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日光街道 つぶやき・クチコミ

エリア
栃木県宇都宮市
ジャンル
見る - 街道関係 - 並木

宇都宮から今市に向かって走る日光街道沿いに見事なサクラ並木がある。街道沿いなので歩くというより、車から楽しむのがベスト。通りは杉並木でも有名。

日光街道のつぶやき

「日光街道」でつぶやかれたTwitterのツイートを掲載しています。

日光街道のクチコミ

宇都宮城跡

【宇都宮城跡】栃木県宇都宮市 2007/04/30登城(No81)  歴史は古く平安からあるというが、天正18年(1590)宇都宮仕置において関東の名族宇都宮氏が豊臣秀吉に所領を安堵された。宇都宮城は宇都宮氏の拠点として代々500年以上の歴史があった。  慶長2年(1597)宇都宮氏が突如改易、翌年蒲生秀行が18万石で入封した。その後奥平家昌が10万石で入封、元和5年(1619)徳川家康の謀将本多正純が15万5千石で入封し、宇都宮城の縄張りを拡張した。  本丸を中心に内堀、その外に二の丸、さらに堀で囲んでいる。また北と南に曲輪を置き、さらに堀で囲んで3重の堀になっていた。その外には城下町を形成し外側に堀もあり総郭を形成していた。  城内には日光社参での将軍宿舎になる本丸御殿を造営している。日光街道と奥州街道を整備し宇都宮宿の宿泊、駅機能を整備した。幕府の意向からか宇都宮城に天守は設けず2層2階の清明台櫓を天守の代わりとしていた。だが宇都宮城改修にまつわる正純謀反の噂が流布され、元和8年(1622)正純は改易された(宇都宮城釣天井事件として喧伝されたがつくり話だろう)。その後、徳川親藩が入り、最後は戸田氏で明治に至る。、慶応4年(1868)戊辰戦争の激戦地となり宇都宮城は周辺の町とともに焼失した。  現在、清明台櫓、富士見櫓を再建、土塁、土塀、堀も復元し、宇都宮城趾公園として整備している。 <交通>JR宇都宮駅から歩18分。タクシーお勧め。

kenken0418 さん (投稿日 08-04-02)

日光街道桜並木

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 〒321-0000 栃木県宇都宮市上戸祭3丁目〜日光市山口 楽天トラベルです。 この情報欄を「みんなの桜情報」で盛り上げよう! −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

トラベルブログ さん (投稿日 07-02-05)

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