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京都府の「東山」に関する観光スポット157件を紹介!
産寧坂の石段前の中ほどにある京小物の店。坂本龍馬ゆかりの店舗。井和井オリジナルの商品を中心に和小物、お香、扇子など取り揃えている。
雪舟作と伝えられる庭があることから、雪舟寺と呼ばれている。東福寺の塔頭の一つで正式名は芬陀院。茶関白といわれた一條恵観ゆかりの茶室があることでも知られている。
境内には、本堂、庫裏、客殿、一段高くに荒神堂が建っている。大石良雄が討ち入り前に身を寄せていたこともあり、赤穂義士の遺品がある。茶室を中心にした含翠庭が美しい。
重森三玲が修復した、九山八海の庭(雲の庭)には、細川家ゆかりの遺愛石がある。また、茶室の観月亭、ゆうゆうと流れる雲を表現した、臥雲の庭がある。
善光寺の本堂前に置かれた石の地蔵。首が360度回るようになっていて、願いのある方向に首を回すと、願いが成就するといわれている。良縁祈願に訪れる人が多い。
明治元(1868)年、日本初の官祭招魂社として創立された京都霊山護国神社。その境内には坂本龍馬や中岡慎太郎をはじめとする勤皇の志士の墓があり、ここからの京都市街の眺望が美しい。
大谷本廟の北から清水寺へと延びる坂。途中で清水新道(茶わん坂)と分岐する。かつては清水焼の窯元が数多くあり、道沿いに連なる陶器店に現在ではその名残を残す。
かつての豊国社跡地にある、豊臣秀吉の墓所。智積院と妙法院の間にある、東山へ上がる坂道を豊国廟参道という。長い石段を上がった阿弥陀ヶ峯の頂上に秀吉の墓がある。
赤穂義士、吉田忠左衛門他3名の墓がある、日蓮宗の寺院。毎年12月14日10〜16時に一般拝観を行っている。
悪縁を切る神様として知られ、タバコや酒、病気との縁を絶ちたい人が多く訪れる。縁切り祈願に奉納された絵馬を展示した絵馬館には、多くの有名人の絵馬がある。
清水坂にある陶器店。店舗奥にある陶房で、手回しろくろによる作陶体験ができる。指導を受けながら湯呑みや花器など好きなものが作れる。また、絵付体験もできる。
豊臣秀吉の創建。かつては壮大な寺域を有したが、火災で焼失。現在は大坂の陣の引き金となった、高さ4.2mの「国家安康」の梵鐘などが残っている。
天台宗の門跡寺院。石垣と築地塀をめぐらした広大な境内には、庫裏や東福門院の旧殿と伝わる大書院、大玄関が建つ。大書院の障壁画58面は国の重要文化財。
淀殿が父浅井長政追善のために、文禄3(1594)年に建立。伏見城落城の際、自刃した鳥居元忠らの血に染まった廊下を移築した血天井がある。俵屋宗達筆の杉戸絵は必見。
明治時代の政治家、山県有朋の別荘。明治36(1903)年、山県らが日露戦争開戦を決断した部屋が、往時のままに残る。東山を借景にした庭園は明治時代を代表する名園。
祇園石段下にある、全国的に見ても珍しいランプの美術館。国内外の石油ランプから、古くは江戸時代の菜種ランプまで、約800点を展示している。
天暦5(951)年に空也上人が開いた寺。本尊は秘仏の十一面観音像。宝物館には口から仏の姿を吐く有名な空也上人像や平清盛像などを安置している。西国霊場第十七番札所。
縁切りの霊験があることで知られる安井金比羅宮に奉納されている江戸中期から大正にかけての絵馬を1階に30点と、現代の絵馬を2階に600点ほど展示している。
永暦元(1160)年建立。狛犬のかわりにサルがいる、珍しい神社。天保6(1835)年造営の本殿は京都最大級の流れ造りで、その醸し出す雰囲気も重厚である。
豆腐すくいや茶漉し、中華せいろなどの調理器具をはじめ、さまざまな金網製品を制作する店。ここでは豆腐すくいの制作体験ができる。体験は予約制だ。
祇園の北側を流れる白川沿いは、花街風情を色濃く残す界隈。とくに新橋、巽橋あたりから西、南へ延びる路地には、老舗の料亭や、お茶屋が軒を並べる風情ある町並みが続く。
高台寺前の西側に続く御影石を敷き詰めた石畳の道。秀吉の妻、ねねにちなんで名付けられた。道には街灯も取り付けられ、夕方の散策も楽しめる。
弘法大師が自ら土でつくった六波羅地蔵を安置したことに始まる古刹。檀林皇后が皇子(のちの仁明天皇)の病気平癒を祈願したことから、子育て地蔵として信仰を集める。
「岡は船岡」と『枕草子』に登場する船岡山山上にある社。織田信長、信忠親子を祀り、正しくは「たけいさおじんじゃ」という。拝殿前からの東山三十六峰は絶景。
法然上人が浄土宗をはじめて布教し、また入滅した地に立つ浄土宗の総本山。2年の歳月をかけて建立した三門は、空無相無願を表す我が国最大の二重門。
二年坂から清水坂へ続く石段の道。安産信仰で知られる子安観音の参詣道だった。転ぶと三年で死ぬとの俗信があり、三年坂ともいう。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
穏やかな東山の景観にしっとりとした佇まいで立つ。高さ46mの本瓦葺きの五重塔で、正式名は法観寺。古くは八坂寺といい、四天王寺式伽藍配置をもつ大寺として栄えた。小学生以下は拝観不可。
平安時代、後白河上皇の勅願により建立。全長118mの本堂に、国宝の千手観音座像を中心に千体の千手観音立像を祀る。三十三間堂の名は、本堂内陣の柱間が33あることに由来。
約12000件の文化財を収蔵し、修復施設も併設している。明治古都館は、明治半ばに建てられたバロック様式を取り入れたレンガ造りで、国の重要文化財である。
起源は紀州根来山の寺の再興で、慶長6(1601)年に豊国神社の坊舎の一部と祥雲禅寺をもとに建てられた。絵師・長谷川等伯とその一門による障壁画25面を所蔵している。
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