たびノートTOP > 奈良
奈良県の「奈良」に関する観光スポット654件を紹介!
生駒山と信貴山を結ぶ延長約20.9kmの有料道路。四季折々の眺望が素晴らしい。「誓いのリンク」がある「鐘の鳴る展望台」は、大阪と奈良の夜景を見下ろすビュースポット。
鎌倉時代に快慶が彫ったと伝わる。写実的に線刻された薬師如来像の左右には日光・月光両菩薩を配している。町文化財、高さ2.2メートル、幅2メートル。
小さな円墳だが、天武天皇の皇子高市皇子の子で、自害の最期をとげた長屋王の墓と伝えられている。少し離れたところには、主人のあとを追って亡くなった吉備内親王の墓がある。
どっしりと鎮座する石が御神体。高さ約6m、幅約10mの巨大な陰陽石は、いにしえから万物を生み出す産土神として崇められてきた石だ。越木塚の集落内にある。
小さな円墳だが、天武天皇の皇子高市皇子の子、自害の最期をとげた長屋王の墓と伝えられている。少し離れたところに、あとを追って亡くなった吉備内親王の墓がある。
祭神は天御柱命、国御柱命。風水害で凶作が続いた時、風神のお告げから創建されたと伝わる。五穀豊穣、航海安全に霊験があるとされ、関係者のお参りが絶えない。
生駒山頂のレジャーランド。大阪湾、神戸、六甲の山並みまでが見渡せ、夜景はまさに100万ドル。人気のゴーカート・ウォーターショットをはじめ約26種のアミューズメントマシーンが揃う。
生駒山越えの最短ルートだった暗峠は、古来、伊勢参りに利用され、旅籠や茶屋が立ち並ぶ賑やかな峠だった。道沿いの石仏や道標にかつての趣が感じられる。
延宝6(1678)年に宝山湛海が中興した。聖天堂に祀られた歓喜天は、生駒の聖天様として広く信仰を集め、お参りの人が絶えない境内には多数の堂宇が立ち並ぶ。
生駒谷十七郷の氏神さま。正式には往馬坐伊古麻都比古神社という長い名。天皇即位の時に火燧木を献上してきた火の神として知られ、神苑に春日造りの社殿が並ぶ。
役行者が開いた修権道の寺院。鳴川山中での修行中に千手観音を感得。像を漆の木に刻み本尊とする。境内には県指定有形文化財の梵鐘をはじめ、町指定有形文化財も多数ある。
奈良時代に行基菩薩によって開かれた寺院。松永久秀に寺を焼かれ、現在の本堂は江戸時代に再建されたもの。平安時代に作られたとされる薬師如来坐像や薬師三尊像は町指定文化財。
寛文3(1663)年小泉城主片桐貞昌が創建した。茶人好みの庭園や、茅葺き入母屋造りの書院、江戸中期を代表する茶室のたたずまいがすばらしい。茶室及び書院は重要文化財。
標高約150mの山で、1500万年前に二上山が大噴火したときに火砕流が堆積してできたといわれる。地質や植物生態を研究するのに重要な地域。県の天然記念物。
馬見丘陵の古墳群を包み込むような自然環境にある総面積約56haの公園。古墳の丘、睡蓮の池、菖蒲園などがあり、緑と四季の花に囲まれる。公園館では資料を展示している。
聖徳太子が達磨像を刻み、安置したことに始まると伝わる。境内には本堂、庫裏、方丈などがある。日本三大達磨の一つ、達磨大師像は重文。聖徳太子の愛犬雪丸の像もある。
鳥見山の北麓にある全長約210mの前方後円墳で、前方が長く柄鏡の形をしている。前期古墳でも古い時代のもので、4世紀前半の築造とみられている。
信貴山中腹にあり、福徳開運の毘沙門天で親しまれている。トラは寺の守護神で、境内のあちこちにトラが見られる。境内には本堂をはじめ十数棟の堂宇が立ち並ぶ。
祭神は物部氏の祖先神である櫛玉饒速日命。航空の神さまとして信仰され、楼門にはプロペラが掲げられている。一間社春日造り檜皮葺き本殿、末社の八幡神社社殿も重文。
正式な名称は金剛山寺、別名をあじさい寺という。境内には本堂、開山堂などが立ち、本尊の木造地蔵菩薩立像をはじめ重要文化財に指定された仏像が多い。地蔵信仰の寺として知られる。
祭神の稗田阿礼は、抜群の記憶力で古事記を暗誦したことから、今は知恵や童話の神さまとして親しまれている。神社は環濠集落で有名な稗田にある。
郡山城跡内にある地方史専門図書館。享保9(1724)年に柳澤吉里が15万石の領主となり、明治時代まで6代続いた柳澤家・郡山藩(郡山城)の歴史資料などを公開している。
桜井市内で出土した発掘調査資料を展示している。なかでも3〜4世紀の大集落の跡、纏向遺跡のコーナーには古代の都市が再現されている。
白鳳時代の石仏があることで名高い。高さ1.2m、底辺1.5mのおにぎり形の砂岩に浮き彫りされた薬師三尊像で国の重文。三尊石仏としては、わが国最古といわれている。
聖徳太子が伎楽舞を貴族の少年たちに習わせた場所と伝わり、土舞台の碑が立つ。芸能発祥の地を記念して、毎年10月には土舞台で大祭が催される。
鳥見山西麓にある延喜式内社で、能登の宮と呼ばれる。神武天皇時代に創建したものを、12世紀初めに現在地に移したと伝わる。境内には多数の文字碑や約160基の石灯籠が並ぶ。
日本最古の市場、海柘榴市のあった所。山の辺の道、初瀬街道などの街道が交わる交通の要衝だった。大勢の人が集まって市場となり、宿場町としても賑わった。
相撲の元祖、野見宿禰が當麻蹴速と力比べをしたという伝承から、相撲発祥の地といわれ、二人が勝負したと伝わる土俵跡がある。穴師の丘、兵主神社の境内にある。
松、杉、檜に覆われた山は、三諸の神奈備と呼ばれ、神の降臨する山として崇められてきた。山頂近くと中腹に磐座があり、古代の名残をとどめている。
全長約270mの前方後円墳。『日本書紀』には、崇神天皇のころに造られた倭迹々日百襲姫命の墓とされる。昼は人が造り、夜は神が造ったという。卑弥呼の墓との説もある。
掲載情報の一部の著作権は提供元企業等に帰属します。 Copyright(C)2024 Shobunsha Publications,Inc. All rights reserved.