空印寺のつぶやき
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空印寺のクチコミ
マーメイドテラス
ここから見える海に沈む夕日は絶品です。一度ご覧ください。 近くには人魚の浜海岸として近年、特に整備改良され市街から歩いていける海水浴場があり、突堤からは釣りも楽しめます。 このテラスから色々な種類の椿を植樹し、小浜公園まで800mほどの散策道になっています。また、海に向かう歩道に埋め込まれた「椿のレリーフ」をたどり約510m歩くと八百比丘尼入定洞・空印寺へ着きます。 周辺には八幡神社、多くの寺、格子戸の家々が軒を連ね情緒あふれる町並みが散策できます。 人魚の像一対は八百姫伝説にちなみ昭和51年4月に配置しました。人家の密集地であるため防火に要した堀川を、改修したときに橋の両端に置いたものです。
bzym さん (投稿日 07-05-14)
空印寺
酒井家墓所のある空印寺および小浜小学校の地は、大永2年(1552)武田元光が後瀬山築城の際、堅固な城館(旧小浜城)を構築した処で、以後、京極高次の雲浜築城に至るまで一国支配の本拠でした。高次没後、嗣子忠高はこの旧地を父の牌所とし泰雲寺を建立しましたが、寛永11年(1634)松江に転封。同年入部した酒井忠勝は、父忠利の霊骨を移して建康寺と称しました。寛文年中、2代忠直が堂宇大修造のとき、祖父の法号をとって建康山空印寺と改め今日に至っています。 拝観料 300円
bzym さん (投稿日 07-05-14)
酒井家墓所
酒井家墓所のある空印寺および小浜小学校の地は、大永2年(1552)武田元光が後瀬山築城の際、堅固な城館(旧小浜城)を構築した処で、以後、京極高次の雲浜築城に至るまで一国支配の本拠でした。 高次没後、嗣子忠高はこの旧地を父の牌所とし泰雲寺を建立しましたが、寛永11年(1634)松江に転封。同年入部した酒井忠勝は、父忠利の霊骨を移して建康寺と称しました。寛文年中、2代忠直が堂宇大修造のとき、祖父の法号をとって建康山空印寺と改め、今日に至っています。 拝観料 300円
bzym さん (投稿日 07-05-06)