春日神社のつぶやき
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春日山城
【春日山城】新潟県上越市中屋敷字春日山 2008/07/26登城(No85) 永正4年(1507)守護代であったった長尾為景が守護上杉房能を追放し長尾氏の居城とした。その後の晴景、景虎(上杉謙信)、上杉景勝と4代の居城として整備されてきたが、謙信が中心的な役割を果たしている。 城は南北に延びる春日山の尾根上に築かれ、東西は急峻な崖で天然の要害を持つ難攻不落の巨大な城とされた。特徴的なのは、入り口となる南北には重臣屋敷の複雑な曲輪を配し、また無数といえる曲輪を高低差を利用し配して、中心の本丸を守っていることだ。大軍に攻められても分断し防御できる構造を要している。 謙信は信濃、関東、能登へ「義」のため毎年出陣し、本拠を留守にする事が多く、攻められても小人数の留守部隊でも守れるような山城を必要としていたからなのだろう。 慶長3年(1598)上杉景勝が会津へ転封になり堀秀治が入封、山城では政には不便なので慶長12年(1607)直江津港近くに福島城を築城、春日山城は廃城となった。 春日山城は土塁、空堀からなり、石垣もなく天守もなかった。春日山の名称は奈良の春日大社から分霊勧請(かんじょう)した春日神社に由来するとされる。春日山神社は明治34年(1901)山形県米沢市の上杉神社(祭神は上杉謙信)より分霊されたもの。 謙信公銅像のある所までタクシーで行き、銅像下のポストから地図をゲット、春日山神社の脇から登る。急な坂を千貫門まで一気に登る、そこから南方向に直江屋敷と呼ばれる曲輪跡をまた登ります。お花畑のちょい上に再建毘沙門堂があります。さらに護摩堂、休憩所をすぎ、本丸へ一気に着きました。今日は雲低く靄って視界がよくありません。本丸跡は山の上なので広くはありません。ちょっと南に天守跡の碑があります。 本丸から下の二の丸に行き、たて堀、土塁をみて三の丸に行きました。また二の丸から御成街道をたどり、景勝屋敷をみて柿崎和泉守屋敷まで行き、再び御成街道から二の丸、三の丸を降り、謙信公銅像へ戻りました。休みも入れて1時間半でした。 <交通>直江津駅から謙信公銅像下までタクシー\1920。高田駅からも同じくらいのようです。銅像より麓の大手道からも登れます、パンフによれば本丸まで1時間とあります。 <写真左>春日山城図(パンフより) <写真中>本丸跡 <写真右>二の丸から本丸
kenken0418 さん (投稿日 08-07-29)