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神奈川県の「鎌倉市」に関する観光スポット168件を紹介!
法華堂跡(源頼朝墓、北条義時墓)の下に大倉幕府の西門があった。治承4(1180)年に鎌倉入りした頼朝は大倉に御所を建設し武家政治を行った。嘉禄元(1225)年に宇都宮辻子に移された。
鎌倉幕府を開いた源頼朝と、第2代執権として政権の基礎を固めた北条義時を供養した堂の跡。現在の頼朝の墓塔は安永8(1779)年、頼朝と縁深い薩摩の島津重豪が整備し、近年復元された。
頼朝の有力な側近として貢献した大江広元の墓と伝えられている。十二所にも墓と伝えられるものがある。頼朝の墓の東側にある石段を登り石垣に囲まれた横穴のうち右側の横穴である。
永仁元(1293)年、一向上人により開山。本尊は阿弥陀如来像。鎌倉彫刻の特徴のひとつである土紋装飾を施した木造坐像の如意輪観音でも知られる。
春はツツジの花に包まれる北条政子ゆかりの寺。夫頼朝の菩提を弔うために建てた長楽寺と焼失した田代寺、浄土宗の善導寺がひとつとなり安養院となった。
建長5(1253)年、日蓮が安房より来て建てた日蓮宗最古の寺。延文2(1357)年に護良親王の遺児、日叡が再興した。本堂裏の石段は美しいコケでおおわれている。
高さ11.312mの鎌倉大仏を本尊とする浄土宗寺院。大仏の鋳造が始まったのは建長4(1252)年。かつては大仏を覆う大仏殿があったが、明応7(1498)年の海潮により流失。
建長5(1253)年創建の臨済宗寺院。水とのかかわりが深く、山門脇には鎌倉十井のひとつの「底脱の井」、仏殿奥には16の湧水をたたえた「十六の井」がある。
葉山館、鎌倉別館を含め、3館からなる神奈川県立近代美術館。明治以降の日本の近代絵画・彫刻から世界各国の現代美術まで、幅広い視野でテーマに沿った企画展を開催する。
冷泉家の祖を生んだ女流歌人、阿仏尼が眠るといわれている墓。英勝寺の通用門を過ぎて扇が谷へ歩くと、途中の崖下にやぐらがあり、やぐらの中に六層の石造塔が安置されている。
源頼朝の娘、大姫の守り本尊といわれる地蔵菩薩がまつられている。地蔵の床下に船形の光背を備えた石造りの地蔵尊が納められていて、それが岩船地蔵の名の由来であるといわれている。
永仁元(1293)年に日像聖人が真言宗より改宗。本尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏。本堂、釈迦堂、鐘楼などが建ち並ぶ境内は広くはないが、参道の桜並木は有名である。徳川家、蒲生家ゆかりの寺。
本堂の阿弥陀堂とともに、観音堂、収蔵庫などが立つ。収蔵庫には観音菩薩と勢至菩薩が脇侍として祀られた国の重要文化財である阿弥陀三尊像や、地蔵菩薩像が安置されている。
葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は後醍醐(ごだいご)天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿をお祀りする神社だ。
薬師堂ヶ谷の最奥にあり、愛染堂に愛染明王坐像、薬師堂に薬師如来や十二神将、地蔵堂に地蔵菩薩坐像が安置される。旧内海家住宅、棟立の井、十三仏やぐらなども見られる。
建武元(1334)年、護良親王は足利尊氏に捕らえられ、1年後に殺害された。山頂に護良親王の墓がある。陵墓のため登れない。
源頼朝が建立した寺。裏山には散策路が整備されている。中心の大堂は二層構造だったことから、二階堂とも呼ばれ現在の地名の由来となった。応永12(1405)年の火災により大伽藍を失ったという。
金沢街道の南に釈迦堂ヶ谷という谷戸がある。住宅街の先は道が狭くなり、山が迫り、行き当たるのが釈迦堂切通である。土砂崩れのため、現在近くまで寄ることはできない。
極楽寺坂切通に建つ、承久元(1219)年北条泰時建立の真言宗寺院。参道から望む由比ヶ浜の眺めがすばらしい。
桜並木とサルスベリの参道が美しい真言律宗の寺院。かつては多くの塔頭を備えた大寺院だったが、今は大正時代に建てられた本堂だけが残されている。静かなたたずまいの古刹だ。
源頼朝に挙兵を勧めたという稲荷神を祀る神社。100本以上ある赤い鳥居とのぼり旗が参道に独特のアーチを造る。境内で遊ぶリスたちは子供たちの人気者だ。
天平8(736)年創建と伝わる鎌倉でも有数の古刹。境内は四季の花々が咲き、明るく開放的な雰囲気。長谷観音などがあり、見晴台から海も眺められる。
鎌倉ゆかりの文人の資料を集めた文学館。常設展は鎌倉文士、古典文学、明治・大正の文学、昭和の文学の4つの分野別に展示され、特別展や文学講座も開催されている。
祠に湧く霊水でお金を洗い、心を清めて行いを慎めば商売繁盛するといわれている神社。源頼朝が宇賀福神の導きで建てたところ、世の中の混乱が次第に治まったという。
朝夷奈切通に近い山間にひっそりと立つ簡素な神社。かつては茅葺き屋根だったが、現在は銅葺きに改修されている。境内には社殿と神楽殿がある。
熱した鍋をかぶせられる拷問を受け、鍋かむり上人の名で知られる日親上人が第二祖。本堂脇に上人が京都布教に発つ前に水行した池と、奥の社の中には日親上人の石像がある。
鎌倉では珍しい冠木門が印象的な寺。刑場に引かれていく日蓮上人に尼がぼたもちを捧げたという故事から、ぼたもち寺とも呼ばれる。境内は季節の草花に彩られた、心和む空間だ。
大地震、風水害など異変が続いていた建長5(1253)年、鎌倉を訪れた日蓮はこの辻に立ち、「災難は邪法を信ずることが原因」とし、新しい宗教の布教を行ったと伝えられている。
正和2(1313)年、日範上人によって開創。皮膚病や癌封じに利益がある瘡守稲荷と身代わり鬼子母神をまつる。山門の裏側には、名工左甚五郎作といわれる龍の彫刻がある。
康平6(1063)年、源頼朝公の祖先、源頼義は由比若宮(元八幡)を祀った。のちに鎌倉入りした頼朝公は、この社を現在の鶴岡八幡宮の地に遷し、鎌倉幕府の象徴とした。
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