常高寺のつぶやき
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常高寺のクチコミ
常高院墓所
常高寺の山門をはいり左側のコンクリートの階段を登ると国道27号線が通っています。そしてこの国道を横断して老樹のうっそうとしたところまで登ると、常高院の墓があります。 浅井長政とお市の方の次女「初」として生まれた京極高次の室、常高院は、長女の茶々が豊臣秀吉の側室、淀君であり、三女のお江は徳川秀忠の正室であったため、大阪冬の陣、夏の陣に際しては西の豊臣、東の徳川の仲直りに奔走しました。 その労は報われなかったものの、寛永7年(1630)に大津城から移り住んだ後瀬山城を見上げる位置に常高寺を創建し禅行を極め、徳川幕府から朱印状と寺領三百石の寄進を受けました。 その3年後、寛永10年(1633)8月27日、江戸で66歳波乱に満ちた生涯を終え、同年10月6日当所に葬られました。 この墓は、7人の尼僧らの墓に囲まれて小浜の海を見おろしています。 拝観料 300円
bzym さん (投稿日 07-05-14)
常高寺
常高寺は寛永7年(1630)創建の名刹で、現存する常高院の貴重な肖像画、自筆の消息、墓所の他、書院に遺るこの壁画が、往時の盛運を偲ばせています。 本堂は大正12年(1923)に焼亡、荒れた書院、庫裡などは残ったものの、昭和39年(1964)の山門の炎上もあって、まさに廃寺同然の荒れ寺となっていました。しかし、由緒ある名刹復興の動きもあって、平成13年に復興しました。 拝観料 300円
bzym さん (投稿日 07-05-06)