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郡上八幡城(積翠城) つぶやき・クチコミ

エリア
岐阜県郡上市
ジャンル
見る - 史跡・建造物 - 城・城址

4層5階建ての木造で、遠藤盛数により永禄2(1559)年築城。現在の城は昭和8(1933)年に再建。木造再建城では日本最古。天守閣からは町が一望でき、もみじの名城として新緑や紅葉も人気。

郡上八幡城(積翠城)のつぶやき

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郡上八幡城(積翠城)のクチコミ

郡上八幡城跡

【郡上八幡城跡】岐阜県郡上市八幡町 2008/03/28登城(No126)  織田信長や豊臣秀吉の家臣であった遠藤氏が領有していたが、2代慶隆が織田信孝についたため追放された。その後は稲葉貞通が4万石で入り、山頂に天守をあげ、山麓に居館を設けた。関ヶ原後稲葉氏が豊後臼杵に移封され、遠藤慶隆が2万7000石で旧領復帰し、寛文7年(1667)に城を大改修した。遠藤氏は元禄5年(1692)に嗣子がいなくなったが改易されず移封された。その後井上氏、金森氏が入り、宝暦8年(1758)に青山幸道(よしみち)が4万8000石で入封、以後明治までつづく。  本丸は吉田川と小駄良(こだら)川が合流する北の標高354mの八幡山の山頂にある。山頂ゆえに広くはなく単純な構造だ。青山時代には本丸は山麓に移された。  現在、昭和8年(1933)に木造の模擬天守が建つ。これは大垣城天守を模したもので4層5階、木造模擬天守では最古のもの。隅櫓、城壁もあり城門も建て、野面積みの石垣は往事のもので天守曲輪としての偉容をみせている。天守内はギシギシ、バリバリと板張りなのでうるさいが木造でよい。最上階からの眺望よし、八幡町の市街が魚の形のようにみえるというが、確認そこねました。郡上踊りが超有名だが郡上八幡博覧館でみえます。だが阿波踊りと同じで、みるよりも踊りに参加する、踊れるので機会があればぜひみんなで踊りましょう。小京都といわれる町の散策もぜひ。 <交通>JR美濃太田から第3セクター長良川鉄道で郡上八幡下車80分\1200。駅前からまめバス(\100)で八幡城下町プラザまで最短10分。そこから山頂の城までゆっくり歩20分。お急ぎの場合は駅からタクシーで天守そばまで行けます。長良川鉄道は本数少なく、まめバスも1時間1本程度。とにかく行き着くまで時間がかかります。岐阜から岐阜バスで入ることもできますがHPで確認を。

kenken0418 さん (投稿日 08-04-01)

郡上八幡城

戦国時代末期の永禄 2年(1559年)、 遠藤盛数が 本家の東氏を攻め滅ぼして 築城したものです 明治維新で 破却され、 現在の城は 復元されたものです 石垣が当時のまま残っていて 天守閣は 昭和8年再建されました 木造の再建城としては 全国で最も古いものです ここから 郡上八幡の町が見渡せます 郡上八幡へいかれた際には ぜひ。

リンコ4264 さん (投稿日 07-05-09)

千代

郡上八幡城は城下町郡上八幡のシンボルです。 天守閣からの眺望は、城下町や奥美濃の山並が一望できます。 大河ドラマ「功名が辻」などで知られる山内一豊の妻、千代はこの城の初代八幡城主遠藤盛数の娘といわれています。 城内にある遠藤家系図の中には「山内対馬守室(千代)」との記述があり、千代が郡上の生まれであることを証明していると伝われています。

えいちゃん1973 さん (投稿日 07-12-15)

秋にはライトアップしますよ〜 (^_-)-☆

11月の中旬くらいには「もみじまつり」と題して、イヴェントが開かれます。 夜には紅葉とお城もライトアップされて、とても幻想的な雰囲気。 お城そのものは小高い丘の上にありますが、車で登って行けます。駐車場も整備されてます。 お城の中も見学OKで、上まで登ると眼下に郡上八幡の町が広がります。なかなかいい眺めですよ。

totoro3926 さん (投稿日 07-05-27)

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