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大洲城 つぶやき・クチコミ

エリア
愛媛県大洲市
ジャンル
見る - 史跡・建造物 - 城・城址

大洲城は藤堂高虎、脇坂安治によって城郭が整備され、廃藩まで大洲藩加藤家13代の居城だった。写真などの史料をもとに復元された天守閣は、木造4層4階建てで19.15mの高さがある。

大洲城のつぶやき

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大洲城のクチコミ

大洲

伊予の小京都。 肱川の畔に佇む大洲城は4層4階の小ぶりで綺麗なお城。 昔の史料を基に平成16年に木造で復元。 同じく,肱川沿いに臥龍山荘が建つ。 茅葺平家建ての臥龍院,不老庵は見事。特に不老庵は,崖の上の生きた槙の木を柱に使っており,数寄屋造りの名建築。 NHKロケの行われたおはなはん通り,明治の町並みを見て歩くのもいい。 大洲は「男はつらいよ・第19作・寅次郎と殿様」の舞台でもある。

ZAK007 さん (投稿日 08-12-14)

大洲城

【大洲城】愛媛県大洲市 2008/03/01登城(No124)  鎌倉時代に守護として入った宇都宮氏が築城している。豊臣時代には小早川隆景が支配し、その後、藤堂高虎が文禄4年(1595)に入城し整備した。慶長14年(1609)脇坂安治が入城し、この2人の時代に城郭が造営されたといわれている。  肱(ひじ)川が北から東に曲がる所の小山に本丸を置き、西から南にかけて二の丸を配し、広い堀で囲み、その先に三の丸を配している。広くはないが巧妙に区分されており、高所の本丸から容易に防御できる構造になっている。天守は4層4階で2つの隅櫓(台所櫓、高欄櫓ともに重文)を多聞櫓でL字型に連結していた。  元和3年(1617)6万石で加藤貞泰が入封、以後加藤氏で明治に至る。明治に城は破却されたが住民により天守、櫓は一部保存された。しかし天守は老朽化か維持不能により明治21年(1888)に解体された。  現在、木造で天守が平成16年(2004)に復元された。木組など天守の資料が残っていたことなどから忠実に復元されていてすばらしい。北の肱川沿いには高石垣がそびえている。他に肱川畔にある芋綿(おわた)櫓、三の丸南隅櫓が現存している。JR伊予大洲駅から宇和島方面行列車で左側に大洲城が望める。 <交通>JR伊予大洲駅から歩20分。タクシーお勧め。

kenken0418 さん (投稿日 08-04-01)

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