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全国の「会津若松」に関する観光スポット109件を紹介!
観音堂内には、大同3(808)年に立木のままに彫られた高さ8.5mの千手観音立像を安置。観音堂は鎌倉時代初期の作で観音像とともに国の重要文化財に指定されている。
会津の名城・鶴ヶ城の天守閣から南東へ行くと、月見櫓の下に、滝廉太郎の名曲「荒城の月」の詩碑がある。城下を眺めながら、その詩を心行くまで味わおう。
金粉などを多く使い絢爛な蒔絵として知られる会津塗の工房見学と直売所。予約をすれば楽しい蒔絵体験もできる。
英世が左手の手術をし、16〜19歳までの3年間、書生として過ごしたかつての会陽医院の2階にある。館内には当時の机などの愛用品や、英世に関する資料を展示。
会津に残留し徹底抗戦を主張する斎藤一をはじめとする20余人が本陣を構え、東軍の奇襲をうけた「如来堂の戦い」の舞台。
会津若松市の隠れた名所のひとつ。かつてこの学校は男子校で、向かい側に女子校があった。両校を分けていたこの重厚なレンガ塀が「男女7歳にして席を同じくせず」を物語る。
明治元(1868)年9月22日正午、甲賀町通りの路上に緋毛氈が敷かれ、鶴ヶ城の開城式が行われた。会津藩士たちは緋毛氈を小さく切り刻んで持ち帰り、無念の思いを胸に秘めたという。
東北地方でも屈指の名刹。堂内に安置されるケヤキの大木から彫り出した薬師如来、日光・月光菩薩は国宝に指定されている。歴史価値の高い仏像が12体伝えられている。
会津武家屋敷内に復元されている会津藩の家老・西郷頼母の邸宅跡。戊辰戦争の際、邸宅では妻や子供、一族21名がことごとく自刃した。
至徳元(1384)年に築城された鶴ヶ城。その場内にある太鼓門は重厚な造りで、見所の一つとなっている。江戸時代、藩士が登城時に太鼓を打ち鳴らした事でこの名がある。
JR会津若松駅を起点に、七日町、鶴ヶ城、御薬園、飯盛山など、市内中心部を約1時間で一周する。クラシカルなボンネットバスはグリーンとワインレッドの2種類が走る。
会津漆器、赤ベコなどの伝統的民・工芸品などの会津の特産品を一堂に展示。観光インフォメーションもあり散策に便利だ。
白河・二本松街道の分岐点にある湧水ポイント。放蕩息子が清水を酒に見立てて飲む働き者の父を見て改心したという伝説がある。隣接した茶屋では、福島名水30選の清水を使ったそばが味わえる。
人材育成を目的に享和3(1803)年に建設された会津藩の学校。幕末には白虎隊の少年たちも学んだ。当時の学習の様子の観覧や、弓道・会津の縁起物「赤べこ」絵付けなどの各種体験もできる。
会津の総鎮守として昔から親しまれてきた社。この地に遷座された当時からある御神木の薄墨桜は、見事な枝ぶり。6月にあやめ祭り、7月に田植え祭が開かれる。
茶をたしなんだ蒲生氏郷が千利休の子、少庵を会津にかくまった際、少庵が恩義に報い建てた茶室。戊辰戦争の後、移築・保存されていたが、平成2年、元の城内へ戻された。県指定重要文化財。
手びねりや絵付けを体験、長い伝統が育んできた焼き物の楽しさと難しさが実感できる。絵付きてびねりの体験は全国的にも珍しく毎年1000人以上が体験。小中学校への出張も毎年30校を超えている。
野口英世ともゆかりのある酒蔵。明治時代に建てられた木造三階の建物がある。見学の際にはここでしか味わえない酒の試飲もできる。喫茶店の「杏」も併設されている。
文禄元(1592)年に始まり戦後途絶えた慶山焼を復活させた窯元。伝統を活かしたマグカップ・煎茶碗揃など日常使いの器を作っている。隣には体験型ギャラリーがあり、陶芸体験も随時開催。
アンティークショップ・骨董倶楽部の2階にある博物館。夕暮れをイメージした館内には昭和30年代の街並みを再現した空間が広がる。懐かしい看板やおもちゃなどを多数展示。
白虎隊の悲話で知られる、鶴ヶ城の跡。ソメイヨシノ、ヤエザクラ、シダレザクラ、ヤマザクラなどが鶴ヶ城公園全体に約1000本あり、次々に花開く。再建された天守閣とともに桜を観賞したい。
白虎隊十九士が自決し、その墓地がある山。近くには上りと下りの階段が一度も交差しないという、珍しい造りのさざえ堂や、資料約1万2000点を集めた白虎隊記念館もある。
会津盆地と猪苗代湖の間にそびえる山。標高は833mの山全体が自然公園で、会津若松の市街を眺望できる。頂上からは猪苗代湖や磐梯山などの大パノラマを楽しめる。
猪苗代湖畔にあるキャンプ場。オートサイト、テントサイトの2種類のサイトのほか、バンガローがある。また、場内には温水シャワーも完備されている。
温泉街に入ってすぐ、芦ノ牧プリンスホテルの駐車場わきにある小さな湯滝。誰でも気軽に芦ノ牧の湯に親しんでもらおうと造られた。
風間家の離れ座敷を利用した乾漆美術品の展示施設。館内は、柱から襖まですべて漆塗りで、光沢あふれる漆器類を展示販売している。
柳橋で新政府軍と交戦し、戦死した中野竹子。辞世の句「武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば数にも入らぬ我が身ながらも」が刻まれている。
野口英世が16歳から19歳までの青春時代を過ごした街。当時の情緒が今でもほんのりと漂うレトロな街並を散策すれば、タイムスリップしたような気分が味わえる。
飯盛山参道脇にある休憩所・會津さよでは、戌辰戦争と白虎隊について丁寧に解説した電気紙芝居を鑑賞できる。飯盛山に登る前に白虎隊の歴史に触れてみるのもいいかも知れない。
直江兼続が主君・上杉景勝から命を受け、築城の指揮をとった神指城の城跡。工事は途中で中断され幻の城と呼ばれたが、完成すれば鶴ヶ城の2倍もの規模だったといわれている。
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