラバーが6年間住んでいた。その後、三菱高島鉱業所の迎賓館として使われた。
承応3(1654)年に唐通事の林守でんによって架けられた橋。側壁石の加工法がめずらしく、長い年月を経た現在も頑丈に架橋当時のアーチの石組みを保っている。
「新日本画」と呼ばれる画法を確立した長崎出身の須加五々道氏の作品を展示。水墨画を基調に西洋美術の遠近法を融合させた独自の画法は、繊細で情緒豊かだ。
画家のヤマサキユズル氏のアトリエ兼ギャラリー。展示作品はアクリル水彩で描いた月の絵が中心で、不定期に企画展を開催する。絵画やオリジナルポストカード、手作り小物なども販売している。
名妓愛八をはじめ、多くの遊女が訪れたという料亭花月の裏門近くにある天満宮。丸山町の氏神で、心身の悩みを身代わりになって助けてくれるといわれる。
明治26(1893)年、ときの清朝政府の提唱で華僑が建てたもので、中国国外で唯一中国人によって建立された孔子廟。美しい色彩の建物は華南と華北の建築様式が混ざり合っている。
明治37(1904)年に建てられたもので、長崎市内に現存する石造りの洋館のなかでは最大級。2階の一部と3階では歴史資料を展示、1階は多目的ホールとして活用されている。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている南山手地区の洋館。旧雨森邸を移築して、旧居留地の模型などの展示や有料の研修室として活用している。
昔、長崎の人は東洋人以外の外国人をオランダさんと呼び、居留地の坂をすべてオランダ坂と呼んだ。そのなかでもっとも有名なのが、活水女子大へと続く風情あるこの石畳の坂だ。
昭和20(1945)年に投下された原子爆弾により壊滅的な被害を受けた長崎。資料館では被爆写真や資料などを展示し、被爆の実相と平和の尊さを伝えている。
長崎市内に数ある石橋の一つで、明暦3(1657)年に高一覧が架橋。現在の橋は、昭和61(1986)年に中国福州市産の花崗岩を使って復元したもの。夜はライトアップされる。
延宝7(1679)年の架橋当時、河畔に桃の木があったことから名が付く。唐船から降ろした荷を小舟でこのあたりまで運んできていた。橋の両脇に唐船安全祈願塔常夜燈が立つ。
昔、市中引きまわしの死刑囚が必ず渡らなければならなかった石橋。橋の名は、囚人たちが来世は極楽に生まれるようにと架設の翌年に橋際に阿弥陀堂が建てられたことに由来。
国道202号沿いにある琴海地域の特産品販売所。店頭には農家から毎朝届けられる色鮮やかな野菜や果物がずらり。季節によって手製のジャムやかんころ餅などを販売している。
長崎出身の歌手、さだまさしの呼びかけにより、「ナガサキピースフィア 貝の火運動」の募金活動で建てられた。写真やパネル展示を通じ、平和を呼びかけている。
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