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全国の「会津若松」に関する観光スポット109件を紹介!
明治維新における会津藩の立場を5000点の史料で明確に展示、解説する歴史資料館。ドラマ放映による八重ブームのなか、白虎隊や八重の使ったゲーベル銃などを手でふれることができる。
現在の裁判所構内、会津藩家老・内藤家の屋敷跡に残る見事な庭。江戸時代の遠州流庭園としても名高く、戊辰戦争の降伏式がこの庭園で行われたことでも知られる。
鶴ヶ城を観光するときに、活用したいのがボランティアガイド。地元の歴史ファンが無料で城郭内外を案内してくれる。
竹久夢二の碑と湯川を挟んだところに、歌人・与謝野晶子の歌碑がある。碑には夫であった与謝野鉄幹との旅の思い出を詠んだ歌が刻まれている。晶子没後40年に建てられた。
会津の代表的はりこ民芸品赤ベコの製造元。所要時間約40分で、赤ベコ絵付け体験もでき、自分だけの赤ベコを作れる。あかべえ土鈴の絵付けが大評判。(あかべえは会津若松のキャラクター)。
明治時代から続く薬の老舗。明治時代の薬問屋を再現した蔵造りの店の一部を史料館として公開し、当時の看板と関連資料、生活用具など会津の町方文化を紹介する。
芦ノ牧温泉の国道沿いにある。地物の山菜や漬物など、芦ノ牧のみやげが揃う店。天然かけ流しドライブ温泉も好評だ。
1200年ほど前、行基によって開湯され、後に義経も立ち寄ったといわれる。大川沿いに宿が並び、温泉街入口には、源泉が流れ落ちる「出会いの湯滝」や足湯「子宝の湯」などもある。
飯盛山で自刃した白虎隊士19人の霊像を安置している。木像は明治23(1890)年、隊士の墓を改修したのにあわせて造られたもので、今でも参拝する人が絶えない。
猪苗代湖畔にあり、キャンピングカーやトレーラー専用サイトまである本格的なオートキャンプ場。観光はもちろん、アウトドアレジャーのベース基地として一年を通して楽しめる。
山鹿素行は会津の人で、朱子学・神道などを学び、その後、朱子学を排し、独特の日本主義思想である古代の道復帰を説いた。配流され、その思想で赤穂浪士にも影響を与えた。生誕地の石碑が立つ。
古くは参勤交代の休息所などで利用されていたが、戊辰戦争時は会津藩本営となった。当時のままの建物には刀傷や弾痕が残っている。
シルクロードや南蛮文化を伝える貴重な資料を展示した美術館。山岳民族の好むミルクティー、トルプチャイなどが味わえる喫茶室があり、シルクロードの雰囲気を気軽に楽しむことができる。
鶴ヶ城のほど近くにある宮泉酒造。実際に使用している蔵を開放し、併設の資料館には昔の酒造りの道具や酒器が展示。無料の利き酒コーナーでは日本酒や焼酎が試飲できる。
会津藩家老西郷邸を復元し、人形で当時の武家の暮らしを再現している。器や玩具など豊富な会津の名産品を扱う「郷工房古今」、郷土料理を味わえる「九曜亭」も併設する。
原始時代から現代にいたる5つの時代の資料を展示。自然・民俗・考古・歴史美術の部門展示室もある。体験学習室では鳴りゴマやけん玉等の昔の玩具で遊べ、時代衣装の着付体験も人気。
大内宿に面する街道。南山通りとも呼ばれ、会津若松と日光街道を経由して栃木の今市まで続いていた。国道開通以前はにぎやかで、会津藩主も参勤交代に通ったという。
東山温泉近くの院内地区に、2代正経から9代容保までの会津藩主松平家代々の墓がある。墓地には、歴代藩主たちの業績を刻んだ大きな石碑が立ち並ぶ。
蒲生氏郷は、織田信長、豊臣秀吉に従って活躍した戦国武将。鶴ヶ城の基礎を固めたほか文化面の功績も大きいとされる。墓は興徳寺にある五輪塔で遺髪が埋葬されている。
レンガの種類やレンガを製作する工程、レンガの積み上げ方などを説明した資料を展示。裏手には会津地方ではじめてレンガを焼いた市郎窯もあり、見学は要問合せ。
河川敷にあり、気軽に利用できるキャンプ場。温泉施設や市街地にも近く、使い勝手がよく、会津観光の拠点にもおすすめ。日帰り温泉施設「湯陶里」が隣接している。
戊辰戦争の際、若松付近で戦死した西軍の墓が東明寺にある。会津藩にとっては敵方の藩士150名を埋葬した墓地であり、会津藩士の心意気を見ることができる。
歴代の会津藩主の別荘でもあった庭園。2代目藩主保科正経が薬草栽培を始めて以来この名がある。現在も約400種の薬草木が植えられている。御茶屋御殿で抹茶、重陽閣で紅茶やガレットが楽しめる。
戊辰戦争の際には籠城戦の激しい攻防にも耐え抜いた名城。昭和40(1965)年に昔の姿そのままに復元され、城内は資料館になっている。春は桜、冬は雪景色など四季折々に美しい。
磐梯熱海温泉の観光、お土産、イベントなどの情報提供のほか、表・裏磐梯、会津若松、喜多方などの各種パンフレットを取り揃えている。
600年以上も前から、会津の町と人を見守って来た鶴ヶ城。その天守閣から南東の方向にあり、自由に見学できる。「荒城の月」の詞碑は城内に数ある見処の一つ。
白虎隊士最初の埋葬の地。会津藩の降伏後、会津藩士の遺体は占領軍が埋葬を禁じた。そのため自刃した白虎隊士の屍も放置されたが村の肝煎りが密かに妙国寺に運んだという。
明治44(1911)年に建造された栄町教会は、野口英世が洗礼を受けた教会として知られている。玄関の横を45度振って、外観や内部空間に変化をもたせたのが特徴。
市の歴史建造物に指定された末廣酒造嘉永蔵内にある博物館。多くの日本製カメラをはじめ、世界各国のクラシックカメラが500台以上展示されている。
創建950年以上の会津現存の最も古い歴史ある神社。国の重要文化財の銅製鰐口(非公開)や、700年前の神社の日記を所蔵(非公開)しており、当時の貴重な史料となっている。
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