高山彦九郎記念館のつぶやき
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高山彦九郎記念館のクチコミ
高山彦九郎記念館
高山彦九郎は太田市細谷で生まれた、江戸時代中頃の勤王思想家で、幕末の勤王の志士たちに大きな影響を与えた人物。 北は青森から南は鹿児島まで日本全国を旅して、多くの国学者や神官と交流し、尊皇思想を広める形になった。彼の生きている時代には幕府体制を倒すという動きもなく、天皇を中心とする国家の姿について議論して歩いたようだ。彦九郎は1793年久留米で謎の切腹をとげて果ててしまうのであるが、彼の残した日記や書物が後の時代の人の目に触れ、維新の原動力となった、ともいえる。吉田松陰は1852年の東北旅行でその存在に気づき、影響を受けた。松陰の号は彦九郎の戒名の「松陰以白居士」によると推定される。久坂玄瑞・中岡慎太郎にいたってはここ上州新田郡細谷村の高山彦九郎の墓を訪ねている。 明治維新後に彦九郎の評価は上がり、1928年に京都三条大橋畔に彦九郎の銅像(土下座像)が建立された。 岩手県の久慈市、水戸市、仙台市、米沢市、京都市、久留米市、熊本市などその足跡が多く残っており、旅をしていて史跡の説明を読むとき、予想外に高山彦九郎の名前を見て驚くことがある。高山彦九郎の名前を知っていると、どこかの旅先で、突然旧知の人に逢ったような感じがして面白い。
gregra さん (投稿日 07-05-19)