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上野城(白鳳城) つぶやき・クチコミ

エリア
三重県伊賀市
ジャンル
見る - 史跡・建造物 - 城・城址

慶長16(1611)年に藤堂高虎が手掛けた城だが、完成直前に暴風雨のために天守が倒壊、約30mの内堀の石垣のみが残された。現在の天守は昭和になって再建されたものだ。

上野城(白鳳城)のつぶやき

「上野城(白鳳城)」でつぶやかれたTwitterのツイートを掲載しています。

上野城(白鳳城)のクチコミ

未完の城・伊賀上野城

【伊賀上野城】三重県伊賀市 2006/10/27登城(No62)  藤堂高虎が伊賀、伊勢22万石で転封されたのは慶長13年(1608)、丹波篠山城、亀山城の城普請にかりだされ上野城に着手したのは3年後の慶長16年だった。家康は大坂への備えとして彦根(井伊)、伊賀上野に外様ながらもっとも信頼する高虎を配した。  本丸の西側に日本一の高石垣(30m)を配し、東側に曲輪(筒井氏時代の本丸)を配した。だが真ん中に南北の道があり、堀は東、西にあるが南北の道の部分で切れている。南北の道には櫓、門もない。天守は西側(高石垣)に5層の天守をあげていた。だが慶長17年(1612)暴風で倒壊してしまった。  城は未完のままにしたようだ。慶長20年(1615)大坂夏の陣で豊臣が滅び、大坂に備える意義も失われた。その後も築城名人として大坂城、二条城、日光東照宮、東叡山寛永寺の造営・修築に忙しかった。  高虎最後の城が未完なのは名人としてどう思っていたのだろうか?藤堂家は国替えもなく明治まで代々領土を守り通した。しかし鳥羽・伏見の戦いでは幕軍の先鋒として出陣したが、寝返り、変わり身(高虎ゆずり)の早さをみせた。  現在の3層3階の天守は昭和10年(1935)に川崎克氏により建てられたもので、木造、2層の小天守を伴っている。70年以上たつとそれなりにマッチしている(伊賀文化産業城)。近くに伊賀流忍者博物館、歴史民族資料館あり。 <交通>近鉄伊賀線上野市駅歩8分。上野市駅から地下通路で反対の伊賀市役所側に出ればすぐ。なお伊賀線は本数が少ないので事前確認要。

kenken0418 さん (投稿日 08-04-01)

伊賀上野城

上野公園内にある。 白亜三層三重のお城で,白鳳城とも呼ばれる。 天守閣は昭和10(1935)年に川崎克氏(個人)の私財により木造で再建。 天守最上階天井には横山大観・元首相らの色紙。 高石垣(30m)は日本一と言われる。

ZAK007 さん (投稿日 06-12-23)

忍者

GW期間中などには、忍者衣装の貸し出しもしてました。 忍者衣装を着て、城をバックに記念撮影は面白いです!

おしゅうさま さん (投稿日 07-05-08)

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