楽天グループ関連
補助メニュー
主なカテゴリー

たびノートTOP > 福井県の観光スポット > 若狭・小浜・高浜の観光スポット > 空印寺 > つぶやき・クチコミ

空印寺 つぶやき・クチコミ

エリア
福井県小浜市
ジャンル
見る - 史跡・建造物 - 寺院(観音・不動)

小浜藩主酒井家の墓所あり。人魚の肉を食べて800歳まで生きたという伝説の、八百比丘尼も祀られている。敷地内には比丘尼が入洞した洞窟もあり、今も小浜では人魚伝説が色濃く残っている。

空印寺のつぶやき

「空印寺」でつぶやかれたTwitterのツイートを掲載しています。

空印寺のクチコミ

マーメイドテラス

ここから見える海に沈む夕日は絶品です。一度ご覧ください。 近くには人魚の浜海岸として近年、特に整備改良され市街から歩いていける海水浴場があり、突堤からは釣りも楽しめます。 このテラスから色々な種類の椿を植樹し、小浜公園まで800mほどの散策道になっています。また、海に向かう歩道に埋め込まれた「椿のレリーフ」をたどり約510m歩くと八百比丘尼入定洞・空印寺へ着きます。 周辺には八幡神社、多くの寺、格子戸の家々が軒を連ね情緒あふれる町並みが散策できます。 人魚の像一対は八百姫伝説にちなみ昭和51年4月に配置しました。人家の密集地であるため防火に要した堀川を、改修したときに橋の両端に置いたものです。

bzym さん (投稿日 07-05-14)

空印寺

酒井家墓所のある空印寺および小浜小学校の地は、大永2年(1552)武田元光が後瀬山築城の際、堅固な城館(旧小浜城)を構築した処で、以後、京極高次の雲浜築城に至るまで一国支配の本拠でした。高次没後、嗣子忠高はこの旧地を父の牌所とし泰雲寺を建立しましたが、寛永11年(1634)松江に転封。同年入部した酒井忠勝は、父忠利の霊骨を移して建康寺と称しました。寛文年中、2代忠直が堂宇大修造のとき、祖父の法号をとって建康山空印寺と改め今日に至っています。 拝観料 300円

bzym さん (投稿日 07-05-14)

酒井家墓所

酒井家墓所のある空印寺および小浜小学校の地は、大永2年(1552)武田元光が後瀬山築城の際、堅固な城館(旧小浜城)を構築した処で、以後、京極高次の雲浜築城に至るまで一国支配の本拠でした。 高次没後、嗣子忠高はこの旧地を父の牌所とし泰雲寺を建立しましたが、寛永11年(1634)松江に転封。同年入部した酒井忠勝は、父忠利の霊骨を移して建康寺と称しました。寛文年中、2代忠直が堂宇大修造のとき、祖父の法号をとって建康山空印寺と改め、今日に至っています。 拝観料 300円

bzym さん (投稿日 07-05-06)

掲載情報の一部の著作権は提供元企業等に帰属します。 Copyright(C)2024 Shobunsha Publications,Inc. All rights reserved.