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福島県の「会津」に関する観光スポット174件を紹介!
山鹿素行は会津の人で、朱子学・神道などを学び、その後、朱子学を排し、独特の日本主義思想である古代の道復帰を説いた。配流され、その思想で赤穂浪士にも影響を与えた。生誕地の石碑が立つ。
古くは参勤交代の休息所などで利用されていたが、戊辰戦争時は会津藩本営となった。当時のままの建物には刀傷や弾痕が残っている。
示現寺境内にある座像は福祉の母、瓜生岩子。明治のナイチンゲールと呼ばれた彼女は、貧児救済や戊辰戦争時の負傷兵看護などに生涯を捧げた。
泉光寺は舘岩川下流の塩の原に建つ、浄土真宗の会津高原布教ゆかりの寺。千手観音像が安置された小さな観音堂がある。御蔵入三十三観音礼所のひとつ。
山の幸、味噌、野菜など下郷町の名産品が直販で安く手に入る物産館。民芸品や工芸品も豊富。飲食コーナーでは手打ちソバやジャージー牛ソフトクリームが人気。
シルクロードや南蛮文化を伝える貴重な資料を展示した美術館。山岳民族の好むミルクティー、トルプチャイなどが味わえる喫茶室があり、シルクロードの雰囲気を気軽に楽しむことができる。
県西南部にあり、白樺牧場を中心に、テニス、ゴルフ、温泉などを楽しめる施設が点在している。曲家集落の歴史探訪もおすすめだ。
鶴ヶ城のほど近くにある宮泉酒造。実際に使用している蔵を開放し、併設の資料館には昔の酒造りの道具や酒器が展示。無料の利き酒コーナーでは日本酒や焼酎が試飲できる。
道路を挟み2カ所にサイトがあり、どちらも木立が多く過ごしやすい。尾瀬や会津駒ヶ岳登山、温泉巡りにも好立地である。
林間サイトは夏でも快適。3カ所の温泉施設まで車で5分という立地に、渓流釣りや尾瀬、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳の登山やトレッキングのベースにもおすすめ。バンガローは寝具一式・専用炊事場完備。
16世紀の終盤に横田城主・山内氏勝の家臣、小勝入道沢西という人が移り住んだことから始まった集落。曲家のほか復元された水車小屋や民俗を伝える曲家資料館がある。
お椀をいくつも頭にのせている石仏。元は子供を水難から守る水神様だったが、今ではお椀を頭にかぶせて祈願すれば、どんな願いでも叶えられる万能の神様として知られる。
その昔、村が貧しい農村だった頃、間引きされた子供と母親たちを弔うために江戸中期ごろに作られた石仏群。今でも地蔵に新しい着物を着せて大切にされている。
福島側から尾瀬に行くには檜枝岐村が拠点となり、日帰りで散策できる。沼山峠まではバス(冬期運休)がある。また尾瀬沼にはビジターセンターがあり、尾瀬の情報が得られる。
尾瀬国立公園に属し、尾瀬をはじめ会津駒ヶ岳・帝釈山などへの登山基地としても便利。また釣り・温泉・ミニ尾瀬公園と家族で楽しめるキャンプ場。
かつて江戸時代にこの地が幕府の直轄地(天領)であった頃、この舞台で農民歌舞伎が行われていた。舞台の屋根はかぶと造りで茅葺き。国指定の重要有形民俗文化財。
会津藩家老西郷邸を復元し、人形で当時の武家の暮らしを再現している。器や玩具など豊富な会津の名産品を扱う「郷工房古今」、郷土料理を味わえる「九曜亭」も併設する。
大内宿に面する街道。南山通りとも呼ばれ、会津若松と日光街道を経由して栃木の今市まで続いていた。国道開通以前はにぎやかで、会津藩主も参勤交代に通ったという。
東山温泉近くの院内地区に、2代正経から9代容保までの会津藩主松平家代々の墓がある。墓地には、歴代藩主たちの業績を刻んだ大きな石碑が立ち並ぶ。
レンガの種類やレンガを製作する工程、レンガの積み上げ方などを説明した資料を展示。裏手には会津地方ではじめてレンガを焼いた市郎窯もあり、見学は要問合せ。
河川敷にあり、気軽に利用できるキャンプ場。温泉施設や市街地にも近く、使い勝手がよく、会津観光の拠点にもおすすめ。日帰り温泉施設「湯陶里」が隣接している。
サイトは垣根で区画されゆったりとしており、サニタリー施設も清潔で快適だ。山荘のような和風コテージもおすすめである。
戊辰戦争の際、若松付近で戦死した西軍の墓が東明寺にある。会津藩にとっては敵方の藩士150名を埋葬した墓地であり、会津藩士の心意気を見ることができる。
歴代の会津藩主の別荘でもあった庭園。2代目藩主保科正経が薬草栽培を始めて以来この名がある。現在も約400種の薬草木が植えられている。御茶屋御殿で抹茶、重陽閣で紅茶やガレットが楽しめる。
伝上山の南に広がる標高約800m、およそ6.5万平方メートルの湿原。遊歩道にはミズバショウ、ミズゴケなど300種あまりの高原植物が群生している。ハイキングコースもあり。
明治18(1885)年築の擬洋風木造建築。郡長室は調度品もそのままで、当時の空気を感じることができる。県の重要文化財。郡長室には、14代郡長の大礼服や天和2(1682)年の高札なども展示。
600年以上も前から、会津の町と人を見守って来た鶴ヶ城。その天守閣から南東の方向にあり、自由に見学できる。「荒城の月」の詞碑は城内に数ある見処の一つ。
白虎隊士最初の埋葬の地。会津藩の降伏後、会津藩士の遺体は占領軍が埋葬を禁じた。そのため自刃した白虎隊士の屍も放置されたが村の肝煎りが密かに妙国寺に運んだという。
創建950年以上の会津現存の最も古い歴史ある神社。国の重要文化財の銅製鰐口(非公開)や、700年前の神社の日記を所蔵(非公開)しており、当時の貴重な史料となっている。
観音堂内には、大同3(808)年に立木のままに彫られた高さ8.5mの千手観音立像を安置。観音堂は鎌倉時代初期の作で観音像とともに国の重要文化財に指定されている。
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