村上城跡のつぶやき
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村上城跡のクチコミ
若林家住宅
重要文化財「若林家住宅」 内藤・村上藩の150石の中級武士だった。 曲屋(まがりや)造りの茅葺平屋建、部屋割が細かいのが特徴。また庭が広いのが印象的だ。 観覧料:「若林家住宅」「おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)」「村上歴史文化館」3館で\500 <交通>JR村上駅から歩20分。村上城跡から歩5分、登城の帰りによるのがお勧め。
kenken0418 さん (投稿日 08-07-30)
おしゃぎり会館
【おしゃぎり会館】村上郷土資料館 村上では、祭りに引き回される山車のことを「おしゃぎり」と呼ぶ。 西奈弥(せなみ)羽黒神社のお祭り。毎年7月7日に、3基の神輿と19台のおしゃぎり(山車)が旧町人町を練り歩きます。 おしゃぎりの展示は迫力あり。刀や兜など歴代藩主にまつわる資料など、すばらしい。 <写真>おしゃぎり 観覧料:「おしゃぎり会館」重文「若林家住宅」「村上歴史文化会館」の3館で\500 <交通>JR村上駅から歩20分。村上城跡からなら歩5分で、登城帰りによるのがお勧め。
kenken0418 さん (投稿日 08-07-30)
村上城跡
【村上城跡】新潟県村上市 2008/07/28登城(No129) 臥牛山(標高135m)に戦国時代(1500年代)越後小泉荘を支配していた本庄氏が築城したとされる。 慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に従い陸奥守山に転封、代わって村上頼勝が9万石で入封した。村上氏は城の改修を始めるが、元和4年(1618)堀直寄が10万石で入り城が完成したとされる。 南北に伸びる臥牛山山頂の北の高所に本丸を置き石垣で囲い、3層の天守を建て、南に二の丸、さらに三の丸を配した。二の丸と三の丸の間に東、西からの道が麓から通じ、四ツ門、御鐘門(おかねもん)で防御していた。東は険しい崖があり、西の山麓に居館を置き堀で囲い、さらに平地の西に二の丸、三の丸を配し堀で囲っていた。また町割りも整備した。 慶安2年(1649)松平直矩(なおのり)が15万石で入封、城の大規模な改修に着手、石垣を築き、天守を整備、櫓が新たに造営され、山麓の居館にも3層櫓をあげていた。だが榊原政倫(まさとも)が入封した寛文7年(1667)落雷により天守を焼失、以後天守が再建されなかった。 享保5年(1720)内藤弌信(かずのぶ)が5万石で入封、以後9代で明治に至る。安永7年(1778)山麓の3層櫓が焼失したとされる。戊辰戦争では幕府派と新政府派で分裂し、幕府派が山麓居館に火を放った、が山上の櫓、城門などは残っていた。明治の廃城令で残っていた櫓、城門が撤去された。 現在、石垣は残るが何もない。だが比較的整備されており、本丸からの眺望抜群。本丸手前の石垣修復工事中で、入れない箇所がある。本丸の石垣は残っているが夏草に覆われみえないところもある。西の登り口に村上城跡保存育英会(入場無料)があり、城の模型が印象に残った。また東の虎口、たて堀、曲輪をめぐる「中世散策コース」がある。さらに村上城再建計画が進んでいるようだ。 <交通>JR村上駅から歩25分、タクシーお勧め。そこから山上までかなり登ります。 <写真左>四ツ御門跡 <写真中>本丸から天守台 <写真右>天守台から北方向、左に三面川 山麓から歩5分くらいのところに重文「若林家住宅」がある。武家屋敷跡で150石の中級武士だが、庭が広いのが印象的だ。またとなりの「おしゃぎり会館」の展示もよく感銘した。
kenken0418 さん (投稿日 08-07-29)