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山口県の「萩市」に関する観光スポット95件を紹介!
初代藩主毛利秀就を弔うために建てられた臨済宗の寺。秀就以降2代から12代までの偶数代の藩主と夫人、殉死した藩士の墓と603基の灯籠がある。8月13日には万灯会が行われる。
萩焼の大家、吉賀大眉の作品や古陶磁を展示。大眉は白萩釉の上に鉄釉をかけて焼くといった自由な発想を取り入れた。陶芸体験ができる工房と、作品を販売する展示場がある。
永代家老益田家の屋敷の一部。物見も兼ねていたことからこの名前で呼ばれている。かつて萩城の各総門に物見を兼ねた矢倉が配置されていたが、現在残るのはここだけ。
藩政時代から明治時代までの萩にまつわる文化遺産を展示している資料館。藩主の遺品、書画、長州藩の武具など、貴重なものが多い。萩の歴史についても紹介している。
萩藩きっての豪商で、当時は幕府巡見使の宿の本陣であった菊屋家の住宅。主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場が重要文化財に指定されている。主屋、蔵、書院の庭園を公開し、美術品の展示も充実。
萩市内、菊屋横町のなかほどにある高杉晋作の誕生地。庭には、天保10(1839)年に中級武士の家に生まれた晋作の産湯に使ったとされる井戸や晋作の句碑がある。
永代家老益田家の分家筋にあたる問田益田氏旧宅の土塀。全長約232mの本瓦葺きの土塀は保存状態がよく、萩市の文化財に指定されている。周辺は重要伝統的建造物群保存地区。
高杉晋作、伊藤博文らが学んだ真言宗御室派の寺院。全国でも珍しい神仏習合の形態が見られる。県下最大の玄武岩の石灯籠や日本最大級の大鏡、晋作や博文らが遊んだ神馬などがある。
明治維新の立役者、木戸孝允(桂小五郎)の生家。藩医の家だったので、患者のための専用玄関もある。孝允が生まれた当時の部屋や庭園が残り、国の史跡に指定されている。
口羽家は萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く、主屋は18世紀末から19世紀初頭、表門は18世紀後半の建物といわれる。主屋と表門がともに残っているのは珍しい。
毛利元就の五男、元秋を始祖とする厚狭毛利家の屋敷。安政3(1856)年に建ち主屋などは維新後に解体、長屋のみ残る。全長は51.5mあり現存する萩の武家屋敷の中で最も大きく国指定重要文化財。
毛利家の墓所の一つ。元就の長男隆元の子である毛利輝元と輝元の妻、殉死した家臣長井治郎左衛門の墓石がある。明治2(1869)年に廃寺となり、現在は墓所のみが残る。
浸食されてできた深谷。屏風のような絶壁が両岸に迫り、深い木々に抱かれた本流の川岸に沿って5.2kmの探勝道が続く。秋は見事な紅葉を観賞でき、もみじまつりで賑わう。
萩往還は城下町萩と三田尻港を結び、かつて藩主毛利氏が江戸への参勤交代で通った道。「一升谷」には石畳や休憩所があり、当時の面影が色濃く残る。
村の木食様として親しまれている願行寺の薬師仏。木食上人がカヤの大木に彫って作ったものといわれ、根回りは数メートルもある。
日本古来の技術により、砂鉄を原料に木炭を燃焼させて鉄を作っていた江戸時代の製鉄所跡。敷地内には高殿、小鍛冶屋、米蔵などの施設を保存している。
名字帯刀を許され、庄屋を務めていた吉見家浪人森田対馬の屋敷跡。藩主御成りの屋敷ということから、武家屋敷をしのぐ造りが随所に見られる。国の重要文化財。
萩市から島根県の益田市までの国道191号は、別名「北長門コバルトライン」と呼ばれるドライブルート。日本海に浮かぶ島々や変化に富んだ海岸線など美しい風景が続く。
須佐湾景勝のメインともいえる断崖。新生代第三紀層の砂岩と頁岩が交互に堆積し、マグマの熱作用で変成したもので、黒と淡灰色のあざやかな縞模様が美しい。
特産品販売所や、四季折々の鉢花を展示販売する温室、レストランなどを備えた道の駅。ふれあい百円市を開催しており、地元の新鮮な野菜が購入できる。
7つの入江に大小70あまりの島々が点在し、ホルンフェルス、屏風岩などがある景勝地。国の名勝および天然記念物、北長門海岸国定公園に指定されている。遊覧船も就航。
国道262号沿いにあり、人気の佐々並どうふなどの特産品販売所と食堂を設けている。食堂で食べられる夏みかんソフトクリームは人気の逸品。
長門市と萩市を結ぶ国道191号沿いの田園地帯にある。弘法大師が万病に効く湯として広めたという説と、白ウサギが傷を癒しに来て発見したという二つの言い伝えがある。
城下町の面影を色濃く残すエリア。菊屋横町、江戸屋横町、伊勢屋横町といった通りには、菊屋家住宅、高杉晋作誕生地、高杉晋作立志像、木戸孝允旧宅など萩の見どころが点在する。
萩藩主毛利敬親別邸花江御殿の茶室「自在庵」を移築したもの。敬親は家臣たちと茶事に託して時勢と論じ、国事を画策したといわれる。
藩の重臣梨羽邸内にあった茶室。年に一度、城中煤払いのときに一時この茶室に藩主を迎えたことから「煤払いの茶室」といわれる。正式な座敷構えを呈した格式ある茶室で珍しい花月楼形式。
文久3(1863)年、毛利敬親が萩市から山口市へ藩庁を移した際、表門として建造。明治維新を支えた長州藩士たちがこの門をくぐった。現在もここをくぐることができる。
モモ、ナシ、リンゴ、柑橘類などの果物をはじめ、海の幸、山の幸が豊富にそろう。近くに田万川温泉、キャンプ場、海水浴場があり、豊かな自然に囲まれた道の駅。
温泉はサイトの目の前。海水浴場までは徒歩3分と夏を満喫するにはおすすめのロケーション。サイトも広くのんびり過ごせる。
充実した設備にレンタル品も揃っているので不便なく過ごせるキャンプ場。エコロジーと名乗るだけに、割箸以外の紙食器など、使い捨てのものは使用禁止となっている。
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