小田原城 天守閣のつぶやき
「小田原城 天守閣」でつぶやかれたTwitterのツイートを掲載しています。
小田原城 天守閣のクチコミ
小田原おでんサミット
さくら花見のシーズン、小田原城址公園・二の丸広場界隈で行われるイベントです。全国代表のおでんプースが出店、全国食べ比べできます・楽しい催し(同時開催:おでん種コンテスト・ライプ・骨董市)。小田原おでん会が主催。HPあり。 2011年情報: 4月2日土から4月3日土日曜2日間。 ※しょうが味噌のおでん、いけるね。青森代表だったと思うが、東北の大地震で参加できるかどうか?。 沖縄おでんは参加あるのかなー?、こちらではなかなか食べられない・貴重。 きっとでるでしょう焼津、注目の松江(全国サミット開 催あり)・・初参加はどこ?・・楽しみです。 地元小田原ものは地元近隣の人はいつでも食べられますす。地方地場ものはご当地に行かないと体験できないので、この機会にと待ちわびているおでんフアンが多い。
0134楽ちゃん さん (投稿日 11-03-13)
小田原城
小田原のシンボル小田原城。 戦国時代には、北條早雲をはじめとする北条家5代の居城で南関東の拠点。 外郭の総延長は9kmと巨大さは当時日本一を誇り、上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えた。 1590年春、豊臣秀吉・徳川家康両軍20万で北条氏政・氏直の小田原城を包囲。100日間の篭城後、「小田原評定」の末に開城し、早雲以来の小田原北條氏はここに滅亡した。 江戸時代になり、小田原城のある小田原藩は春日局の血を引く稲葉氏などが藩主となり、「入り鉄砲出女」といわれた箱根の関所を幕府から預かっていた。 現在は、小田原城址公園となっていて、天守閣やお堀などを背景に、約350本のソメイヨシノが咲き誇る神奈川県内でも桜の名所のひとつになっている。 また、小田原最大の祭り「小田原北條五代祭り」も毎年、開催されている。 お城の建造物は、天守閣(復元)、常磐木門(再建)銅門(復元)がある。 1938年に「小田原城跡」として国の史跡に指定された。 アクセスは、JR、小田急小田原駅東口より徒歩10分。
ポン太999 さん (投稿日 10-04-18)
一夜城跡
豊臣秀吉が小田原攻めの際建てたという石垣山城は、建物は残っていないですが、石垣や曲輪などの遺構はよく残っており、現在は一夜城歴史公園として整備されています。 確かに肉眼でも小田原城が見えます。一夜で城を造ったってのは流石に嘘だろうというのが定説ですが、籠城数ヶ月、見上げる山の上にみるみる城が出来ていくのを大軍に囲まれて阻止する事も出来ずただ眺めるだけというのは、位攻めの効果覿面でしょうね。「ある程度城が出来上がってから小田原城方面の木々を伐採して北条方から急に城が出来たように見えるようにした」という通説ですが、いくら籠城中とはいえ、この距離で4万人も動員する大工事を木立一つで隠しおおせるもんでしょうかねぇ…。
島の民 さん (投稿日 10-04-03)
報徳二宮神社(小田原)
柴(薪)を背負って本を開いてる(読んでる)立像、過っては小学校の庭先にありました。今、見ませんネ。 二宮尊徳(金次郎・金二郎ともいう)、ご存知ですか。幼くして苦労・働いて勉学に励み、家を再興・多くの農村を立て直し社会のために尽くしたこと。 尊徳翁は小田原が生誕・育った地。小田原城址公園内(二の丸)に祀られその神社があります。〔今の時代、まさしく財政・社会の立て直しや得を教える教育など考えさせられます〕 ところで、尊徳翁が祀られている二宮神社は栃木県にもあります。クチコミで投稿されているのは栃木の今市と二宮町(神奈川にも二宮町あり)、いずれも墓石があるところ。 尊徳翁は、70歳の生涯を栃木の今市で没しました。二宮町の神社は桜町二宮神社、ここは仕法の地です。墓石が二つある由来については、ご当地で・・。 今市には宝物館・二宮町は資料館があります。(ちなみに小田原は報徳博物館です) 参考;クチコミ 二宮神社(二宮尊徳のお墓)日向夏美さん 桜町二宮神社・二宮金次郎墓域、tabidonkoさん 今市の報徳神社 http://ninomiya23.jp/ 桜町二宮神社 栃木県芳賀郡二宮町物井2013-2
0134楽ちゃん さん (投稿日 09-04-05)
小田原おでん祭り
2008年18日・19日の土日、小田原城内で開催します。いろんなおでんが食べられる。おでんの種即売もある。広場で歌ライブもあるそうな。おでん好きなら是非行ってみよう。でも、車でないほうがいい(ドライバーの場合)。旨いおでんにはビール(お酒)がつきもの、ついつい・・。小田急かJRで小田駅から歩10分。お問い合わせは下記主催者へ。
0134楽ちゃん さん (投稿日 08-10-12)
小田原城跡
【小田原城跡】神奈川県小田原市城内 1984/05登城(No6)2006/06/16再登城 後北条氏3代当主、北条氏康の時代にその堅城ぶりを誇った。永禄4年(1561)上杉謙信が10万で小田原城を包囲したが攻めあぐね1ヵ月後に兵を引いている。永禄12年(1569)武蔵に侵攻した武田信玄が2万で小田原城を包囲するも4日で撤退、だが北条氏政の追撃が遅れ挟撃に失敗、氏照・氏邦が三増峠で敗れている。 旧城郭の八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を土塁と空堀で取り囲んだ総構えの大規模な城郭へと拡張されたのは豊臣秀吉との戦端が開かれる前であった。 天正18年(1590)秀吉が天下統一の仕上げとして小田原城を攻めた。5代当主北条氏直、4代隠居氏政が指揮し、当然ながら天下第一の堅城により籠城した。しかし秀吉は圧倒的な兵、物量をもって取り囲むととともに、諸大名に関東各地の支城を攻撃させた。氏照が築いた要害八王子城も(クチコミは八王子城跡をご覧ください)1日で陥落するなど次々と撃破された。籠城により兵糧不足で撤退するだろうとの読みは打ち砕かれ、3ヵ月で秀吉の軍門に降った。氏政は切腹、氏直は高野山に流され、後北条氏5代は潰えた。 関東に入った徳川家康は小田原は腹心の大久保忠世に預けた。だが慶長19年(1614)忠世を次いだ大久保忠隣(おおくぼただちか)を改易(大久保長安事件に関与とも、大坂冬夏の陣の前で大坂に親しい忠隣を除いたとも)、徳川家康は軍勢を率いて小田原城総構えを破壊した。寛永9年(1632)稲葉正勝が8万5千石で入封、改修整備した。貞享3年(1686)大久保忠朝が10万3千石で返り咲き以後10代で明治に至る。 天守は後北条時代の2層のものがあがっていたといわれ、寛永10年(1633)地震で倒壊、3層にして再建された。これも元禄16年(1703)大地震に見舞われ天守、櫓が倒壊した。宝永3年(1706)天守を再建、以後明治3年(1870)に解体されるまで存続した。 現在、昭和35年(1960)5月に市制20周年の記念事業として復興した天守がたつ。宝永時代の再建時に作成された引き図を参考にして鉄筋コンクリで外観復元したものだ。内部は歴史資料の展示室となっており、海抜約70メートルの最上階からの眺めよし。秀吉が築いた石垣山一夜城があったところもみえる。本丸が城趾公園として整備され、本丸の正面にあった常盤木門、二の丸の正門であった銅門(あかかねもん)が復元されている。二の丸の東、南にあった濠も残っているが往事の幅はないように思われる。 <交通>JR小田原駅東口から歩12分。東口を出たら右の方に歩くと北入口に近い。東口からお堀端通りへ行き馬出門、銅門、常盤木門から本丸へが大手道。 <写真左>小田原城天守 <写真中>濠から銅門 <写真右>濠
kenken0418 さん (投稿日 08-06-03)
守屋のパン
小田原駅の東口から小田原城反対方向へ徒歩1分に守屋のパンがありここはアンパンが有名で最低でも15分位行列が並ぶ店です。アンパンはアンがギッシリ詰まっていており3つ食べれば充分の量です。(値段は1つ100円です。)他にもアンドーナツやクリームパンまた食パン等、まさに昔ながらのパン屋さんです。 定休日 日曜、祝日、GW、お盆、年末年始 営業時間 AM8時からPM6時 住所 神奈川県小田原市栄町2-2-2(東通り商店街)
にこチャン101 さん (投稿日 08-05-23)
小田原駅
電車で熱海旅行に行った時に乗換駅で立ち寄りました。 駅ビルのショッピングモールもたくさんありましたし、駅周辺も繁華街で賑やかでした。 小田原城も歩いて行けますし、御土産屋もたくさんあって、小田原駅で色々楽しめました。
スペースシンカ さん (投稿日 08-05-14)
小田原城址公園
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 北条家五代の居城。桜の名所。 〒 250-0014 神奈川県小田原市城内6-1 楽天トラベルです。 この情報欄を「みんなの情報」で盛り上げよう! −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ゴンザレス 玉三郎 さん (投稿日 08-04-02)
小田原城跡公園
3/29小田原城跡公園に満開の桜を見に行きました。 タイミング良く小田原城天守閣周りの桜が見事! 午前中の早い時間に行かないと、周辺駐車場は「満車」ですよねぇ〜。 歴史の勉強をしながら桜見物…華やかさに圧倒されます。
REDFOMC さん (投稿日 08-03-31)
小田原城址公園 遊園地
小田原城址公園の中のミニ遊園地です。 なんだかとてもレトロな小さな小さな遊園地です。 なにしろ乗り物が80円。カップと豆汽車と電動カートなどしかありませんが、幼児さんはすごく楽しいでしょう。
おがくま さん (投稿日 08-01-28)
うなぎの柏又
うなぎの老舗で昔 菊池寛(作家)が通っていたそうです。かしまたと読みます。伊豆のほうに旅行をしたときは小田原でおりて 小田原城の一番奥の方面にあるこちらのうなぎを食べてから帰ります。うな重は少し待たされますが とてもやわらかくさっぱりとしていて美味しいです。建物も昔のままで雰囲気があります。場所が わかりにくいかも知れませんね!
けめちゃん さん (投稿日 07-09-08)
北条五代祭り
北条五代祭りというお祭りが、北條家にゆかりのある 小田原市で毎年5月のGW中に行われます。今年(2007年)は5月3日でした。 http://www.odawara-kankou.com/page400.htm 当日はパレードがお昼過ぎに小田原城を出発して、 駅近くの街中をぐるっとまわります。 手作りの甲冑隊や、子供の忍者隊、市長の騎馬隊、 自衛隊の音楽隊、火縄銃隊、観光大使のあとう快など! なんだかとってもローカルだし、わりと地味ですが、 手作り感あふれていて、ジモトののお祭りという感じを 楽しめます。 箱根の観光地もいいですが、 結構楽に見ることができるし、大河好きの方などに お勧めですよ。穴場です。 あー、題名、間違えてしまいました。本当は 「北條」でーす。
まめすっけ さん (投稿日 07-05-04)
石垣山一夜城歴史公園
豊臣秀吉によって築かれた一夜城の遺構。 穴太衆の石垣が数多く残る。特に井戸曲輪はもっとも綺麗な形で遺構が残されており、必見。 二の丸は大きな原っぱとなっており、弁当を食べることも可能。 駐車場あり(無料)。歩いて登ると、JR早川駅から山道を徒歩1時間弱。 電話番号は小田原市観光課。 小田原駅の観光案内所や小田原城に行けば、パンフレットを入手可能。
hagi2006 さん (投稿日 06-11-20)
ウメ子(アジアゾウ)は亡くなりました
市民や行楽客に愛されていた小田原動物園のゾウ「ウメ子」は今はいません。 2009年9月17日逝ってしまいました。推定62歳、国内最高歳(人間でいえば100歳超えている)だったそうです。 多くの子供達を癒し、大人達に思い出を与えてくれたお城のシンポルでしたネ。ありがとう!!ウメ子・・。 また、ここのところ気になる情報があるんです。行政の無駄撲滅リストの検討対象に動物園関連施設も入っているとのことです(詳しくは知りませんが)。
0134楽ちゃん さん (投稿日 09-10-11)
総構えの遺構
城の西1kmくらいに「小峯御鐘ノ台空堀」があります。大堀切で、幅20〜30m、深さ12m、斜度50度の最大級。 また、南500mくらいに「早川口遺構」がある。機会があったら行ってみたいと思っています。
kenken0418 さん (投稿日 08-06-03)
のんびりと・・・
無料の小さい動物園は癒されます。 でも最近像がいなくなってしまったみたいです・・・
seneka2011 さん (投稿日 08-01-02)
駅ビルからの眺め・・・
小田原の駅ビルの屋上からの眺めです。。。 時間がない時にも、小田原城はみれますよ^0^ 屋上でごらんくださいね^^
マダム紗斗 さん (投稿日 07-05-05)
周辺の公園
周辺の公園も落ち着けますね。
チャラ王 さん (投稿日 06-01-31)