小諸城大手門のつぶやき
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小諸城大手門のクチコミ
小諸城跡
【小諸城跡】長野県小諸市 2005/12/12登城(No35) 武田信玄の軍師山本勘助が縄張りしたと伝えられる小諸城の特徴は、城下町より低い所にあり、町から城を見渡すことが出来たことから穴城とも呼ばれた。また浅間山山麓の丘陵の先端を利用し、深い谷を空堀とし、断崖を城壁としていることだ。 天正18年(1590)秀吉から小諸5万石を与えられた仙石秀久が整備した。大手門が一番高所にあり、下がりながら三の門(写真左・洪水で流された最初の門を明和2年(1765)再建した)につく、入ったところが二の丸で、二の門(跡)をくぐり、中仕切門(跡)をくぐると左が南の丸、右が北の丸。二の丸と本丸の間には深い空堀(谷)があり、橋(往事は架け外しができる算盤橋)を渡ると黒門(跡)がある。左へ行くと本丸でかつては御殿があった。右奥すみに天守台があり、3層の天守があがっていが、寛永3年(1626)落雷により焼失した。本丸は石垣も残り、天守台は野面積みで重厚だ。 本丸の下は馬場とよばれる空間があり、北西隅に水の手展望台があり千曲川がみえる。周囲は崖で天然の要害だ。郷土博物館がある北側に降りると空堀がすごい。 写真右は鏡石で山本勘助が磨いていたとの伝説がある。線路の向こう側に大手門(重文)がある(修復工事中だった)。このあたりが三の丸の入り口だった。 <交通>JR(しなの鉄道)小諸駅、改札出たら歩3分ぐらい。長い駅中の陸橋渡って降りたら50mくらい先の左が三の門(懐古園)、右の線路下のトンネルをくぐって上ると大手門に出ます。
kenken0418 さん (投稿日 08-04-02)