鹿児島市立ふるさと考古歴史館のつぶやき
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鹿児島市立ふるさと考古歴史館のクチコミ
鹿児島市立ふるさと考古歴史館
鹿児島市立ふるさと考古歴史館は、慈眼寺公園(じげんじこうえん)の近くにある歴史博物館です。廃仏毀釈によって明治の初めに廃寺になってしまった江戸時代までの名刹・慈眼寺のかつての敷地内にあります。 旧石器時代から近世に至る鹿児島市の考古資料を中心に転じしている博物館です。特に、鹿児島市の縄文草創期の掃除山遺跡については、その遺跡の出土品の展示博物館の機能をこの鹿児島市立ふるさと考古歴史館が担っており、掃除山遺跡のジオラマがあります。また、草野貝塚関係の展示があります。 交通は、JR指宿枕崎線慈眼寺駅から徒歩15分、もしくは市バス「慈眼寺団地行き」又は鹿児島交通「慈眼寺団地行き」に乗車して「慈眼寺公園」バス停から徒歩15分です。市電「谷山」電停下車、あいばす「谷山電停発」に乗車し「ふるさと考古歴史館前」で下車でも行けます。 ○ 近くの観光スポット 慈眼寺公園 谷山神社 慈眼寺温泉
カミタク さん (投稿日 09-09-06)
慈眼寺温泉
慈眼寺温泉(じげんじおんせん)は、市内の銭湯が1湯を除いて皆全て日帰り天然温泉立ち寄り湯だという温泉天国状態の鹿児島温泉(鹿児島市内温泉)の温泉銭湯の中の一つです。 鹿児島温泉の温泉銭湯は、スーパー温泉タイプからレトロな番台タイプまで様々なバリエーションの銭湯が全て360円(ただし2007年現在)で楽しめるというのも特徴で、慈眼寺温泉はスーパー銭湯とレトロな番台タイプの中間のタイプです。飲食設備などはありませんが、設備は豪華というものです。 市内南部・谷山地域の方には地元の温泉です。 ○ 鹿児島市慈眼寺地域の観光スポット 慈眼寺公園 鹿児島市立ふるさと考古歴史館 谷山神社 慈眼寺温泉
カミタク さん (投稿日 09-09-02)
谷山神社
谷山神社は慈眼寺公園の北東部の丘陵上にある神社であり、祭神は懐良親王で、摂社に谷山隆信が祀られています。 懐良親王は、後醍醐天皇の皇子で、南北朝時代の南朝の征西府将軍(征西大将軍)として薩摩国(今の鹿児島県の西半分)に入って、南朝方の武将・谷山隆信の支援を受けて北朝方の島津貞久と戦いました。今日の鹿児島市内では身寄ヶ原(みよりがはら)の戦いで敗れましたが、後に九州北部に行き、懐良親王の活躍で九州では一時期南朝が勢力を持つに至りました。身寄ヶ原は後に御所ヶ原と呼ばれるようになりました。 谷山神社がある場所は、元々は江戸時代までの名刹・慈眼寺の敷地の一部でしたが、廃仏毀釈によって慈眼寺が廃寺になった後、昭和3年(1928年)に谷山神社が建立されました。今日では、慈眼寺跡地の慈眼寺公園の一部と言うべき場所にありますので、慈眼寺公園散策と併せてお楽しみいただけます。また、谷山神社は高台にあり、桜島が綺麗に見えます(写真右側)。 詳しい交通案内等はリンク先URLに載っています。 ○ 鹿児島市慈眼寺地域の観光スポット 慈眼寺公園 鹿児島市立ふるさと考古歴史館 谷山神社 慈眼寺温泉
カミタク さん (投稿日 09-09-02)
慈眼寺公園
慈眼寺公園(県名勝)は、鹿児島市にある、慈眼寺という寺の跡地の公園です。慈眼寺は、飛鳥時代に百済の僧・日羅を開基として創建された寺で、応永年間(1394〜1428年)に島津久豊によって再興されました。1542年に島津貴久によって伽藍が整備されて、福昌寺末寺の曹洞宗の寺として栄えました。 →福昌寺については、福昌寺跡(島津家墓地)へ 残念ながら慈眼寺は明治時代に廃仏毀釈で廃寺になってしまいましたが、跡地が気持ちの良い公園として整備されて、市民の憩いの場になっています。菜の花畑やコスモス畑、花見などの花の公園や、名物・そうめん流しで親しまれています。 JR九州・指宿枕崎線の慈眼寺駅から徒歩約10分、市バスや鹿児島交通のバスでも行けます。詳しい交通案内はリンク先URLでご参照いただけます。電話番号は谷山観光協会のものです。 ○ 鹿児島市慈眼寺地域の観光スポット 慈眼寺公園 鹿児島市立ふるさと考古歴史館 谷山神社 慈眼寺温泉
カミタク さん (投稿日 09-09-02)