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愛媛県の「愛媛」に関する観光スポット586件を紹介!
三浦工業株式会社の創業者、故三浦保が企画、竣工した美術館。屋外ギャラリーに三浦保の制作した陶板画や国内外の芸術家の作品を常設展示している。年に数回、企画展を開催。
JR市坪駅近くにある松山中央公園の中核施設となるメイン野球場。両翼99.1m、中堅122mで、ナイター設備と3万人を収容するスタンドをもつ。プロ野球の公式戦も行われる。
子どもたちが自由に遊ぶなかで、創造性や自主性が養える施設。西洋の城をモチーフにしたメイン施設をはじめ、室内遊具設備や冒険の丘、ふれあいの森ゾーンなどがある。
昭和3(1928)年に建築された旧宇和町小学校を移築。長い木造廊下は109mもある。館内で農耕の歴史、米の種類、米作りの過程などを紹介している。
松山市南西端の重信川河口付近にはいくつもの中洲があり、干潟は水鳥たちの格好のすみかになっている。春と秋にシギやチドリ、冬にカモやカモメが観察できる。
埋蔵文化財センターに付設。全国的に有名な古代ダム、古照遺跡の堰や葉佐池古墳2号横穴式石室の実物大模型、久米官衙遺跡群から出土した古代瓦、石器、土器、埴輪など貴重な展示物が並ぶ。
日本三大絣の一つ、伊予絣の歴史資料を展示。染色から反物になるまでの工程が見学できる。ハンカチやバンダナの藍染め体験が楽しめるコーナーや食事処、直売所がある。
温泉の守護神である大国主命と少彦名命の二神を祀る。道後では古くから温泉の湧出が止まると、その度に湯神社で湯祈祷が行われてきたという。
旧松山藩主の子孫久松伯爵の別邸として建築。ロココ様式の館内は、名士が集まる社交場だった当時の雰囲気が漂う。豪華な大広間や美しいステンドグラスが見学できる。重要文化財。
伊達家2代藩主宗利が海を埋め立てて造営した浜御殿の一部。7代藩主宗紀の退隠所として慶応2(1866)年に完成した。池泉回遊式庭園で深山幽谷の趣をたたえる。
伊達家初代藩主秀宗の家老で、総奉行として政務を担当していた山家清兵衛は、反対派によって殺害された。非業の死を遂げた清兵衛の魂を祀る。漁業を中心に産業の神、庶民の神として崇められる。
数々の滝や奇岩が連なる渓谷。鬼ヶ城連峰から湧く清流の間を遊歩道が続く。夏期にはそうめん流しの店が出る。
宇和島市から約30kmの沖合に浮かぶ島。キャンプ場として利用できる日崎海水浴場の開設期間は7・8月。フェリーは便数が少ないので、高速船で島へ渡る人が多い。
明治時代初期から地域の主要産業だった、蚕糸業に関する資料を展示。繭や生糸の生産に使われた道具類、江戸時代の衣装や世界の民族衣装が並ぶ。はた織りや染色体験ができる。
白壁の土蔵風の建物。横山大観、梅原龍三郎など日本の作家から、ミロ、マリー・ローランサンまで幅広い作家の作品を展示、収蔵。全国「かまぼこ板の絵」展覧会で有名。
約6000平方メートルの広大な敷地に、江戸時代の風格ある武家屋敷や商家の町並み、百姓家を再現している。注目は藩の御用商人、法華津屋の建物の一部を移築・復元したもの。
天保年間(1830〜1844年)の食糧危機の際、村人たちの前に突然クジラが現れ、窮地を救った。そこで宇和島藩主がクジラに戒名を与え、海辺に3基の鯨塚を立てた。
整然と並んだオートサイトのほかにケビンやトレーラーハウスといった宿泊施設も完備。宇和海に落ちる夕日と星空がとてもきれいなキャンプ場だ。
自由律俳人の種田山頭火が昭和14(1939)年に庵住し、その終焉の場所となった。再建された庵に隣接する休憩所に、山頭火関連の資料を展示。庭には句碑がある。
標高132mの勝山の山頂一帯に広がる、松山城を中心にした史跡公園。山腹までロープウェイとリフトが運行。日本さくら名所100選の一つで、見頃は4月上旬。
松山が生んだ近代俳句の父、正岡子規。17歳で上京するまで暮らしていた旧宅を正宗寺の境内に復元。愛用の勉強机を置いた3畳の勉強部屋に、紀行文や写生帳を展示している。
藩主の邸宅だった松山城二之丸の間取りを再現した庭園。祭事が行われた表御殿跡は柑橘草花園、奥御殿跡は水と砂利、芝生と流水園、畳廊下は石道になっている。恋人の聖地に認定されている。
武将、加藤嘉明が慶長7(1602)年より築城を開始し、四半世紀をかけて完成。各櫓、城門、天守など21棟の建造物が重要文化財。山頂から松山市街や瀬戸内海が一望できる。
真野長者が開基したといわれる四国霊場第52番札所。国宝の本堂に、歴代の天皇が勅納した7体の十一面観世音像が安置され、重要文化財に指定されている。仁王門も重要文化財。
松山出身の彫刻家である故乗松巌が私財を投じて造った、アートと音楽のためのスペース。彫刻をはじめデッサンなどを展示。ユニークなイベントを随時開催している。
四国霊場第49番札所。天平勝宝年間(749〜757年)に恵明上人が開基。10世紀半ばに踊念仏を広めた空也上人が寺を訪れ、刻んだ立像がある。本堂とともに重要文化財。
聖武天皇の勅願により、天平13(741)年に行基が開基した四国霊場第48番札所。太鼓橋を渡ってくぐる仁王門は土手よりも低く、罪人がくぐると無間地獄へ堕ちるといわれる。
連なる奇岩、絶壁、清流、滝が織りなす、すばらしい渓谷の景観が広がる。のんびりと森林浴を楽しみたい。春の桜並木、夏はキャンプ、秋の紅葉、年間通じて楽しめる。
城川地区は黒瀬川構造帯と名付けられた、日本では珍しい古生代シルル紀の化石や岩石を含む地質があることで知られる。地質館では黒瀬川構造帯の謎を通して、地球の成り立ちをわかりやすく紹介。
藩政時代の庄屋、土居家の屋敷を改修した交流館。52cm角、高さ約10mの大黒柱、せがい造りの大屋根など格式と威厳が感じられる。宿泊は完全予約制。
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