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全国の「会津若松市」に関する観光スポット83件を紹介!
猪苗代湖畔にあり、キャンピングカーやトレーラー専用サイトまである本格的なオートキャンプ場。観光はもちろん、アウトドアレジャーのベース基地として一年を通して楽しめる。
山鹿素行は会津の人で、朱子学・神道などを学び、その後、朱子学を排し、独特の日本主義思想である古代の道復帰を説いた。配流され、その思想で赤穂浪士にも影響を与えた。生誕地の石碑が立つ。
古くは参勤交代の休息所などで利用されていたが、戊辰戦争時は会津藩本営となった。当時のままの建物には刀傷や弾痕が残っている。
シルクロードや南蛮文化を伝える貴重な資料を展示した美術館。山岳民族の好むミルクティー、トルプチャイなどが味わえる喫茶室があり、シルクロードの雰囲気を気軽に楽しむことができる。
鶴ヶ城のほど近くにある宮泉酒造。実際に使用している蔵を開放し、併設の資料館には昔の酒造りの道具や酒器が展示。無料の利き酒コーナーでは日本酒や焼酎が試飲できる。
会津藩家老西郷邸を復元し、人形で当時の武家の暮らしを再現している。器や玩具など豊富な会津の名産品を扱う「郷工房古今」、郷土料理を味わえる「九曜亭」も併設する。
原始時代から現代にいたる5つの時代の資料を展示。自然・民俗・考古・歴史美術の部門展示室もある。体験学習室では鳴りゴマやけん玉等の昔の玩具で遊べ、時代衣装の着付体験も人気。
東山温泉近くの院内地区に、2代正経から9代容保までの会津藩主松平家代々の墓がある。墓地には、歴代藩主たちの業績を刻んだ大きな石碑が立ち並ぶ。
蒲生氏郷は、織田信長、豊臣秀吉に従って活躍した戦国武将。鶴ヶ城の基礎を固めたほか文化面の功績も大きいとされる。墓は興徳寺にある五輪塔で遺髪が埋葬されている。
戊辰戦争の際、若松付近で戦死した西軍の墓が東明寺にある。会津藩にとっては敵方の藩士150名を埋葬した墓地であり、会津藩士の心意気を見ることができる。
歴代の会津藩主の別荘でもあった庭園。2代目藩主保科正経が薬草栽培を始めて以来この名がある。現在も約400種の薬草木が植えられている。御茶屋御殿で抹茶、重陽閣で紅茶やガレットが楽しめる。
戊辰戦争の際には籠城戦の激しい攻防にも耐え抜いた名城。昭和40(1965)年に昔の姿そのままに復元され、城内は資料館になっている。春は桜、冬は雪景色など四季折々に美しい。
600年以上も前から、会津の町と人を見守って来た鶴ヶ城。その天守閣から南東の方向にあり、自由に見学できる。「荒城の月」の詞碑は城内に数ある見処の一つ。
白虎隊士最初の埋葬の地。会津藩の降伏後、会津藩士の遺体は占領軍が埋葬を禁じた。そのため自刃した白虎隊士の屍も放置されたが村の肝煎りが密かに妙国寺に運んだという。
明治44(1911)年に建造された栄町教会は、野口英世が洗礼を受けた教会として知られている。玄関の横を45度振って、外観や内部空間に変化をもたせたのが特徴。
市の歴史建造物に指定された末廣酒造嘉永蔵内にある博物館。多くの日本製カメラをはじめ、世界各国のクラシックカメラが500台以上展示されている。
会津の名城・鶴ヶ城の天守閣から南東へ行くと、月見櫓の下に、滝廉太郎の名曲「荒城の月」の詩碑がある。城下を眺めながら、その詩を心行くまで味わおう。
金粉などを多く使い絢爛な蒔絵として知られる会津塗の工房見学と直売所。予約をすれば楽しい蒔絵体験もできる。
英世が左手の手術をし、16〜19歳までの3年間、書生として過ごしたかつての会陽医院の2階にある。館内には当時の机などの愛用品や、英世に関する資料を展示。
会津に残留し徹底抗戦を主張する斎藤一をはじめとする20余人が本陣を構え、東軍の奇襲をうけた「如来堂の戦い」の舞台。
会津若松市の隠れた名所のひとつ。かつてこの学校は男子校で、向かい側に女子校があった。両校を分けていたこの重厚なレンガ塀が「男女7歳にして席を同じくせず」を物語る。
明治元(1868)年9月22日正午、甲賀町通りの路上に緋毛氈が敷かれ、鶴ヶ城の開城式が行われた。会津藩士たちは緋毛氈を小さく切り刻んで持ち帰り、無念の思いを胸に秘めたという。
会津武家屋敷内に復元されている会津藩の家老・西郷頼母の邸宅跡。戊辰戦争の際、邸宅では妻や子供、一族21名がことごとく自刃した。
至徳元(1384)年に築城された鶴ヶ城。その場内にある太鼓門は重厚な造りで、見所の一つとなっている。江戸時代、藩士が登城時に太鼓を打ち鳴らした事でこの名がある。
JR会津若松駅を起点に、七日町、鶴ヶ城、御薬園、飯盛山など、市内中心部を約1時間で一周する。クラシカルなボンネットバスはグリーンとワインレッドの2種類が走る。
会津漆器、赤ベコなどの伝統的民・工芸品などの会津の特産品を一堂に展示。観光インフォメーションもあり散策に便利だ。
白河・二本松街道の分岐点にある湧水ポイント。放蕩息子が清水を酒に見立てて飲む働き者の父を見て改心したという伝説がある。隣接した茶屋では、福島名水30選の清水を使ったそばが味わえる。
人材育成を目的に享和3(1803)年に建設された会津藩の学校。幕末には白虎隊の少年たちも学んだ。当時の学習の様子の観覧や、弓道・会津の縁起物「赤べこ」絵付けなどの各種体験もできる。
茶をたしなんだ蒲生氏郷が千利休の子、少庵を会津にかくまった際、少庵が恩義に報い建てた茶室。戊辰戦争の後、移築・保存されていたが、平成2年、元の城内へ戻された。県指定重要文化財。
野口英世ともゆかりのある酒蔵。明治時代に建てられた木造三階の建物がある。見学の際にはここでしか味わえない酒の試飲もできる。喫茶店の「杏」も併設されている。
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