たびノートTOP > 三国
全国の「三国」に関する観光スポット42件を紹介!
寛永8(1631)年に設けられ、238年間その役目を担った三国街道の裏往還の関所を石段街の入口に復元。併設の資料館では、当時の通行手形や古文書、武具などが見られる。
江戸時代前期に開設され三国街道(現国道17号)の交通を取り締まった猿ヶ京関所。赤谷湖を見おろす地に現存する当時の役宅は、県指定史跡で資料館として公開されている。
常設展は歌でたどる与謝野晶子の生涯がテーマ。年1回の特別企画展やギャラリー展も行う。視聴覚室では、晶子の生涯や法師温泉の記、奥上州の記をVTRで見ることができる。
三国街道筋に沿って、湯宿温泉、赤岩温泉、法師温泉、川古温泉、奥平温泉そして猿ヶ京温泉の6つの温泉が点在していて、それらを総称して猿ヶ京三国温泉郷と呼んでいる。
胃腸病や神経痛に、飲めば糖尿病や痛風に効能があることから、古くから湯治客に親しまれている三国街道沿いの温泉地。共同浴場も多く、清潔に地元の人たちに管理されている。
湯宿温泉の北に接して赤谷川の河畔、三国街道沿いにある一軒宿。静養によく、釣りも楽しめる。地下400mから湧き出る温泉は、神経痛、動脈硬化、慢性疲労病などに効果がある。
小説「雪国」が生まれた宿。部屋から眺める三国山脈は絶景だ。川端康成が執筆した「かすみ間」は当時のまま保存されており、往年の様子が偲ばれる。
三国ダムの少し下流にあり、整然と区画されたオートサイトとテント専用サイトがある。快適なバンガローや、場内には子供の遊具もあり、ファミリーにも人気。
第四銀行のある四つ角から長恩寺までの通り。塩沢出身の豪商であり、随筆家としても知られる鈴木牧之にちなんで名付けられた。
川端康成の『雪国』の舞台となった温泉。開湯は鎌倉時代初期で、江戸時代には三国街道の宿場町として栄えた。近年はスキーリゾートとしても発展。昔ながらの温泉宿と近代ホテルが共存する町だ。
県内有数の漁港で、日本海の荒波に育まれた魚介を名物料理にする宿が多く、風光明媚な景観とぜいたくな料理を同時に楽しめる。温泉はよく温まる塩類系で、効能も幅広い。
日本海屈指の景勝地「東尋坊」の近くに湧く温泉で、湯元は三国観光ホテル。泉質は単純温泉で、リウマチや神経痛に効く。観光のほか、海水浴やマリンスポーツが楽しめる。
永和元(1375)年創建の真言宗智山派の古刹で、紀州根来寺の学僧・睿憲の開基。宝物殿には国宝の金銅毛彫宝相華文磬や重要文化財県指定文書が収蔵、一部が展示されている。
20haの広大な里山のアートスペース。ガラス工芸、陶芸、竹工芸、ろうけつ染めなどの講座もあり、各種体験講座を開催している。アートコアにある美術館とレストランも人気だ。
50区画あるサイトは適度な木々に囲まれ、広さも十分。全区画にAC電源と流し台が設置され、一部には野外炉も付いている。名勝東尋坊が近く、周辺にはほかにも見所が多い。
大自然の芸術ともいうべき断崖絶壁が約1km連なる、北陸最大級の景勝地。最高25mもの高さを誇る断崖の上に立てば、思わず足がすくみそうになるほどの絶景が広がる。
安島漁港の沖に浮かぶ小島で、朱塗りの雄島橋を歩いて渡ることができる。断崖には柱状節理が見られ、地区の漁民の信仰を集める大湊神社がある。散策コースにもおすすめ。
明治12(1879)年建築の五層八角形の龍翔小学校の外観を復元した総合博物館。北前船関係の資料や自然、歴史、民俗、文学、美術など三国の全てが分かる様々な資料を展示している。
海岸沿い4kmにわたり続く遊歩道。道沿いには福井ゆかりの高見順や三好達治、高浜虚子らの文学碑が立ち、潮風を感じながらのんびりと散策することができる。
越前・加賀・飛騨三国の峰という意の「三峰」ともいわれ、また岐阜県石徹白からの禅定道を順に一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰と名付けたとも。高山植物も多い自然の宝庫。
海面から見る、また違った東尋坊の姿を楽しむことができる。所要時間は30分で荒天でなければ毎日運航している。
東尋坊のすぐそばに建つ展望台は地上55m、海抜からは100mもある。眼下に広がる東尋坊と日本海は絶景の一言。
三味線の音色と江戸小唄が流れる、クラシックなライブ茶屋。三味線は演奏を聴くだけでなく、弾く体験もできる。
地元の名産などを取り扱う老舗の土産物店。オススメの「もみわかめ」は、東尋坊近海の天然わかめを天日干しして細かく手もみした、三国ならではの珍味。瓶詰めタイプが主流。
三国港で獲れた海の幸をはじめ、三国名物の花らっきょうや酒まんじゅうなど、特産品がズラリ。地元の食材を使ったレストランや、「らっきょう資料館」も併設されている。
県内最古の鉄筋コンクリート建築。大正9(1920)年に落成。建物外観は西欧の古典主義的なデザインになっており、内部は豪華な漆喰装飾が随所に見られる。
その昔、ここは川上の福井藩三国湊と川下の丸岡藩滝谷出村の境界だった。この橋は町人が出村遊郭に「行こうか、帰ろうか」と思案に暮れた場所だった。
若くして病死した三国出身の森田愛子を偲んで、師匠の高浜虚子と兄弟子の伊藤柏翠が詠った句と、愛子自らが病床にある自分の心を詠った句が3つの石碑に刻まれ並ぶ。
荒磯遊歩道の入り口から歩いてすぐにある文学碑。三国生まれの作家、高見順が病床で故郷の三国を想い書いた「死の淵より」の中にある「荒磯」の一節が刻まれている。
「わが心のふるさと」と言い切るほど三国を愛した漂泊の詩人、三好達治の詩が刻まれた石碑。その他にも荒磯遊歩道の道沿いには、彼の文学碑「荒天薄暮」が設けられている。
掲載情報の一部の著作権は提供元企業等に帰属します。 Copyright(C)2024 Shobunsha Publications,Inc. All rights reserved.