高知・南国・香南・伊野の「歴史」観光スポット(全30件)
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高知城
高知市の中央に立つ典型的な平山城。慶長6(1601)年、土佐へ入国した山内一豊が大高坂山に築城を始めた。三層六階の天守閣や追手門、黒鉄門など15の建造物が重要文化財だ。
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坂本龍馬像
龍馬の功績を永く後世に伝えようと建てられた像。和服姿にブーツをはき、右手を懐に入れて、はるか太平洋の彼方を見据えて立つ姿は、維新の志士らしい凛々しさを感じさせる。
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竹林寺
神亀元(724)年に行基が開基した真言宗の寺で、四国霊場第31番札所。重要文化財の入母屋造りの本堂や大師堂、夢窓国師による室町様式の庭園が見学できる。
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雪蹊寺
延暦年間(782〜806年)、弘法大師空海が開基した四国霊場第33番札所。創建当時は真言宗だったが、中興の末に臨済宗に改宗し、寺名を高福寺から雪蹊寺に改名した。
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国分寺
聖武天皇の勅願により諸国に建立された国分寺の一つで、天平13(741)年に行基が開基。その後、空海が中興した。境内全体が国の史跡指定を受けている。本堂は重要文化財。四国霊場第29番札所。
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坂本家墓所
上町の北西、通称・丹中山(たんちやま)にあり、龍馬の父・八平直足、兄・権平直方、姉・乙女らが眠ります。ここに来ると5人兄弟の末っ子である龍馬がいかに愛されて育ったのかが分かるような気がしてしまいます。今は整備されて訪れやすくなっています。
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濱口雄幸生家記念館
高知県出身で初めて内閣総理大臣になった濱口雄幸の記念館。雄幸の生家を復元し、総理大臣辞令のコピーや狙撃されるきっかけになったロンドン海軍軍縮条約の資料などを展示。
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和霊神社
宝暦12(1762)年に坂本家の本家が氏神として建立。脱藩前の龍馬が酒を片手に「吉野の桜を見に行く」と言い残しこの神社を参拝したと伝わる。
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和霊神社
文久2年(1862)3月23日、脱藩の意を固めた龍馬が詣でた場所で、才谷屋の守護神でもあります。鳥居をくぐると当時の龍馬もここを通ったのだなと、感慨深くなります。ひっそりと佇む趣のある神社です。
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日根野道場跡
龍馬が14〜19歳まで修行したのがこの辺り。付近の石垣が在りし日の風景を彷彿とさせます。すぐそばを流れる鏡川は龍馬幼少の頃、乙女姉さんに水練させられた場所。こちらもお見逃しなく!
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紀貫之邸跡
土佐国司の館があったと伝わる場所。「土佐日記」の著者として知られる紀貫之は、延長8(930)年から約4年間ここに住んだ。現在は高浜虚子の句碑などが立つ。
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禅師峰寺
四国霊場第32番札所で、峰寺の呼び名で親しまれている。平安初期、空海が土佐沖を航行する船の安全を祈り、十一面観音を刻んで本尊にしたと伝えられる。
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種間寺
航海の安全を祈願したことが寺の起源で、四国霊場第34番札所。寺号は、弘法大師空海が中国から持ち帰った五穀の種を蒔いたことに由来する。本尊の薬師如来像は重要文化財。
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板垣退助誕生地
参政・吉田東洋の門人で土佐藩の要職に就きました。戊辰戦争時に独断で軍と共に上京し、東山道先鋒総督府参謀として活躍しました。維新後は野に下り自由民権運動を興しました。龍馬の志を実質引き継いだとも言えるのではないでしょうか。
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坂本龍馬誕生地の碑
龍馬の誕生地に立つ石碑で、碑銘は吉田茂元首相の書による。上町1丁目交差点の東、旧本丁筋から一本南の通りまでが龍馬の生家とされているが、その一部は現在上町病院となっている。
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旧山内家下屋敷長屋展示館
大政奉還に尽力した幕末の藩主・山内豊信(容堂)の下屋敷長屋。全国的にも数少ない本格的な武家長屋の一つで、重要文化財。屋敷内には和船の模型などを展示。
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清滝寺
四国霊場第35番札所。8世紀初めごろ、行基によって開基された。のちに巡錫した空海が杖で地面を突くと清水が湧き出し鏡のような池ができたことから、鏡池院清滝寺と名づけられた。
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寺田寅彦記念館
「天災は忘れた頃来る」の警句で知られる物理学者、随筆家の寺田寅彦の記念館。4歳から19歳まで過ごした邸宅の主屋や勉強部屋などを復元し、ゆかりの品々を展示している。
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坂本家墓所
高知市北西にある丹中山と呼ばれるエリアは、江戸時代からの墓地山として長い歴史をもつ。龍馬の父や兄、姉の乙女ら坂本家一族の墓もあり、周辺には数多くの藩士や著名人の墓碑が立ち並ぶ。
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後藤象二郎誕生地
参政・吉田東洋の門人であり、暗殺を指示した武市半平太を断罪にした龍馬の敵役!ですが龍馬とは後に長崎で意気投合し、大政奉還の立役者となりました。龍馬は彼を「おもしろき人」と称しています。板垣退助とは竹馬の友でありました。
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青龍寺
横浪半島の端、宇津賀山の東麓にある四国霊場第36番札所。本堂まで続く170段の長い石段を遍路が行き交う。弘法大師空海が修行先の唐から帰国後に建立した。
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河田小龍誕生地
龍馬にとって思想上の最初の先生として知られます。絵師でありながら、帰国したジョン万次郎に聞き覚えした「漂巽紀略」が有名です。龍馬に交易の重要性を教えたものの、龍馬はあまり尊敬していなかったとも言われています。
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秋葉神社
火災から城下を守る防火の神を祀る。子供のころの龍馬もここで遊んでいたのではないかと伝わる。
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薫的神社
かつての土佐藩の領主長宗我部氏の菩提寺として16世紀に創建。山内氏との確執で憂き目にあった当時の僧侶が祭神に祀られている。政治犯を収容した獄舎「お牢」が境内に残る。
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近藤長次郎邸跡
幼少期から聡明で藩主・山内容堂に認められて名字帯刀。神戸海軍塾、亀山社中で活躍しました。饅頭屋と言われ龍馬に愛されたものの、隊士には不人気だったと言われています。龍馬不在中にイギリス留学計画が発覚し切腹。龍馬はその死を惜しみました。
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平井収二郎誕生の地(平井加尾誕生の地)
龍馬の初恋の人、平井加尾が兄・平井収二郎と共に住んだ場所です。加尾は龍馬の姉・乙女の琴の仲間で藩主・山内容堂の妹・友姫のお付きとして後に上京するも龍馬との交際は続いたと言われています。龍馬もここを訪れたのでしょうか。
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吉田東洋暗殺之地
富国強兵論を唱えて藩政改革を大胆に実行するも、尊王攘夷を掲げる土佐勤王党により暗殺されました。結局その仇を甥・後藤象二郎が討ち土佐勤王党は瓦解。しかしその後藤と武市の親友であった龍馬がやがて手を組み時代は大きく動くことになります。
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善楽寺
弘法大師が開基した真言宗の寺で四国霊場第30番札所。かつて土佐国一の宮総鎮守、高鴨大明神の別当寺として栄えた。本堂は昭和57(1982)年に改築され新しくなったもの。
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土佐神社
本殿、弊殿、拝殿は元亀元(1570)年に長宗我部元親が再建した建物で国の重要文化財。歴史が感じられる鼓楼や楼門も国の重要文化財に指定されている由緒ある神社。
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武市半平太旧宅及び墓
遠縁の龍馬とは「あぎ」(アゴが長いことから)、「あざ」と呼ぶ仲。土佐勤王党盟主として、薩長や京都朝廷に対して影響力は大きかったと言われます。後に参政・吉田東洋暗殺の罪を問われ、切腹しますが、国の史跡となっていることからその重要度が伺われます!