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松山城二之丸史跡庭園 つぶやき・クチコミ

エリア
愛媛県松山市
ジャンル
見る - 文化施設 - 庭園

藩主の邸宅だった松山城二之丸の間取りを再現した庭園。祭事が行われた表御殿跡は柑橘草花園、奥御殿跡は水と砂利、芝生と流水園、畳廊下は石道になっている。恋人の聖地に認定されている。

松山城二之丸史跡庭園のつぶやき

「松山城二之丸史跡庭園」でつぶやかれたTwitterのツイートを掲載しています。

松山城二之丸史跡庭園のクチコミ

伊予松山城

【伊予松山城】愛媛県松山市 2006/03/10登城(No47)2008/02/29再登城  慶長7年(1602)伊予国松前(まさき)10万石の加藤嘉明が関ヶ原の戦功で20万石に加増され、独立した丘の勝山に築城を始めた。山頂(標高132m)を本丸とし麓に二の丸、その外側に三の丸を配している。  特徴的なのは本丸と二の丸の東西の斜面に塀をたて囲み、本丸と二の丸の城域としての一体感を出していること。また河川がないので北と東の山麓に曲輪を設けて敵の侵入・登山を阻んでいる。5層の天守が建っていたという。櫓6棟、門7棟などあり、登城しながらこれが城だと実感できることがすばらしい。  寛永4年(1627)加藤家は松山城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生忠知が入るが死去。寛永12年(1635)徳川親藩の松平定行が15万石で入封、以後明治に至る。寛永19年(1642)定行が天守を3層に改築する。天明4年(1784)天守を含む主な建物が落雷により焼失、安政元年(1854)3層3階の天守を再建、今日に伝える。明治の廃城にもあわず、昭和に入り戦災などでいくつかの櫓・門は焼失したが忠実に復元されている。  本丸、二の丸一帯は松山城山公園として整備され、松山城二之丸史跡庭園がある。天気がいい日に登城するに限りますね。 <交通>松山城ロープウェイ東雲口駅にまずは行く(JR松山駅前から路面電車・道後温泉行10分「大街道」下車歩5分\150。タクシーお勧め5分\870)。ロープウェイ片道\260。本丸や景色を楽しんだら徒歩で石垣などみながら下山、二之丸史跡庭園をみましょう。3時間はほしい。二之丸史跡庭園から路面電車「県庁前」まで歩10分。なお「松山市駅」伊予鉄道とJR「松山駅」と間違いやすいので注意。

kenken0418 さん (投稿日 08-04-01)

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