福井市立郷土歴史博物館のつぶやき
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福井市立郷土歴史博物館のクチコミ
福井城趾
【福井城趾】福井県福井市 2005/03/26登城(No24) 朝倉氏を滅ぼした信長が柴田勝家に越前をまかせた。不便な一乗谷から平野の中心の北ノ庄に築城した。9層の天守があったとされるが秀吉に敗れ、お市の方とともに天守で炎に包まれた。 関ヶ原後、家康は次男の結城秀康に越前67万石で封じ、秀康が築城したが家康が縄張りをしたとの話。ほぼ正方形の本丸を高石垣で囲み、二の丸、三の丸ほかの曲輪を配し堀で囲んだ。南の足羽(あすわ)川、東の荒川を外濠としていた。天守は4層であったが寛文9年(1669)火災で焼失し、その後は再建されなかった。勝家の北ノ庄城と福井城の位置関係は今も謎である。なお北ノ庄から福居、さらに福井へ改名したのは3代藩主松平忠昌と言われている。 現在、本丸と濠が残っている。本丸の中は福井県庁が鎮座、天守台は立派に残っており往時の隆盛が偲ばれる。福井の語源となったと言われる「福の井」がある。西側に架かる御廊下橋を復元工事中。福井市立郷土歴史博物館も訪ねたい、養浩館庭園と舎人門遺構もある。柴田神社は北ノ庄城の天守があった所とされる。 <交通>JR福井駅から歩7分。
kenken0418 さん (投稿日 08-04-02)