熊本城のつぶやき
「熊本城」でつぶやかれたTwitterのツイートを掲載しています。
熊本城のクチコミ
熊本県伝統工芸館
熊本城近くにあるこの施設は、熊本の伝統工芸品が展示され、売店コーナーでは購入も出来ます。 8月に行なわれていた「地鉄の美学ー肥後象がんの歴史と今ー」の際に訪れたのですが、普段も陶芸のグループ展などが開かれています。
kelsy さん (投稿日 10-08-19)
熊本城
日本三大名城のひとつ熊本城。別名、銀杏城。 天正16年(1588)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれる。城郭は周囲9Km、広さ約98万uで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ重厚にして壮大な構え。なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名です。 夜にはライトアップもされていて、熊本城夜間開園の期間であれば、夜8:00迄、ライトアップされた城内を見学できます。もちろん天守にも登れます。 熊本城が難攻不落であることは、明治10年(1877年)の西南戦争の際、熊本城に篭城する官軍に対し、西郷率いる薩摩軍が2日間総攻撃を仕掛けたが、一兵も城内に入ることができなかったことで実証された。その事を西郷は終焉の地城山で「わしは官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」と言ったとか。 熊本城は現在でも修復中で、熊本城復元募金「一口城主制度」にて資金を広く募っている。一口城主になると「城主手形」が発行され、熊本市が管理する13の有料施設へ無料で入園できるのだそうだ。 今後の復元予定建造物は、百間櫓、西竹の丸五階櫓、数寄屋丸五階櫓、御裏五階櫓、櫨方三階櫓、北大手櫓門の6つが予定されている。 アクセスは、熊本交通センターから徒歩10分、交通センター前から既にお城が見えますので、迷う事はないはず。
ポン太999 さん (投稿日 09-12-27)
花岡山 摩天楼
花岡山で1番夜景が綺麗に見えるお店です☆ お店はとても落ち着いた雰囲気です。 熊本市内の夜景が一望できて、大きな窓からは熊本城も見ることができます。 週末には山道に車がずらっと並んだりします。 こんな夜景を見ながらお食事をするなんて、ロマンチックですねぇ。 お勧めはデザートのチーズケーキ! 独特な形ですが、濃厚でどっしりとした味がたまりません。 いつか特別な人と・・・
たまっち0810 さん (投稿日 09-03-12)
花岡山公園
熊本市内で夜景を見るなら、絶対ココ! キラキラ輝く街の灯りを眺めていると 思わずホゥ…っとため息が出ちゃいます。 花岡山は、JR熊本駅の北側にある標高133mの山☆ 山頂にはインドのネルー元首相から 世界平和の祈願をこめて寄贈された白い仏舎利塔があります。 また、加藤清正が熊本城を築くための石を 山から切り出す時に腰掛けていたという腰掛石などもあります。
あすもじ さん (投稿日 09-03-12)
六花の湯ドーミーイン熊本
熊本城周辺に位置する1泊の宿泊料金が4000〜6000円のビジネスホテル。熊本駅へは辛島町駅から市電を利用していける。おすすめは最上階13階にある天然温泉施設。 さながら温泉ホテルなみの施設装備。 従業員の対応には、品格がありいい。 値段のわりには高級感のあるホテルのイメージがある。
とーしろー雀 さん (投稿日 08-08-15)
宇土櫓
【宇土櫓】「外観復元天守の熊本城」本丸北西隅にある櫓 天守に向かう正面玄関「頬当御門」の北、西から北への雄大な空堀、高石垣が圧倒する本丸北西の隅に重要文化財「宇土櫓」(うとやぐら)は聳えている。 20mの高石垣上に、3層5階、地下1階、地上部19mの櫓で、他の城では天守といっても文句は出ない、いや天守以上かも知れません。 小西行長(こにしゆきなが)に縁があり「三の天守」とも呼ばれた。宇土の小西行長が関ヶ原で石田側に与し滅亡後、小西の家臣の一部を清正が召し抱えて宇土小路として現在にも名を残す、京町に住まわせ、櫓をこの武士団に守らせたことから、こう呼ばれたのではないかといわれている。かつては宇土城天守(小西行長の旧領)を移築したとの説があったが、平成元年(1989)の解体修理の際にその痕跡が見つからず、今は否定されている。 この規模の五階櫓が明治初年まで5棟(築城当時は6棟)存在した、まさに大城郭。 重文ですが内部に入れます。昔の櫓、しかも天守級に入れる幸せ。国宝の天守は4城あるが、宇土櫓は天守ではない初めての国宝としてもいいのではないでしょうか。 <交通>頬当御門から入って、復元天守の左へ、本丸北西隅に聳えている。入場料はなし(\500に込み) <写真左>重文・宇土櫓 <写真中>本丸北西の空堀外側からの高石垣上の宇土櫓 <写真右>本丸東側の重文・櫓群
kenken0418 さん (投稿日 08-05-14)
外観復元天守の熊本城
【外観復元天守の熊本城】熊本県熊本市 1973/09 1991/08登城(No4)2008/04/25再々登城 歴史は古く文明年間(1480年代)に肥後守護菊池氏が千葉城(現在の千葉城町)を築かせたのが始まりという。天正15年(1587)豊臣秀吉の九州征討後、肥後一国を領有したのは佐々成政。しかし成政は肥後国衆一揆を引き起こし、天正16年(1588)切腹した。代わって加藤清正が肥後北半国19万5000石の領主となり隈本城に入った。 加藤清正は天正19年(1591)から茶臼山丘陵に前の千葉城、隈本城を取り込んだ壮大な城郭を築き始め、慶長5年(1600)には天守が完成したとされる。関ヶ原後、肥後一国52万石の領主となり、慶長12年(1607)に城はできあがったとされる。また翌年「隈本」を「熊本」と改めたとされる。 熊本城は広大で、広さ98万平米、周囲5.3kmにもおよぶ。南東を流れる白川を外堀とし、これにそそいでいた川を切り離して南に回り込ませ内堀としていた。本丸は丘陵の東の最も高所にとり、すべて石垣で囲った。西に緩やかに下る所に二の丸、三の丸を配し、本丸と二の丸の間に西出丸を置き防御を固め、門、隅櫓など重点箇所は石垣で囲った。櫓49、櫓門18、城門29の大城郭だった。 本丸は南北の通路で分かれていたが、慶長15年(1610)ころに、その通路に被さるように熊本城本丸御殿を造営した。これにより天守へ登るには本丸御殿下の地下通路(闇り通路)を通らなければならず、防御力がアップした。この熊本城本丸御殿には「昭君之間」があり、清正は豊臣秀頼を熊本城に迎え幕府と一戦交える事も想定していたのだろうか。2代忠広の時代に改易となり、細川氏が12代つづき明治に至る。 西南戦争では西郷軍の総攻撃の2日前の明治10年(1877)2月19日出火、大、小天守や櫓、本丸御殿など多くが焼失した。激しい攻防戦で城下の民家など1000軒あまりも焼失した。熊本城は加藤清正の縄張り、石垣により、西郷軍はついに城内に侵入できなかったという。 昭和35年(1960)の熊本国体開催に合わせ、熊本市は寄付も募集して外観復元(鉄骨鉄筋コンクリ)で大・小天守を再建した。現在、宇土櫓など13棟が現存しており重文に指定されている。平成19年(2007)築城400年、本丸御殿や戌亥櫓、元太鼓櫓、未申櫓、南大手門、飯田丸五階櫓などを復元した。本丸御殿は平成20年(2008)年4月20日から一般公開された。 <交通>JR熊本駅からバス、タクシー(\1120)で。 <写真左>天守と本丸御殿下の高石垣 <写真中>重文・宇土櫓 <写真右>唯一の水堀(湧水)・備前堀から再建飯田丸五階櫓
kenken0418 さん (投稿日 08-05-02)
熊本城本丸御殿
【熊本城本丸御殿】2008/04/20から一般公開されました。 加藤清正によって創建され、明治10年(1877)西南戦争で焼失した本丸御殿が熊本市によって再建された。 2008/04/25早速行ってきました。「昭君之間」、「闇り(くらがり)通路」など、まずは行ってみるべし。 入場料は熊本城\500と込みです。内部の撮影は許されていないのでHPでみてください。 <写真左>熊本城天守から本丸御殿 <写真中>闇り通路 <写真右>大廣間縁側
kenken0418 さん (投稿日 08-05-02)
本丸御殿大広間
08年4月20日にいよいよ一般公開される熊本城「本丸御殿大広間」。工事の覆いも取り払われ、周りの整備も進んでいます。 熊本城のHPでは、一足早く内部を写真公開しています。 下記URLからご覧下さい。 пF096-352-5900
vanilla ice no.7 さん (投稿日 08-03-29)
肥後山茶花
肥後六花のひとつ、肥後山茶花の花は10月〜12月頃「熊本城肥後名花園」で見ることが出来ます。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 08-03-29)
肥後菊
肥後六花のひとつ、肥後菊は、とても特徴のある姿をしています。花は11月下旬に咲きます。「熊本城肥後名花園」で見ることが出来ます。 去年の春、売り出された「肥後六花」の切手シリーズで間違えられたのがこの菊でした。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 08-03-29)
肥後花菖蒲
肥後六花のひとつ、肥後花菖蒲は6月上旬頃「熊本城肥後名花園」で見ることが出来ます。 花はかなり大きくて豪華な印象です。 仔細は下記URLから
vanilla ice no.7 さん (投稿日 08-03-29)
肥後芍薬
肥後六花のひとつ、肥後芍薬の花は5月上旬頃「熊本城肥後名花園」で見ることが出来ます。 花の色は白・ピンク・赤などがあります。 仔細は下記URLから
vanilla ice no.7 さん (投稿日 08-03-29)
肥後椿
肥後六花のひとつ、肥後椿は1月〜3月の間、熊本城竹の丸にある「熊本城肥後名花園」で見ることが出来ます。 熊本のマンホールの柄にもこの花が使われています。花の色は白・赤・ピンク・しぼり等があります 仔細は下記URLから
vanilla ice no.7 さん (投稿日 08-03-29)
BEAR'S CAFÉ
(>0<)08.02 店の前を通ったら、閉店のお知らせの張り紙が・・・終わっちゃったみたいです(>0<) データーが消せないので、こんな状態でのお知らせになりますが・・・ ↑↑↑ スポット名が文字化けしちゃいました。訂正・削除が出来ないのでこんな形で修正を・・・。 ↓↓↓ BEAR'S CAFE(ベアーズカフェ)です。 熊本城近くにある 1階・・・DELI & CAFE 2階・・・ネットカフェ のお店です。 URLの「お食事メニュー」に載っているように時間帯によってメニューを選ぶようです。 ランチは680円で、パン・サラダ・スープがバイキングになっているので、体育系部活BOYも満足しそうな太っ腹なことになっています。 夕方以降はアルコールも扱うようなので、場所柄、待ち合わせにもいいかもしれませんね。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 08-02-27)
藤崎天望 天使湯閣
以前「藤崎温泉 天望の湯」としてご紹介したところが「藤崎天望 天使湯閣」としてリニューアルオープンしました。11階の露天風呂からは「熊本城」が望めます。10階には、エステや家族湯、レストランなどがあります。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-12-22)
城見櫓
お値段はそこそこしますが、熊本城をバックに熊本の海の幸、陸の幸を楽しめます。 生簀から取り出して造って貰える魚や烏賊の活け造りは圧巻です。 熊本の美味しい夜をご期待の方は是非お試しを!
Sight-no-Site さん (投稿日 07-10-25)
藤崎温泉 天望の湯
藤崎八旛宮近くのビルの11階にあり、熊本城を一望できます。宿泊も出来るようですが、詳しいことは直接お問い合わせください。 1階が熊本電鉄の駅になっています。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-28)
谷干城像
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜15〜 「原道館跡」のある千葉城近くの高橋公園内には朝倉文夫氏作の「谷干城(たにたてき)像」があります。 園内には他に「横井小楠と明治維新の偉人達像」や、公園の名の基になった「第7代熊本市長・高橋守雄」氏の像もあります。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
西南の役籠城将校婦女子避難所之跡
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜14〜 監物台樹木園付近の空堀の前・宇土櫓を背に「西南の役籠城将校婦女子避難所之跡」の碑が建っています。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
将士奮戦之跡
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜13〜 二の丸公園を「監物台樹木園」方向へ進んだ空堀寄りの木のたもとに「将士奮戦之跡」の碑があります。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
神風連 軍旗奪還之碑
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜12〜 二の丸公園駐車場の県立美術館よりのWCの前に「神風連 軍旗奪還之碑」が建っています。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
神風連 加屋・斉藤等戦死之跡
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜11〜 熊本城二の丸公園の「熊本城二の丸由来記」の石碑の近くに「神風連 加屋・斉藤等戦死之跡」の石柱が建っています。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
軍旗染血之跡
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜10〜 護国神社から野鳥園へと進むと「軍旗染血之跡」の碑があります。(写真中央より右よりに神社の鳥居)
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
神風連挙兵本陣跡
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜9〜 二の丸公園近くの護国神社内に「神風連挙兵本陣跡(しんぷうれんきょへいほんじんあと)」があります。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
西南の役激戦地跡
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜8〜 西南の役の激戦地というと「田原坂公園・田原坂資料館」を思われる方が多いことでしょうが、熊本城近辺にも小規模ですが「西南の役激戦地跡」が整備されています。 「里程元標跡」の前を通り「子ども文化会館」に突き当たって右に進むと、トンネルの手前に小さな公園があります。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
清爽園
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜7〜 「里程元標跡」の奥に、西南の役を戦い抜いた熊本鎮台の将兵たちが建立した、四戦役の戦没者を祭る記念碑があります。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
神風連首領 太田黒伴雄 終焉の地
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜6〜 二の丸駐車場入り口付近の「神風連討入口」から、法華坂を下って「里程元標跡」方面へ向かう途中に「神風連首領 太田黒伴雄 終焉の地(おおたぐろともお しゅうえんのち)」があります。こちらにも説明板が添えられています。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
神風連討入口
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜5〜 「神風連首領 太田黒伴雄奮戦の跡」から二の丸駐車場方面へ進むと駐車場入口に「神風連討入口」の石柱があります。(写真中央より左寄りに小さく写っているのが駐車場入口の看板) 大型バスも行き来する道路ですので、くれぐれも周りに注意しながら鑑賞してください。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
神風連首領 太田黒伴雄奮戦の跡
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜4〜 「西南の役回顧の碑」から、行幸坂を上り南坂の表示板の向かい、二の丸駐車場へと向かう三叉路に「神風連首領 太田黒伴雄奮戦の跡」の石柱があります。側面に説明文が添えられています。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-27)
西南の役回顧の碑
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜2〜 行幸橋のたもとの桜の馬場駐車場脇に、西南の役後100年を記念して建てられた「西南の役回顧の碑」があります。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-26)
熊本博物館分館
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜1〜 熊本城天守閣内は「熊本博物館分館」となっており、その3階に「西南の役関連の資料展示」が行なわれています。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-26)
原道館跡
〜熊本城周辺「西南の役」と「神風連の乱」の史跡紹介〜3〜 春にはツツジ祭りが行なわれる、NHK熊本放送局近辺の千葉城公園には「神風連の乱」の中心人物が学んだ「原道館跡」の碑が建っています。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-09-26)
熊本城天守閣
日本でも指折りの立派な城でした。
111322 さん (投稿日 07-08-26)
高橋公園
熊本城の須戸口門の近くにある「高橋公園」は、上水道敷設・市電の敷設・歩兵第23連隊の渡鹿移転とそれに伴う都市整備の三大事業を達成し、熊本市の近代化に大きく貢献した、第7代熊本市長・高橋守雄氏の業績を記念して作られました。公園奥には「高橋守雄像」があります。 また、こちらには「横井小楠と明治維新の偉人達像(坂本龍馬・勝海舟・横井小楠・松平春嶽・細川護久、その下プレートで竹崎健次郎・内藤泰吉・嘉悦氏房・徳富一敬・長野濱平・山田武甫)」と、「谷干城(たにたてき)像」も設置されています。 いずれも、熊本のそして、日本の歴史の中の重要な役割を担った人物達です。 それぞれ解説が下記URLでわかります。 ●「横井小楠と明治維新の偉人達像」 http://www.manyou-kumamoto.jp/html/S438.html ●「谷干城像」 http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=463 近くには「千葉城公園」もあります。 問い合わせ先:熊本市観光政策課(096-328-2393)
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-28)
高麗門跡
(こうらいもんあと) 清正公が築城の際に、花岡山方面からの敵を防ぐために設置した二十九門の一つで、朝鮮の高麗門に準じて熊本城の通用門として、高瀬の大工棟梁善蔵がつくった櫓門の跡です。門は明治の初めに解体されています。横にあるJRの線路は往時は堀だったそうです。 問い合わせ:熊本市観光政策課 (096-328-2393)
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-28)
熊本市役所展望ロビー
熊本市役所14階の展望ロビーからは、「熊本城」の中の国指定重要文化財の櫓群や天守閣を、違った角度から眺めることが出来ます。 現在は、来春一般公開予定の「本丸御殿大広間」が、工事用の覆いもはずされ真新しい姿をみせています。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-25)
長六橋
慶長6年(1601)に熊本城を築城した時に、加藤清正公が唯一白川にかけた橋がこの「長六橋」です。川沿いの地下通路では、写真や地図でこの橋の変遷を見ることができます。 現在、橋にはなぜか両側に裸婦の像が数体設置されていました。 問い合わせ:熊本市観光政策課(TEL096-382-2393)
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-23)
本妙寺公園
「浄池廟」の裏手を300段の石段を登ると、桜の名所としても有名なここに、槍を手にした「清正公の銅像」があります。昭和10年、清正没後325年の記念事業として立てられました。「長崎平和記念像」で有名な北村西望の作で、昭和19年戦争末期の金属提出で撤去されましたが、昭和35年に再建されています。 また、こちらは熊本城などの熊本市内を一望できる展望所があり、ここからの眺めも格別です。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-23)
熊本交通センター
市電「辛島町」駅からも近く、熊本の交通の要であり、日本最大規模を誇るバスターミナル。温泉へも、他県への長距離バスもここを経由しています。 地下にショッピングセンター「センタープラザ」・2階に「100円均一のダイソー」・3階〜「交通センターホテル」、横には「熊本阪神デパート」があります。 お問い合わせ先:バスターミナル電話案内(TEL 096-354-6411 ) ※この周辺も4年後ぐらいには再開発され、違った顔をみせているようです。 九州をお得に廻る「SUNQパス」・熊本城を中心に市内をめぐる「しろめぐりん」も好評です。 ●「SUNQパス」http://www.kyusanko.co.jp/sankobus/other/sunq_pass.php ●「しろめぐりん」http://www.kyusanko.co.jp/sankobus/syuyu/index.php 写真に写っている乗り物は「ベロタクシー」。エコなこの乗り物で市内を廻るのも、また一味違う旅になるかもしれません。 ●「ベロタクシー」 http://npo-hospitality-network.com/
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-23)
熊本駅
熊本市の玄関口。こちらから、市電やバスに乗って熊本中心街に行かれる方が多いのでは。 旅行で訪れた方は、まず、駅構内の「総合観光案内所」で観光資料を入手されてはいかがでしょうか。今年なら「熊本城築城400年祭」のパンフレットなども手に入ります。時間内なら、係りの方が常駐しているようですので観光地への行き方など、わからないことを聞くことも出来ます。 ●熊本駅総合観光案内所 http://www.kumamoto-icb.or.jp/asp/sittoku/information.asp また、駅構内に土産物屋のほか、 ショッピングセンター「フレスタ熊本 」・コンビニなどもあります。 ●ショッピングセンター「フレスタ熊本 」 http://www.jrkyushu.co.jp/develop/shopping/friesta/kumamoto.jsp また、熊本城と市内要所を廻る「しろめぐりん」の出発地点でもあります。一日フリー乗車券(施設割引券付き)もあります。 ●「しろめぐりん」http://www.kyusanko.co.jp/sankobus/syuyu/index.php ※2018年までには様々な再開発が進み大きく様変わりをしているものと思われます。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-23)
里程元標跡
(りていげんひょうあと) 往時には、新一丁目御門の前のこの場所に、藩の種々の政令を掲示する「札の辻」と呼ばれる広場があり、熊本城内と城下町を結ぶ接点の役割を担っていました。ここを起点として、豊前・豊後・薩摩・日向街道の里数が測られています。道の両側に一里進むごとに榎を植えたのだそうです。 現在、中は「清爽園」という庭園になっています。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-13)
御馬下の角小屋
(みまげのかどごや) 豊前街道を往来する島津・細川藩の大名達が休憩所として使用していた、庄屋であり質屋・酒屋を営んでいた堀内家の住宅です。 R3沿いにありますが、こちら側の扉は閉まっています。横のランドリー脇の道を行くと神社の鳥居があり、左手の駐車場の向かいが入口になります。敷地は、店舗兼大名が休息を取った建物と、蔵を改装した資料館に分かれています。 係りの方が付き添ってしてくれる説明もわかりやすく楽しめました。近くの小学校の歴史見学にも使われているようです。手入れも行き届いていて、当時の生活用品も多数見ることができます。 資料館は大名行列の資料などが展示されており、熊本城天守閣二階に展示されている細川家の駕籠のレプリカも直に見られます。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-13)
旧細川刑部邸
熊本城へ行った時には、寄ってください。1646年に建てた武家屋敷。建坪300坪を誇る邸内は当時のままに保存されており県重要文化財にも指定されている
かめさん7109 さん (投稿日 06-11-22)
春の熊本城
2009年 3月 25日 数日で満開となった桜が見ごろです 特に行幸坂から熊本城へと続く桜並木は必見
美紅にゃん さん (投稿日 09-03-27)
桜祭り
3月18日はまだ蕾で咲いていないし、通り抜けれたお城への道が19日のポカポカ陽気で一気に咲き始めていました。 20日から桜祭りで月末までの交通規制が始まってほぼ歩行者天国状態です
美紅にゃん さん (投稿日 09-03-24)
入館料は
安い でも撮影できないのがちょっと残念。
日向 夏美 さん (投稿日 08-07-18)
一番好き
お城好きな私が一番お勧めするのが熊本城です。 まず黒をベースにしてあり、武士を感じさせてくれる外観に心を奪われます。 名将 加藤清正の名城を是非一度 見てみてはいかがでしょうか?
カルビロース さん (投稿日 08-06-27)
熊本のシンボル
熊本のシンボルといえば熊本城かも知れません。 熊本城は市の中心部に緑の楠の大木を従えて、でんと構え、森の都「熊本」の象徴的建造物と言ってもいいかもしれません。 熊本城は、加藤清正が、1607年に完成させたものです。 城内に入ると真っ先に目につくのが大楠と石垣、楠は熊本の県木でもあり、石垣は独特の曲線を描く「武者返し」と呼ばれ、上部になるにつれて反り返し、簡単には登れないようになっています。 無料で案内してくれるサービスもあります。 頬当御門(ほほあてごもん)から天守閣までの30分間、史跡や歴史を説明して案内してくれます。
えいちゃん1973 さん (投稿日 07-12-14)
築城400年
2007年は、熊本城築城400年。 ですが、400年祭関連のイベントは、 来年(2008年)の5月までやっているそうです。 ですので、今からでも間に合いますよ! 公式サイト http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/400/
雫ママ7195 さん (投稿日 07-12-13)
隠し部屋
秀吉子飼いの戦国武将である加藤清正が、対薩摩を意識して縄張りした名城です。一説によると秀頼や秀頼の嫡子が避難できる隠し部屋が天守閣の中心部に設置されていたらしいです。
余菱 さん (投稿日 07-08-31)
全国有数の上級武家屋敷
手入れも行き届いていで、武家屋敷の品格が感じられます。ところどころに生けられた花も、訪れた人を和ませてくれます。 熊本城との共通券もあります。
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-12)
築城400年を迎えた熊本城
来春一般公開予定の「本丸御殿大広間」も覆いがはずれ、天守閣からは真新しい外観がよく見えます。 築城400年祭イベントスケジュール http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=511 築城イベントに、行った時の様子をブログに載せています。 第1章 「花絵巻」平成19年3月24日〜平成19年4月8日 http://plaza.rakuten.co.jp/dimple0101/diary/200703270000/ 第2章 「春絵巻」 平成19年4月28日〜平成19年5月6日 http://plaza.rakuten.co.jp/dimple0101/diary/200704300000/
vanilla ice no.7 さん (投稿日 07-05-12)
年間パスポート
一年間熊本城に入り放題のパスポートがあります。 通常の入場料が500円 年間パスポートは1000円です。 2回行けば、もう元は取れちゃいます。 しかも、隣接している旧細川刑部邸にも入れます。 お勧めです。
りょうこだったよね さん (投稿日 07-05-12)
梅が見頃ですよ^^
今年は築城400年でイベントもありますので、行かれる前にチェックしてみて♪ 暖かく梅が見頃です。 お城に興味がなくても見ておくべきです!!熊本市内がよく見えますから。韓国の観光客がたくさんいました。
めぐもぐりん さん (投稿日 07-02-16)
散歩コースには最適です!
九州で一番大きなお城ではないでしょうか?1時間くらい時間をかけて散歩してはいかがですか?天守閣からの眺望も良いです。
かめさん7109 さん (投稿日 06-11-22)
西郷隆盛をうならせた清正公
天下の名城熊本城。 城作りにかけては名人といわれた、加藤清正公の作です。 特に土台となる石垣つくりでは右に出るものがなく、300年後の明治時代でもびくともせず。 西南戦争の折には、官軍が立てこもったこの堅固な熊本城を、西郷隆盛とうとう落とせませんでした。 「官軍に負けたんじゃない。清正公に負けたんだ」と苦笑したという西郷さん。 もしも熊本城が西郷軍に落ちていたら、日本の明治はかなり変わっていたでしょうね。 近くにはこの清正公を祭った加藤神社もあります。 私が訪れたときは、お城の入口に忍者風、武士風装束の人がいて、気軽に写真撮影にも応じていました。 あちらこちらに出没しているようなので、みかけたらお城をバックに、記念の1枚どうですか?
フローレン さん (投稿日 06-09-05)