岐阜市歴史博物館のつぶやき
「岐阜市歴史博物館」でつぶやかれたTwitterのツイートを掲載しています。
岐阜市歴史博物館のクチコミ
天下布武岐阜城
【天下布武岐阜城】岐阜県岐阜市 2001/12/31登城(No12)2008/03/29再登城 永禄10年(1567)織田信長が斎藤道三の孫龍興の稲葉山城を攻略、美濃を従えた。信長は岐阜と改め、文書に有名な「天下布武」の朱印を用いる。「天(あめ)の下、武を布(し)く」=「武家の政(まつりごと)によって天下を支配する」の意であろう。この時代、公家、寺家、武家の勢力争いで、信長は他の武将のみならず、強大な武力と寺領(経済力)を有する寺家との争いに終始する。信長の前に人はもちろん文化さえも跪かせたいとの強烈な意志を感じる。当時の支配者、権威にとって信長は魔王のごとくであったろう。 信長が築いた岐阜城は山麓に壮麗な居館があり、山頂に天守があった。いつ頃完成したのかははっきりしないが、永禄12年(1569)に宣教師ルイス・フロイスが訪れ、その豪華さに感嘆しているので、その前だったのだろう。フロイスによると居館は4階で山頂には豪壮な天守があり、欧州にはない美しい城だとしている。 慶長5年(1600)関ヶ原の前哨戦、織田秀信は石田方に与し岐阜城に籠城、福島正則や池田輝政に攻められ落城。関ヶ原後、家康は岐阜城を廃城にし、奥平信昌に10万石を与え加納城(岐阜市加納)を築城させる。その際に天守、櫓などを加納城に転用したとされる。 現在、山麓は岐阜公園になっており居館跡がある。近くに岐阜市歴史博物館もある。金華山ロープウェーで山頂めざす、3分ほどだが眼下に長良川がみえる、いい眺めです。山頂駅から天守まで以外に歩きます。山頂には3層4階コンクリの復興天守と隅櫓がある。天守からの眺めよし、しばし天下をとった気分に。 <交通>JR岐阜駅・名鉄岐阜駅からバスかタクシーで「岐阜公園」へ。歩いたら50分かかりました。 <写真左>岐阜城天守遠望、逆光ですみません。 <写真中・右>岐阜城復興天守
kenken0418 さん (投稿日 08-05-02)
金華山ロープウェイ山頂駅の
前のトイレからの見晴らしがスバラシイ!
kenken0418 さん (投稿日 08-04-06)