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岸和田城 つぶやき・クチコミ

エリア
大阪府岸和田市
ジャンル
見る - 史跡・建造物 - 城・城址

建武元(1334)年、楠木正成の一族和田氏が築城したと伝えられる。昔の天守閣は雷火で焼け、現在のものは昭和29(1954)年に再建された。本丸・二の丸跡は千亀利公園になっている。

岸和田城のつぶやき

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岸和田城のクチコミ

和泉岸和田城

【和泉岸和田城】大阪府岸和田市岸城町 2005/09/12登城(No32)再登城2008/05/03  建武元年(1334)楠正成(くすのきまさしげ)の甥、和田高家(にぎたたかいえ)が、岸と呼ばれていたこの地に城を築いた。地名と姓が合わさり「岸の和田」と呼ばれ「岸和田」になったといわれている。この城は現在地よりも東に500mの所にあったとされる。  天正13年(1585)羽柴秀吉は紀州に侵攻する拠点として再築城し、その後小出秀政(こいでひでまさ)が入り、天正15年(1587)ころから現在地に本格的な築城を開始した。秀政が3万石に封ぜられた文禄4年(1595)ころから天守を造営し、慶長2年(1597)に完成したとされる。3万石にしては大きい堂々たる5層の天守があがっていたという。  元和5年(1619)松平康重が5万石で入封、総構えと城下が整備された。寛永17年(1640)岡部宣勝(おかべのぶかつ)が6万石で入封し、城の東側に2重、西側に1重の堀を整備し、戦では陣屋となる寺町を築いている。本丸を中心に二の丸、二の曲輪、三の丸を配し、総構えの大規模な城だった。一説には紀州徳川家の抑えのためだとされている。文政10年(1827)落雷で天守を焼失、以後再建されなかった。以後岡部氏13代で明治に至る。明治に廃城、破却された。  現在、前の天守台上に3層3階の模擬天守が昭和29年(1954)にコンクリ再建され、平成4年(1992)には大改修された。城壁、隅櫓、二の丸多聞櫓など整備が進んでいる。  北西側の本丸石垣の下に「犬走り」石垣といわれる周堤帯(しゅうていたい)がある。本丸への敵の侵入に足がかりを与えるような矛盾した造りで、他城ではほとんど見られないもの。「上部の石垣が壊れ易いので補強するために造られたもの」といわれているようだ。たしか津城趾にもあったようだ。  前に来たときは月曜・休館日で堀を廻っただけだったが、本日登城できて嬉しい。登城にあたってはHP確認を認識した城でもあった。 <交通>南海本線、岸和田駅から歩15分。 <写真左>岸和田城天守 <写真中>南側の堀から、石垣の下が犬走り <写真右>南東側の堀から、左側石垣の下に犬走り

kenken0418 さん (投稿日 08-05-06)

岸和田城

だんじりで有名な岸和田にもお城があります。 なんと岸和田城で結婚式もできるとか?! 開館時間:10時〜17時(入館は16時まで) 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日・休日の場合は開館) 年末年始(12月30日〜1月4日) ※お城まつり期間中(4月1日から15日)は開館 入場料(天守閣):大人 300円 中学生以下無料

ぽっぽv さん (投稿日 08-04-03)

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