宇和島城のつぶやき
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宇和島城のクチコミ
高虎会心の城・宇和島城
【宇和島城】愛媛県宇和島市 2006/03/10登城(No46) 藤堂高虎が慶長6年(1601)築城、名人会心の城と言われている。地上から城をみると四角のありふれた感じに見えるが、上空からみると不等辺5角形をしている。これは普通に四方から城を囲むと1辺があまる事になり、そこが包囲陣の弱点でそこをつけば活路を見いだせる。 中心部は標高80mの細長く延びた城山を利用、最高所に本丸、下に二の丸、本丸の対向側に長門丸、地形を利用した巧みな配置だ。その城山を囲む人工的な5角形にした堀を造っていた。当初高虎が造った天守は自然な岩盤の上に建てたものだった。現存天守は寛文11年(1671)宇和郡10万石で入封した伊達氏が、石垣の天守台上に3層3階で建てたもの。 北登山口から攻城開始、桑折(こおり)氏武家長屋門をくぐる。このあたりは当時三の丸があったと推定される。けっこう急坂!きつい。本丸に到着、小振りだが均整がとれた天守だ。やっぱり現存天守は最高です。見晴らしよし。 <交通>JR宇和島駅から歩12分。タクシーお勧め。
kenken0418 さん (投稿日 08-04-01)
宇和島城
天守は国の重要文化財。城跡全体は国の史跡。 天守は3層3階で小ぶりだが,均整を保ち非常に美しい。 1601年頃,藤堂高虎により天守が初めて築かれる。 伊達政宗の長子・伊達秀宗が10万石を賜り仙台から入城。以後伊達家が明治まで続く。
ZAK007 さん (投稿日 07-04-15)
宇和島城・名人会心の城
【宇和島城】愛媛県宇和島市 2006/03/10登城(No46) 藤堂高虎が慶長6年(1601)築城、名人会心の城と言われている。地上から城をみると四角のありふれた感じに見えるが、上空からみると不等辺5角形をしている。これは普通に四方から城を囲むと1辺があまる事になり、そこが包囲陣の弱点でそこをつけば活路を見いだせる。 中心部は標高80mの細長く延びた城山を利用、最高所に本丸、下に二の丸、本丸の対向側に長門丸、地形を利用した巧みな配置だ。その城山を囲む人工的な5角形にした堀を造っていた。当初高虎が造った天守は自然な岩盤の上に建てたものだった。現存天守は寛文11年(1671)宇和郡10万石で入封した伊達氏が、石垣の天守台上に3層3階で建てたもの。 北登山口から攻城開始、桑折(こおり)氏武家長屋門をくぐる。このあたりは当時三の丸があったと推定される。けっこう急坂!きつい。本丸に到着、小振りだが均整がとれた天守だ。やっぱり現存天守は最高です。見晴らしよし。 <交通>JR宇和島駅から歩12分。タクシーお勧め。 http://www.uwajima.org/spot/index7.html
kenken0418 さん (投稿日 08-01-22)
試練の後には喜びが。
宇和島城(鶴島城)なんと登り難い階段か。周りはうっそうとした南国風の自然林が茂る。ちょっと息苦しい感じ。防御の為とは言えよく考えたな〜と感心する。城とは本来そんなものか。でも、待っています。白壁総塗りごめ造りのお城!小さくても均整のとれた素敵な城です。私は好きだな〜宇和島城。余談だが、ここの時報がまたスゴイ。何の曲だったかな?
あした101 さん (投稿日 08-01-19)