赤間神宮のつぶやき
「赤間神宮」でつぶやかれたTwitterのツイートを掲載しています。
赤間神宮のクチコミ
赤間宮
記憶違いでなければ、地元民は赤間宮と呼んでいたような…。昭和15年からは赤間神宮が正式名称らしいと随分後になってから知った。赤間宮も明治の神仏分離からでそれ以前は阿弥陀寺という寺だった。現在も地名は阿弥陀寺町という。社殿は太平洋戦争で壊滅し、整備されるまで大分かかった。二位の尼の言葉から、波の下の都をイメージした竜宮のような社殿。境内には平家一門の墓や、ここ阿弥陀寺が舞台となった「耳なし芳一」の芳一堂、安徳天皇阿弥陀寺陵などもある。 毎年5月の先帝祭は見物客でごった返す。花魁道中のような外八文字道中が見物。幼い頃これの由来を「平家の女官が生き延びたものの食い詰めて身を売って生活し、女郎に身を落としても毎年の参拝は欠かさなかったという故事に因んでいる」と飛んでもない事を教えられ、長らく信じ込んでいた。疑う事を知らない幼子になんてこと教えやがる、あのヤロー。
島の民 さん (投稿日 08-05-27)
赤間神宮
壇之浦の合戦で、入水された安徳天皇が祀られているという場所です。 鮮やかな赤・緑・白の水天門は美しいです。 安徳天皇陵もありますが、そこは入れないようです。 ひっそりと、平家一門の墓と、耳なし芳一像があります。 お参りする人が多いと、宮司さんがやってきて、 耳なし芳一の話をしてくださいます。 高浜虚子が一句詠んでいて、 「七盛」とあったのですが、 お墓の説明を見ると、名前に「盛」がつく人は六人しかいません。 宮司さんに質問したところ、 ちょっとうやむやにされましたが、(笑) まぁ、平家といえば、清盛を始めとする「盛」の字がつく名前が多いし、 お墓の石が前列は7基あるため、 虚子は特に深い考えがあったわけでもなく、 七盛と詠んだのではということでした。
ささがに さん (投稿日 06-03-04)
竜宮城
行く前に竜宮城みたいだよ。と聞いていましたが、 実際いってみると。。 まさに昔絵本でみた竜宮城でした。 壇之浦の戦いに敗れて入水した安徳天皇を祀っているそうです。義経の話は好きですが知りませんでした。 目の前の海を見ながら源平合戦の時代に思いをめぐらせるのもよいかと。。
えいちゃん1973 さん (投稿日 07-12-13)